830人が本棚に入れています
本棚に追加
アルファはその気になれば何人でも番を作ることができる。リオンの育った街にいた屋敷の旦那様もそうだった。初めに番になった相手以外のフェロモンは効かなくなるが、発情期に性交して噛みつきさえすれば番を増やせる。そしてそのままそのフェロモンで相手を支配できるともいえた。
今更ながらとんでもない猛獣と共に旅をしていることに気が付いて、さらに彼に荷物も首輪の鍵すらも握られていることに戦慄を覚えた。
(ジルは番になりたい人が別にいても……。俺のことを番にすることもできるんだ。アルファって……。怖ろしい……)
リオンの首輪から手を外され、リオンはへたりと床に突っ伏しかけた。しかしジルがそのままリオンの細腰に両手をかけて軽々と肩に担ぎあげた。
「な、なに!」
「お手洗い行きたいんだろ? こいつもすぐには目を醒まさないだろう。連れてってやる」
再び始まる子供扱いに文句を言いたい気持ちが浮かばぬほど、この男のことが恐ろしくなってしまった。
本当にお手洗いのある扉の前まで来てようやく降ろされて個室にはいると身体の震えはましたが心はどこかホッとしていた。
それは扉の前に立つジルも同じだった。大きく息をついてから、背中を扉に預けたまま長い脚を組み、車窓から南部に入り緑の増えた山側の景色を眺めて、冷静さを取り戻そうとした。
(さっきはやばかった……。我を忘れかけた……)
怯えきったリオンの表情が頭から離れない。
およそ今まで人に対してそれほど感情をむき出しにすることなく生きてきたジルだ。いつでも余裕をもって人と如才なく距離感と節度を持って接してきたつもりだ。我を忘れて奪おうとしたのは後にも先にもセラフィンだけだっただろう。それほど欲しかった。しかしそれはフェロモンが起こした衝動ではない。純粋な心から欲しいという恋慕の情から来るそれだった。
リオンはあんなに幼げな容姿をしているがオメガだ。それを知っていたのに、どこかそこに軽く溺れてみたい悪戯な感情が自分の中に芽生えていなかったとは全く否定できない。
正直右も左もわからないような田舎から出たての少年で、しかもオメガとの二人旅など厄介事極まれりだろう。
愛するセラフィンが初めてハレヘへ兄弟を訪ねていくと聞いた時、矢も盾もたまらぬ気持ちになって同行を切望したのはジルだ。
セラフィンの兄の美貌を写しとったポスターがそもそもセラフィンとジルとを導いたようなもので、常々彼に会ってみたいと思っていた。
そのくせ幸せそうなセラフィンとヴィオと一緒の汽車に乗っていくのは気が進まずに、ぐだぐだと理由をつけて数本遅れた列車に乗ろうとした。
そこであの交番に立ち寄り、リオンを託されたのだ。
連れがいたらまあハレヘには絶対に行かねばならないから好都合かもしれないと思いなおした。頼まれごとだからと思っていたが何事も面白がってしまおうとする性格なのもあって、この状態を楽しんでみようと、何でも茶化す調子に乗ると出る悪い癖が出ていた。
まだ真っ新で、発情期もまだのオメガと、心躍る南への密室の列車旅。
たった二日程度の小旅行。
いつか将来ちょっとした酒の席で悪友と面白がって語るような話の類の一つになるだけの僅かな時間。それにリオンを利用した。リオン自体もジルに頼っているのだからお互い様だろうといえた。
仕事柄、自制心には自信があったし、オメガの連れがいるような高揚した気分に少しだけ浸って、久しぶりになんの煩わしさのない程度に疼くような甘い感情でだけで心を揺らしてみたかった。
つまり自分に都合のいいような感情をただ一時湧きあげるだけの、旅の間だけの疑似的な恋愛ごっこ、子供の児戯のような、軽い遊びの一環に過ぎないつもりだった。優しくして親切にして甘えさせたら、きっと純粋に懐いてくれるだろうと思っていたし実際にそうだった。セラフィンが幼いヴィオにしたようなひたすら甘やかで優しいそれを、自分も真似てどんな気分か、ちょっとだけ味見する。ただそれだけだったつもりなのに。
(あんな子供相手に、洒落にならない、許されることじゃない。俺がまた怯えさせてどうするんだよ! ただ、昨日みたいに親切にして、助けてやって、懐かせて……。甘えてくるところをみるとか、そんなんで十分だったんじゃないか? さっきのリオンのあの顔! 二度と俺を信用しなくなるだろ、あれじゃ)
猛省しつつ、だがどこかでまだ湧き上がる怒りのようなものが腹の奥に熾火のようにくすぶったまま消えていないのを感じる。しかもそれはあんな暴力に晒されたリオンを憐れんで、床に無様に転がった男に対して覚えている怒りではない。もっともっと自分勝手、自分本位な感情。
先程男に組み敷かれているリオンを見たときに浮かんだ暴力的な衝動は、自分でも説明がつきようもない。
あの男をそのまま絞め殺し、自分がそのままリオンを組み敷いて我が物にしてしまいたくなるような危険な衝動。
(近いのは……。自分の獲物を横取りされたケダモノ、そんな感情だ)
休暇に入って抑制剤をきちんと服用していなかったのが仇になったのだろう。
発情期も来ていないような未成熟のオメガといたからと言って、自分がどうこうなるとは思わなかった。なのに昨晩、部屋に漂うリオンの甘い香りに何度も何度も乾きを覚えていた。上の段の寝台から小さな身体を抱き上げて、抱えて眠ってしまいたくなる衝動。いや、それ以上のことすらしてしまいそうな。
まさか子どもだ幼いと思っていた少年に対して、よもやこんな感情を覚えるはずはないと思っていた。
自分で自分の自制心を過信していたが、アルファの本能に支配された目で見たリオンは、白くて柔らかくて、すべてが甘美で。頭から小さくほっそりした脚の指の先まで食べつくしてしまいたくなるほどに妖艶で艶めかしく見えた。
男に乱された服から覗いた、片手で掴めそうなほど細い腰。
真っ白で赤子のような柔そうな肌に、桃色の小さな胸の飾り。
泣きぬれて赤く色づいた小さな唇に、潤んだ大きな瞳。
そしてあの林檎のような甘い優美な香り。
輝く明るい色の髪を一振りして迷いを振り払おうとしたが、ジルは無意識に犬歯を一舐めし、扉の向こうにいるリオンのとくとくと波打つ首筋を思った。
☆こんばんは。せっかくジルを好いて下さる方もいるのに、ジルの好感度が下がらないだろうか……。そもそも彼は元々は欲しいものは欲しい、何でも面白がる、そして酷薄さと甘さが絶妙にブレンドされた男なんです。ここでセラフィンなら相手をキスして優しく抱きしめるところですが……。
今回はBGMは女王蜂をガンガンかけてます。
彼ら特有の、妖し気で切なく、駆け引きと本能な感じになってます。
最初のコメントを投稿しよう!