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衝動
リオンの喚き声に反応し、目を剥き獣のような形相になった男が、リオンの小さな口元に再び乱暴な仕草で分厚い手を押し付けてきた。小作りな顔が災いして、そのまま鼻まで覆われてしまい、息苦しさと固い床にぎりぎりと後頭部が当たる痛みに意識が朦朧とし飛び出した涙で視界が滲んだ。
しかし扉の向こうから光を背に飛び込んできた人影が男の髪を毟るほどの勢いで掴み上げ、リオンの上からその巨体を文字通り引きはがした。
「ゲホッ、ゲホゲホ」
リオンが本能的にわが身をかばう姿勢で丸まったまま咳き込んでいる間に、形勢はまるで変っていた。
「あ……。ああ」
リオンを先ほどまで組み敷いていた男は逆に床に半ば引き倒させた姿勢で、飛び込んできた男に首元を締め上げられ、くぐもった声を上げていた。
暗い部屋の中からは締め上げている方の男の表情は逆光であまりよく見えない。しかし明るい金髪の稜線が朝の光に輝いていた。
リオンが扉を蹴り上げた時に気が付いてくれたのか、ジルが助けに来てくれた。安堵感からさらに涙が零れ、咳き込んだまま何とかか細い腕を床につけて起き上がる。
(ジル、きてくれた)
ジルは日頃の柔和な顔つきからは想像もできないほど、険しく厳しい表情のまま、顔色一つ変えずにさらに太い二の腕に筋肉の筋が浮かぶほど容赦なく力を籠めていく。男が口の端から泡を吹き、白目をむいて脱力し動かなくなると、リオンも気を失わんばかりに怯え、すっかり腰が抜けてしまった。
「う、うう……」
血の気の失った顔で力なく涙を零すリオンに、ジルは男を床に転がすと精悍な口元に笑みすら浮かべたまま立ち上がった。
「お前を害そうとしたケダモノなのに、泣くなんて優しいんだな、リオン」
「し、死んで……」
「狭い場所で立ち回りは動きにくいから締め上げて気を失わせただけだ。息はある。駅員叩き起こすまでここに縛り上げて転がしとくか」
「……良かった」
正直リオンにいきなり襲い掛かってきた最悪のいけ好かない男だが、警察官であるジルが自分のせいで人殺しになるのは避けたかったのでほっとした。
リオンは男に嬲られ乱された衣服から、真っ白な細い腰や小さな胸飾りを晒し胸元まではだけられた煽情的な状態でぺたりと両足を床に着けたまま項垂れる。
するとジルが簡単に砕けそうなほど繊細でごくごく小さな頤に手をかけ、自分の無力さから泣きぬれて俯く顔を上げさせた。
髪と同じく色が抜けた白い睫毛についた涙の雫が朝日に輝き、赤く擦れた目元はこんな有様なのにそそるほどの色気を湛えている。
ジルは寄る辺もないような風情のリオンにある種の庇護欲と、それ以上に飢えるほどの強烈な独占欲が湧きおこるのを感じ、それが身体をビリビリと駆け抜けることに身震いした。
そのままその感情に身を任せ、下腹部に熱くうねるような衝動に突き動かされる。ジルが乱れた金髪の下、薄いトパーズのようにも見える瞳を窓からの朝日に光らせながら、微笑み、その笑みがいっそ恐ろしいほどの凄みのある声で囁いた。
「こんな、甘い香りをぷんぷんさせて、なんで勝手に部屋を出たんだ? ベータの男にだってオメガのフェロモンが効くんだ。今頃無理やり押さえつけられて、犯されていたかもしれないんだぞ」
眼が怖いなんてものじゃない。柔和で端正な顔で誤魔化されていたが、その強い眼差しは猛禽類のそれのようだ。逆らったらリオンこそ屠られそうで、身を竦ませながらもはや何の言い逃れもできずに恥ずかしそうにぽつりとつぶやく。
「……お手洗い、いきたくて」
「俺を起こせばよかっただろ。昨日いったよな? オメガが密室にいていい匂いをさせてきたら、たまらなくなるのが男なんだよ。お前に悪気がなくても、それが事実で実際こういうことが起こる。体調を崩すかもしれないから抑制剤はぎりぎりまで飲まない方がいいと思ってたが……。薬を飲むか、これから俺と片時も離れないか、どっちがいい?」
昨日薬剤師から市販の抑制剤の軽くない副作用の危険性について重々教えられていたところだ。そもそも身体は丈夫で、また家が貧しかったこともあり薬はまず飲んだことのないリオンにとって、いきなり知らない強い薬を服用することには抵抗と恐怖があった。
リオンが涙を零しながらふるふると首を振り、いつもの如く項垂れると、ジルが焦れたように舌打ちをし、今度はリオンの首輪に手をかける。そして無理やりにその顔を自分の方に向けさせた。
「ううっ……」
リオンはまるで自分をペットか何かのように扱うジルの乱暴な仕草に身をこわばらせた。
そのまま端正な顔が唇がつかんばかりに近づけられ、優しいばかりの男と思っていたジルの怒気を孕んだ仕草にぞくぞくと背筋を震えが駆け上がる。
「リオン? 他の男にまたこんなことをされかけたら、俺がお前を二度と誰も誘えない身体にしてしまうからな。俺の傍を離れるなよ」
その言葉が意味していることにリオンは震え、涙声をあげた。
「さ、されないから。離れないから!」
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