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リオンを横抱きにしたまま、ゆっくりと湯につかっていくと思った通り深さがあった。ジルは底に沢山ひかれた白い平たく丸い石の上にざりざりと音を立てて乗りながら慎重に腰を下ろしていった。
そのままゆるく膝をたて、浮力を使って腕の力だけでリオンを抱えながら風呂につかった。ぷるぷるっとリオンの肩が震えて静かな明け方の屋外に小さな水音が立つ。
「熱いか?」
「大丈夫。温かくて気持ちいい」
そんな風にいってリオンは細い手足をそろそろと伸ばした。
恥ずかしいだろうと思ってリオンと同じ方向を向いて抱えているわけだが、ジルの方からは逆に遠慮なくリオンの姿が見ることができた。
風呂の湯舟にふわふわと浮く身体は髪から手、透明な水の中白い石の間に浮かぶ足先までミルクを流してできているかのように全身が真っ白だ。衣服に覆われていることの多い身体の方にはそばかすが少なく見えた。
リオンが顔を洗う猫のように懸命に自分の顔や髪に湯をかけて汚れを拭っていくさまがなんだか健気で愛らしくすら見える。
(なんだろうな。小動物系のずっとみていたくなるような動きをするんだよな)
子猫や子犬をずっと観察して愛でているような感覚なのだ。けして不埒な考えではないと自分で自分に言い聞かせて、ジルも片手で自分の顔にお湯をつけてぴしゃっと拭った。
リオンの故郷はいざ知らず、髪まで色が抜けているようなリオンの容姿は中央でも人目を引いていた。リオンの故郷と同じ漁師町でも男女ともに逞しく日に焼けたものの多いというハレヘにおいても、きっと目立つことは間違いなさそうだ。陽気で明るいハレヘの街で、リオンはこのまま幸せを掴んでいけるのだろうか。それを見届けられないのは至極残念な気がした。
しかしそれ以前の問題で……。
(市販の抑制剤が効かないこんな華奢で小さいの……。俺が手放したら即、誰かに喰われちまうだろうな)
むしろ中央まで無事に出てこられたこと自体が奇跡だったのかもしれない。
その上でよくぞ交番まで運よくたどり着いたものだ。
しかし同時にここ数日で一気に香りが強くなってきたのは、やはりアルファである自分と共に行動をしたからではとうぬぼれる気持ちも浮かぶ。
以前ジルはアルファとしての力が強いと、同じアルファであるセラフィンから言われたことがあるが、それを実感したことなど今までなかった。
ただちょっと気に喰わないやつに対して凄んでいるときなど、大抵一睨みで相手の威勢を削ぎ、黙らせられる。そんな時はったりだけでなく相手に向けてそういう牽制のフェロモンをジルも出しているとは親友の見解だ。
故郷にいる間に誰の番にもされず、ベータの男たちから襲われることなく過ごしていたリオンがオメガとしての本性を露わにし始めたとしたら、それは無意識にアルファであるジルを誘っているのか、もしくはジルがリオンを……。
(俺の傍にいるなら、ずっと守ってやれるのにな)
無意識にそこまで考えがいたるが、ジルは自分が思った以上にリオンに惹かれていることをどこか認められない自分がいる。
アルファとオメガがただ単に本能だけで結びつこうとする関係がどうにも嘘っぽく感じるからだ。
そんな迷いの中、滑らかな膝裏に手を入れていたが浮力で身体があまりに揺らめくからジルの立てた膝の上に尻を乗せて固定してやる。すると小さな尻の柔らかさが伝わってきて息をのんだ。
(もっとやせ細っててごつごつしているのかと思ったけど……。やっぱり柔らけぇ。オメガだからか、まだ子供に近いからか?)
骨が浮くほど薄く細い背中。昼間苦し気に震えていた小さな身体。苦しそうだったので外してしまった首輪の嵌まっていない、子供のように華奢な首筋。
オメガにとってなによりも大切な部分である項が、夜が明け雲間から一筋の光が差しこんできて、朝日に水滴がついてきらきらと眩く輝く。
真っ白く発光したような細い首筋が、まるで天啓でも降りているかのように、無防備にジルの目前に晒されていた。
ジルはその神秘的ともいえる光景に大きな瞳を見開き、眩しさから再び目を細めながら前から片手に余るほどの縊れそうな鶴首や小さな顎に手をかけて、魅せられたようにゆっくりと顔を近づけていく。
「ジル?」
首筋にかかる熱い吐息に気づき振り返る前に、ジルの唇がリオンの細い首筋をなぞる様に押し当てられた。
「んっ……」
柔らかな唇が何度も首筋を往復し、瑞々しく甘い桃にでもあり付いたかのようにむしゃぶりつき、舐め、吸い上げる。丁寧で優しげだけれど生々しいその感触にリオンはぞくぞくと身を竦ませた。
それはリオンの人生においてはじめて人から優しくも情熱的に求められたと思わせる触れ合いで、どうしていいか分からずただ身をこわばらせた。
何より戸惑っているのは、昨日のあの暴漢とは違い、ジルからもたらされるこれらの刺激を心地よく感じてしまう自分がいること。そしてそんな気持ちに呼応するかのように首筋から伝わる言いようのない刺激が何故か腹の奥底の部分と通じているかのような、その奥が疼くような言い知れぬ感覚までも湧きおこる。
「ハアっ……。ああ……」
段々と身体から力が抜けていき、顔をこてんと力なく倒したリオンはされるがまま、甘い小さな吐息を吐いてうっとりと瞳を閉じた。
硬く強靭なジルの腕の中、暖かなお湯に揺蕩って、夢見心地の感覚に陥って全てを彼に委ねたくなる。
しかしジルのしっかりと大きな犬歯がちくりとリオンの首筋につき立ちかけた時、ぴしゃんっと水音をたて、リオンの手の平が思わず水面を弾いた。
「こ、怖い」
本能的に恐れとそれ以上に快感を感じてリオンは思わず声を上げた。
その小さな悲鳴に、ジルは我に返ってリオンを無意識に抱えていた身を起こし、僅かに身体を離した。
「ごめん。つい……」
(ついってなんだよ!)
自分で口をついた言葉に驚いて焦り、これはアルファの本能なのか真心から来るそれなのか、図ることをやめたジルは、小さなリオンの身体を造作もなくくるりと回して向かい合わせに膝に座らせた。
向かい合わせになると途端に恥ずかしそうにリオンはまた項垂れたから、ジルは気持ちを切り替えるように大きな手を合わせてひしゃくのようにしてリオンの天辺からお湯をとろとろと流してやった。
「うへっぇ」
変な声を上げてリオンが子ネズミのように顔をくしくしと手で拭う。面白くなって何度も繰り返したら、そのうちリオンが真っ赤な顔をして顔を上げ、小さな唇を尖らせながらジルを見上げてきた。
「や、やめてよ」
少し元気になった顔をみて、リオンの垂れた前髪を後ろになでつけてやって、朝日に浮かぶ小さな白い顔を、白日の下に晒してやる。
瞳の中に光がさして、彼独特の向日葵の花を葉っぱごとくるくると溶かして入れ込んだような可愛らしい瞳がジルを困った顔をして見上げてきた。
目が合うと言いようもない愛おしさが胸に溢れて、ジルはたれ目がセクシーと表現される魅力的な笑顔を浮かべてリオンの小づくりな顔を、一度両の掌ですっぽりと覆い、丁寧に拭った後にこう呟いた。
「リオン、お前このまま俺と一緒に中央に戻らないか?」
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