お財布なくした

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お財布なくした

「な、ない! ないないない!!!!」  故郷である風と雪の郷『ブシャト』をでてから早一日。  昨日の夕刻にブシャト駅を出発しようやく翌日の昼さがりである現在。  リオンはずっと硬いシートに座り続けて痛む腰と尻をさすりながら、ようやくこの国の中心に位置する都の中央駅までたどり着いたところだ。  先ほどかった列車のチケットを入れたはずの黄色い財布は、あるべきはずのくたくたのリュックの中から煙のように消えてなくなってしまったのだ。  中央駅の改札の前でリオンは本数の少ない目当ての電車に乗ることもできずにしゃがみこみ泣きべそをかきそうになった。 「で、お客さん。入るの入らないの?」  恰幅のいい藍色の制服姿の駅員がじろりと頭の上からリオンを光る蒼い目で睨みつけてきたので(角度でそう見えただけかもしれないが)、恐ろしくなってじりじりと後ずさるとすぐに踵を返して駆け出そうとした。  しかし故郷と違って駅前の雑踏の最中、後ろから来た中年男性にどんっとぶつかり、「気をつけろ!」と怒鳴られる。リオンは泣きそうな顔で頭を下げた後、さっき食事をとった店まで慌てふためき駆け出していった。  ここから目的地である街まで、まだまだ長いこと列車に揺られなければならない。だからこそ、なけなしのお金を使ってでも今はタップリ食事をとって、後は目的地である遥か遠い、国の最南端のハレヘの街に着くまで母が持たせてくれた林檎をかじって我慢をしようと思っていたのに。 (お店でお会計をした時までは確かに持ってた。そのあとリュックのポケットに入れたはずなのに……)  華奢でやせっぽっちだがその分、思い立ったらきびきび動けることはリオンの長所の一つだ。初めてきた場所だが物おじせずに店の看板や造りを確認しながら石畳の商店街を辿っていく。  クリーム色の外壁に赤茶の屋根の可愛らしい外観の食堂は、リオンの生まれ育った町の家々に似ていて、早くも故郷を懐かしく思ったのでそこにきめた。  昼の開店時間が終わるぎりぎりの辺りで滑り込んで、お勧めだと飲ませてもらった沢山の香草とお肉が入ったスープは初めての味わいで、長旅で疲れ切った身体に染み入ってうっとりしながら夢中で飲みほしてしまった。  思い出したらまた生唾がでそうになるほど美味しかったが、今はそれどころではない。  ちょうど看板をしまおうとしていたレンガ色のスカートをはいた店の女性が目に入った。 「あの、すみません! お店の中に財布落ちてませんでしたか?」 「あら、さっきの坊や? お財布? なかったと思うわよ。一応旦那にも聞いてあげるから待ってなさいね」  そういうと親切な女性はメニューの紙が貼られた木製の立派な看板を後ろ向きに立て替えなおしてすぐに木戸を押して中に戻っていった。 「どうした? さっきの坊主か」 (坊や、坊主って……。俺、一応成人してるんだけどな)  華奢のものが多いというこの国の中でも国境に近く貧しい漁村育ちのリオンの体格は殊更貧相だ。白っぽい亜麻色の髪は頭頂部がふわふわと切りっぱなしでひろがり、目ばかり大きくそばかすの散った顔は成人した男の手の平なら一掴みできるほどだ。擦り切れたズボンの踝辺りから覗く棒のように細く青白い足、隣のお兄さんのお古の上着をだぶだぶに着た姿はみっともよいとは言えない。とても成人しているとは思えなかったのだろう。  実際、店主の肩口ぐらいまでしか背丈はないし、まだまだ伸びると思っていたけれど万年欠食気味で諦めも入ってきた。それにリオンは……。 (こっちきたら俺ってさらにちっさいな……。オメガって身長早めに止まるってほんとなのかな)  溜息をついて肩を落としていたら、子どもが困っていると見かねた食堂の夫婦がリオンを近くの交番まで連れて行ってくれた。  親切な二人は警察官に届けを出すまでリオンの傍にいてくれて、親父の方が豪快にリオンの肩を叩くとこう言って慰めてきた。 「この商店街はさ、中央駅から一番近くにあるだろう? 地方から出たての学生さんとか旅行者が最初に立ち寄ることも多いからなあ。まあ、スリが結構出るんだよ」 「か、鞄の中に、ちゃんとしまってました」 「掏ったあとちゃんとしめるんだよ。凄腕だろ? それに外側のポケットになんて大事なもの入れちゃだめだぞ」 「金猫亭の親父さんの言うとおりだぞ、坊主」 (また坊主って……)  つむじが見える程項垂れたリオンにはリオンの言い分があった。駅まで数分の立地にあった食堂から移動する際、すぐに列車に乗るため取り出しやすいところの財布を入れていたのだ。それに金品は二つに小分けしていたから幸いこれが全財産ではない。しかしただでさえ少ない持ち金が半分に減ったことは確かだった。  しかもなくしたのは母が若い頃に着ていた服を解いて手縫いして作ってくれた思い出の黄色い財布だし、その上財布の中身にはここから目的地の途中の街までのチケットが入っている。 「俺、どうしてもハレヘにいかないといけなくて、あの財布には汽車のチケットが入ってたんです。それに財布自体も……。安物かもしれないけど俺にとっては大事なもので……」  けしてあってはならない失敗をして、自分自身が本当に惨めで情けなくてリオンはぎゅっと色あせくすんだ緑色の上着の裾を握りしめた。 (俺は何をやらせても、まったくうまくいかない。本当に駄目な奴だ……。早く一人前になって母さんを迎えに来るって誓ったばかりなのに。出だしからけ躓いて、本当に馬鹿だ)  昨日、泣きながら一人息子を送り出してくれた母の姿を思い出す。自分も華奢だが抱きしめた母の身体は、食べ盛りの息子にできるだけ食事を回してくれていたからさらにほっそりしてた。
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