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診察室
診察室に呼ばれると、中にいた医師を一目見てリオンは呼吸を忘れ、動転するほど驚いた。ジルの友人だというその医師が彼がこれまで見たこともないほどの美貌の持ち主だったからだ。
「ああ、この子か。お前がハレヘに来るのをすっぽかして、中央にとんぼ返りした原因の子」
先生の真正面にくる回転椅子を勧められ、リオンはそこに素直にストンと着席する。先生の知的な眼鏡の向こうにある瞳は、旅先の早朝に窓から見えた海の青に似ている。黒く濃い睫毛に彩られたなにかも見透かすようなその美しい目に見つめられたから、リオンは胸をどきどきと鳴らし、余計に緊張を高めてしまった。
(凄く綺麗な男の人だ。ジルの友達だっていうし、きっとアルファなのかな?)
華やかな美貌の持ち主であるがけしてなよなよとはしておらず、白衣に包まれた上半身は着やせしてみえるが、持て余すように座っている様子の長い脚からかなりの長身と見て取れた。
故郷を出てからアルファを実際に見たのは屋敷の旦那様とジルの二人。旦那様はともかく先生の眉目の秀麗さと漆黒の髪は、煌く金髪と優しげだが男っぽい面差しのジルに匹敵するような圧倒的な存在感が溢れている。それがリオンの目にとても眩しく映り、気後れするほどだ。
(先生はジルの友人だって言ってたけど……。)
ジルと並んでも肩口までしか背丈のいかないちっちゃなリオンと比べたら、いかにもお互いがお互いに相応しい凛々しい親友同士といった感じだろう。
「おいおい、先生。番持ちの癖に、そうして誰彼構わず魅了するのやめてくれないか? セラにそんな風に真っすぐに見つめられたら誰だって目が眩んで、石になったみたいにカチコチに固まっちまうだろ?」
いいしなジルがリオンの背後に立ち、ふわりと長い両腕を回して小さな身体を囲うと、まるで無意識に他のアルファをけん制するかのような姿勢をとった。
セラフィンは僅かに瞠目すると何かを感づいたように形良い片眉を上げ、ある種、喜びから溢れた微笑みを薄っすらと唇に這わせた。
「そうか。じゃあ。俺の診察は後回しだ。リオン君には念のためもう一度バース性の検査を受けてもらおうかな? 隣の部屋に看護師についていっておいで。終わったらまたここに呼ぶから。採血あるけど大丈夫かな?」
そんな風に子どもに言って聞かせるようにセラフィンが穏やかに話しかけてくれたから、またもきっと成人していないものの扱いをされていると思ったがリオンはもはや諦めた。
中央ではまた一層、リオンはとにかく童顔な上華奢だと、どこに行っても思い知らされたからだ。今着ている白いニットのチュニックを買った時もそうだ。ジルのお気に入りのお洒落な若い男性向けの衣料品店の型と大きさが合わず、隣にあった同じ系列の女性向けの種類を勧められた。
鎖骨が出るような首元で裾も少し長めの女性らしいシルエットだったから、絶対に似合わないし、大きさも合わないと抵抗したのに無理やり着せられ、結果
悔しいことに大きさ丈もぴったりだったのだ。
むしろ胸元に余裕があるせいで少し大きめですらあった。とにかく骨格自体がこの国の平均的な成人男性に比べずっと華奢にできているようでいたたまれない。店の人にも褒めちぎられ、ジルも面白がってその服をいたく気に入ってしまったため、それをそのまま着て帰る羽目になった。今日羽織ってきたコートも明るい黄色。これも形は男性ものだが、中等年学校の子どもが着るものらしい。ちなみに丈の関係でズボンも同じ店のものだ。
『ほら、身長伸びて大きくなったら買い足せばいいだろ? 今は似合っているからそれ着てろ。可愛いぞ』
眼に涙を浮かべる程、腹を抱えて笑ったくせに、そんな風に褒めてきて当然男子としてのリオンの心は複雑だった。ジルは何でもできるいい男かもしれないが、自然体で取り繕わぬ時の彼の性格はやたら人のことを揶揄って、面白がってきて、少しだけ意地悪だとも思い知ったのだ。
リオンが隣の部屋に行ったのを見届けてから、セラフィンは椅子に座ったまま眼鏡をはずして机に置くと、顎をしゃくってジルに着席を促した。
「セラ。お兄さんと再会できたんだろ? 沢山話ができたか?」
「ああ。ゆっくり話もできたし、ソフィアリが作り上げたハレヘの街を実際に見て回れて、本当に良かった。だけどな、俺はお前が後から来るかと思って、ぎりぎりまで向こうで待ってたんだぞ。後から白亜館にお詫びと兄さんにお前が来ない旨を話したが……。理由が分からなかったから心配したぞ」
「すまない。急なことだったから中央に戻るまで連絡ができなかったんだ。申し訳なかった」
そんな風にジルが素直に詫びたら、セラフィンが顎に手をやり意外そうな顔をした。
「お前、いやに素直だな?」
「先生……。俺のことなんだと思ってるんですか」
「そうだな。とにかく押しが強くて我が道を行く快楽主義者」
「ひどい言われようだな。あれだけ先生に尽くしてきたでしょ?」
ジルが頭を掻くと、セラフィンは以前より短く切った艶やかな黒髪を乱しながら大きく首を振った。
「いや。お前は誰より愛情深くて、誠実ないい男だよ。あの子のことも、放っておけなくなったんだろ? 好きなのか?」
「好き……、かと言われれば、まあ好きだろう」
実はちょっとだけひねくれた部分を持つジルの、そんな煮え切らない回答に、セラフィンは自分自身ずっと年の離れたヴィオにどうしようもなく惹かれ愛してしまった時の戸惑いを懐かしく思い起こしていた。
「素直じゃないな。お前があれだけ入れ込んでいるんだ。俺にだってとても大事にしているんだなってわかる。特にあの首輪、さりげなくお前っぽい趣味満載だったしな。番になるのか?」
セラフィンの鋭さにジルは椅子を少しだけ回転させ、ふいっと目線を反らして自嘲気味に声を押し殺す。
「それを選ぶのはあいつの方だ。俺が選んだら……。それは立場を利用した搾取じゃないとどうして言えるんだ?」
そんな風に彼が真面目に受け答えをしていることに本気を透かし見て、セラフィンは大きく唸って腕を組むと、蒼い目を見張ってまじまじとジルの顔を見つめ見返してしまった。
「お前って。時々すごく堅物だよな」
かつてどうしても欲しくて仕方なかった目の前の男を、この手に堕としかけた時ですら、ジルは最後の最後は自分本位になれなかったそんな優しい男だ。
「先生にそんな風に言われる日が来るとはな……。自分はあんなに幼かったヴィオが大きく育ったとみるや、一飲みにしたくせに」
「それは確かに否定できないな……。でもヴィオもあの時成人していたし、リオン君も身体は小さいけれど書類上は成人はしているようだから問題ないだろう? まあ、北部の身分証明書は戦後のごたごたの後に作られてあまりあてにならないけれどな」
「……北部と中央では終戦の年の考え方も2年誤差があるとは聞いてたけれど、じゃあ、もしかして成人していないかもしれないってことか?」
「だってあの子、どう見ても成人っていうには無理があるだろ?」
北部辺境伯の統治するリオンの故郷であるブシャドは中央では終戦とされた年よりも2年以上は国境沿いの地域で敵国の残党と戦闘を続けざるを得なかった激戦地だ。傷ついた北の地は復興も遅れ、中央から以南が戦争の記憶が薄れた5年後もまだ立ち直れていなかったという。
そのため市民の登録をする調査も遅れに遅れていたとは聞いたし、それによる間違いも多発していたとの話だ。
リオンが成人していないかもしれない。
華奢さとあどけなさを見るにつけ、思い当たることが多すぎて、流石にそれはまずいと警官としての立場上は、さあっと血の気が引く。
「なんとも言い難いけれど、誤差が少なくとも2年ということは本人が18歳と言っているならそれより若くて16歳といったところだろう? 17歳から遅くとも18歳までには初めての発情期が発現するだろうから、仮に書類通り18歳だとしたらきっともうじきだろう。初めての発情期をどう迎えさせてあげるのか、よく考えておくといい。お前が番にするのか、それとも信用のおけるオメガやベータの女性に付き添わせてなんとか越させるかだ。いいね?」
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