未明

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未明

 育ててくれた家族の役に立ちたい。それはジルにも覚えのある感情だった。  ジル自身、幼い頃に父を亡くしてから、母と姉とが一生懸命働いてジルを学校にやってくれた。本当は家族の中でただ一人の男子として、早く仕事をして二人の助けになりたいと思っていたが、折角成績が良いのだからそのまま進学をしなさいと二人に強く押されたのだ。  高等教育学校にいる頃には姉が年上の裕福な男性に見初められ結婚、母も共に娘夫婦の家に同居しながら元々軌道に乗りかけていた女性や子供向きの愛らしい小物を扱うお店を義兄の力を経てさらに繁盛させた。彼女たちの同居のタイミングも重なって寮に入ったら、母も姉もジルが早々に片付いてくれてよかったとホッとしていた。 (でも義兄さんと違って、俺なんて家族に対してなんの力にもなれなかった。必要がないやつだって、少し気持ちが荒れてたっけ)  そんな時、セラフィンと出会い恋をした。それはもう彼しか見えぬほど夢中になってしまって、寂しいような切ないような感情はもうそこから吹き飛んでしまったのだ。  それからの6年余り。二人でつるんでは格闘技の道場に通ったり、国中方々を旅したり、朝まで語り合ったり、優しく互いに触れ合ったり。  思えば家族から疎遠になった時期とセラフィンに嵌まり込んだ時期とは重なっていたようだ。  しかしそのセラフィンがずっと見守ってきた番のヴィオと家庭を築いてからは流石に気を使い、少しずつ距離をおいていった。  ジルの想い人、年上のアルファ男性であるセラフィンは少し鈍感なところがあるから気が付いていないか、もしくは気にもしていないようだが、彼の番のヴィオはあれでオメガだからなのか、やはり鋭い部分がある。小さなころからジルに対して遠慮がちだが少し嫉妬ともとれるようなそぶりを見せることがあった。(もちろん、ジルは大人げなく隠しもせずに嫉妬していたが)  多分、ジルの気持ちにも気が付いていて、セラフィンとジルとの間にある、限りなく友情よりは恋情に近い微妙な関係についても疑っている部分もあったのだろう。  それをヴィオは知っていてわざわざ口にしない賢さのある若くとも聡明な青年だ。だからといっていつまでも、新婚の新妻をやきもきさせるのはよくないと思った。何しろジルにはまだ番がおらず、セラフィンに未練を残していることなど明白だと思われてもおかしくないのだから。  その後、またなにかジルの中で『嵌まりこむ』ものを求めて誘われるがままに多くの女性と、時には男性とも付き合いかけたりもしたが、結局誰とも長続きはしなかった。  ジルの容姿やアルファであろうことに興味を持った相手から求められることになんの意味も見いだせず、冷淡な態度をとってしまった。そんな時は結局手酷くなじられて去られたこともあった。最近では不愉快な思いをすることが面倒になり、友人であるカイやテン以外とは距離を置きなるべく近寄らせないようにした。  そもそも大人の遊びであってもオメガは避けていた辺り、結局ジル自身、初めから生涯の伴侶などというセラフィンとヴィオのような穏やかで美しい関係を求めてはいなかったのかもしれない。  結局ジルは何かに『嵌まりこむ』経験をしつづけていなければ、人生の歓びを甘受して生きられないある種、歪んだ性分なのだとつくづく実感した。しかしセラフィン以外にジルを熱く燃え上がらせるような逸材にはついぞ出会えていない。  だからこその訣別の旅。初恋のポスターのモデルとなったオメガのいる、長年憧れの地であったハレへに出向いて永遠にこの恋心を手放してやろうと決心したのだ。 「なあ、健気で、意地っ張りなリオン? お前なら俺のこと夢中にさせられるのか?」  憐れに思うほど小さなその手は温かく、眉間に皺が寄るほど苦し気にうなされていた額に口づけると少しだけ表情が和らいだ。まるで人形のように、もろくて白い。このまま縊れば、生死さえジルの思いのままになりそうな。そんな危うげな存在。ぞくり、としたジルは仄暗い笑みを口元に這わせ、甘い垂れ目に欲をまとわせた。 「俺みたいな悪い男に捕まって……。可哀想にな」 ※※※  いまは何時かはわからないが、リオンは目を醒ましてカーテンを少し開けて外を見た。列車はすでに海沿いを走っていて、リオンは飛び上がって足をばたつかせたくなる高まる気持ちをまだ未明の時間のため何とかこらえた。中央を出て国のほぼ中央を走っていた列車も、明け方前には海岸沿いを走り始めていたのだろう。  海の向こうに少しずつ太陽が昇ってくるのが不思議な感覚だった。リオンの住んでいた地域は海には日が沈むのだ。  不意にお手洗いに行きたくなって、梯子をそろりそろりと降りていく。ジルはまだ眠っている時間だろうから内鍵を開けて静かに部屋の外に出た。 (確かトイレは……。こっち?)  起き抜けに揺れる列車内を歩くのに慣れず、ふらふらと手すりを掴みながら歩いていったら、後ろから若い男が歩いてきて、やや強引な様子で少しぶつかり気味にリオンを抜き去って先を急ごうとした。  男は抜き去りざまにちらりとリオンの姿かたちを確認すると、何故か急に足を止めた。 「展望車はこっちじゃないよ」 「展望車?」  声を掛けられて思わず返事をしてしまった。リオンよりは年上だがジルよりは年下ぐらいの年だろうか。熊のように大きな身体をしていて、こげ茶の髪に同じ色の眼。それのまんま熊みたいな、素朴な感じの見た目だ。 「朝日をゆっくり見られる展望室が先頭にあるんだ。一緒に行くか?」 「いや。俺は……。その、お手洗い探してて」  また下を向いたリオンの首筋にオメガ用のチョーカーを認めると、男は僅かに目を見開き、大きく息を吐くと急にリオンの手を取ってきた。 「お手洗いは逆、こっちじゃないから。俺が案内してやるよ」  痛いぐらいに手を掴まれて、リオンは困惑して腕を引こうとしたが、大きな掌で掴み上げられてびくともしない。  リオンはそのまま男に半ば引きずられるようにして元来た方向へ戻っていった。リオンが抵抗を試みるから廊下で靴裏が擦れてきゅうきゅう音を立ててはいるが、なにせ履き古した靴底はつるつるで滑り止めには用を足さないのだ。 「お手洗い、逆なら、ひとりで行けるからいい! だから離せ」 「いいって。いいって。その後展望室も連れて行ってやるから、一緒に行こうぜ。俺も一人旅で暇なんだ。あんたみたいに可愛い子が一人でいるなら、俺の相手をしてくれよ」 「か、可愛くなんかない!」 「俺。華奢で幼い感じの子が好きなんだよ、それに君オメガだろ? なら男とも付き合えるよな?」  聞く耳持たないその男の背中にげしげしと小さく蹴りを見舞うが全く効果がない。そのままずるずると引きずられて行って、流石に怖ろしくなったリオンはジルのいる自分たちの個室の前を通る時に、何とか脚を伸ばしてどかっと扉を蹴りつけた。しかしバランスを崩したところを、男の太く毛深い腕に腰をもって抱えられてしまった。 「あー。いい匂いする。可愛いなあ。俺、オメガの男の子に会うの初めてなんだよな」  トイレの前で離されたら中に閉じこもって助けが来るまで待つしかない。そう思っていたのに男が開けた扉は、その日男が使っていた個室の扉だったのだ。 「なあ。俺とゆっくり話をしようぜ」 「お断りだ! 離せ! この野郎!」  脚をばたつかせて暴れ、抱え上げられていた腕に爪を立てて滅茶苦茶にひっかいてやったら男が呻き声をあげて乱暴にリオンを個室の中に投げ入れた。  どかっと音がするほどの勢いで投げ落とされ、右半身が強かに床に叩きつけられる。少しずつ白んできた廊下を背に、真っ暗なシルエットの男は恐ろしげな顔をしてリオンを見下ろしていた。  そして後ろ手に個室の扉を閉めていき、一歩リオンに近寄ろうとしたので、リオンは眼を剝きながら悲鳴を上げた。 「だっ 誰か! 誰か来て!」  慌てて分厚い掌でリオンの口元を覆いにきた。そのまま伸し掛かられて服の下に手を入れられると、遠慮なく身体をまさぐられ、全身に鳥肌が立つ。 「あー。柔らけえ。静かにしてろよ。静かにしてたら、痛いことしないから」 (ふざけんな! この野郎!! )  ぱしぱしと掌で背中を叩くが頭の上で両手でかしめられ、一瞬口元の手がどかされたのでまた悲鳴を上げる。もはや必死の極みで、頭の中は一人の男の名前でいっぱいになった。 「ジ、ジル! ジル!! ジル!!!!」
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