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しばらくして、布団の中からため息の漏れる音が聞こえた。
「……いえ、私が勝手に舞い上がっていただけです。いくら婚約者がいることを知らなかったとはいえ」
そうだったのか、と前田は腑に落ちた。
森は雨宮と深い仲になっていたが、都合が悪くなり別れを切り出された。拒まれても未練を断ち切ることができず、重症貧血の患者になることで雨宮との接点を持ち続けようとしたのだ。雨宮は診療を断る正当な理由を説明できるはずがなかったのだ。
前田は布団の中に手を伸ばし、森の背中にそっと手を当てる。体は温かみを取り戻していたが、心は冷え切ったままなのだろう。そっと語りかける。
「森さん……人生って、どこかで間違えたり、矛盾に苦しんだりすることってあるんですよね。私だって、大切なひととの関係が引き裂かれたんです。それでもずっと、そのひとのことを想い続けているんです」
森は驚いて起き上がり、前田を正視した。
「前田さんのような賢明そうな方でも、そんなことってあるんですか?」
前田は頬を赤らめて目を伏せ、恥ずかしそうに返事をする。
「そんなこと、誰にだってありますよ。ずっと胸の内に仕舞っておいたことなんですけれど、もしよろしかったら、聞いてもらえますか?」
森は孤独な世界で仲間を見つけたかのように、揺らいだ瞳で前田を見つめていう。
「はい。差し支えなければ聞かせてもらえませんか――」
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