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笑顔でさよならを
「そうですね」
今日も彼女は後ろを振り返らずに、庭の枯れた花に水を遣る。
とっくに根が枯れた花に水を遣っても無駄だぞ。
そう言っても、頷きながら、彼女はバケツから水をすくっては花にかける。
「やはり行くのはやめようか…」
ため息混じりに呟くと、彼女の動きがピタリと止まる。
やっと人の話を聞く気になったか。
そう思ってると、彼女の手が忙しなく動いて止まらなくなった。
何度も何度も花に水をかける。 もはや花への拷問のように見えてきた。
命尽きた花が、もうやめてくれと悲鳴をあげてさえいるように感じた。
「お、おい…」
異常にさえ思える行動にさすがに止めに入る。
縁側を下りて、彼女の元へ行こうとするが、間の悪いことに下駄がそばにない。
いつもは彼女の草履と一緒に並んでここにあるはずなのに。
よく彼女は面白がって俺の下駄を履いて、どこかに用事に行き、そのままどこかに履き捨てて…いや履き忘れてくるので、またしでかしたのだと推察する。
「…その花はこの家に嫁いで来た時に植えたものだったな」
水をあげている手がまた止まる。
彼女が執着するように水をかける理由がわかった気がした。
「仕方がない。花も生きているのだから枯れることもある。そもそもよく今日まで咲いてくれていたものだ。また植えよう。どんな花でもいい。今度は一輪と言わず、お前が望む数だけ植えればいい。」
政略結婚だった。
互いに顔合わせもしないまま、互いの利益のためだけに婚姻を結んだ。
初恋の相手に金目当てで殺されそうになった日から、俺は女という生き物を信用も信頼もせずに生きていくだろうと思っていた。
だが、彼女がこの家に来て、俺の日常は一変した。
彼女に対して放った第一声は、
「お前は私の妻などではない。お前は家政婦…いや召使いだ。いいな、自分の立場を間違うでないぞ。」 だった。
最低だと自分でも思う。
たいていの女はこれを聞くと激怒する。
特にご令嬢として、蝶よ花よと育てられた女は。
このまま彼女が怒って、実家に帰れば、あちらからの一方的な破談として利益だけが手に入れる。
だが、彼女はその言葉を聞くと、にっこりと微笑んだ。
「わかりました!旦那様!それでは何から致しましょうか!」
そして威勢よくそう言った。
任せてくださいと胸を張る彼女を見て、少しの間、呆然とした。
その日から、彼女とのバタバタとした慌ただしい日常が始まった。
「ここのお庭は殺風景です」
ある日、彼女はそう言った。
「使用人が主人に意見か?」
「いえ、これは提案です!」
「それを意見と…」
「お花はいいですよ!心が癒されます!」
「人の話を遮るな」
「お花を植えましょう!」
「いらん。俺はごちゃごちゃとした庭は好かん」
それだけ告げると書類に視線を戻した。
けれど視界の端で落ち込む彼女がチラチラとうつりこみ、盛大なため息を吐き出しながら庭に一輪だけ花を植えることを許した。
あの花を植えてから、彼女との距離がだんだんと縮まっていったように思える。
今では縁側で庭をバタバタと駆け回る彼女を見ることが日課だった。
「さっそくタネを買いに行くか」
ぽたぽた 小さな雫の跡が、彼女の周りに落ちていく。
足が汚れることも忘れて、庭へとおりた。
彼女に駆け寄り、自分のほうへ身体を向けさせると、泣き腫らした彼女の顔があった。
「旦那様…旦那様…」
消え入りそうな声で彼女は呼ぶ あまりのことに返事ができずにいると、 彼女は、 「どんな種を買いましょうか」 と、聞いた。
「…そうだな、やはりこの季節だとヒマワリか?前にヒマワリが好きだと言っていただろう。」
とりあえず質問に返答する。
そして自分の言ったことに驚いた。
上を見上げると、そこには赤く色づいた葉を茂らせる木があった。 もう季節は秋だ。
何故、私は夏だと思った?
彼女の嗚咽が聞こえる。
ああ…そうか
木を見上げながら、彼女の肩を握る手に力を込めた。
「不自由なことはないか?」
そうだ。あの日は豪雨だった。
仕事で出なければならない俺を不安げに見送った彼女を思い出す。
「旦那様のおかげで何一つありません」
涙で揺れる声に、ふと口角が上がった。
彼女がこちらに背を向けながら、ひたすら花に水をあげていた理由がわかった。
涙を見せまいと、泣いていることが気づかれないようにと、彼女は奮闘していたのだ。
足元に降る雫に気づかれないように。
あの花の前で、
笑顔で、俺を見送るために。
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