木戸をこえて

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木戸をこえて

 寮の人たちの夕食を出し終え、片づけを済ませるとやっとリオンと母の一日は仕事は終わる。寮に住んでいる人は20人程度で、日によって食べるか食べないかを一週間ごとに申請してもらっている。今日は食べる人が少ない日だったので片付けも早く終わった。  夕方に一度軽食を食べてから夕方からの仕事に当たっているが、リオンは仕事が終わるころにはまた腹ペコになってしまうので、宿舎に帰るともう一食食べなおす。母と向かい合って食事をとるのは故郷の頃と同じだが、格段に量と内容のボリュームが上がった。 「今日も沢山作ってしまったわ。リオンには沢山食べてほしいけど、私は毎日こんなにいただいたら、太っちゃうわね。そんな心配ができるなんて幸せだわ」  母のローラが故郷にいたころよりふくよかになった頬で、毎食ごとにそういって幸せそうに笑ってくれるから、リオンはここに来られて本当に良かったと思う。正直ジルがいなかったらこうして二人でこうして笑いあって暮らすことは叶わなかっただろう。本当に、ジルへの感謝は計り知れない。 「女神様。日々の糧を我にお与えくださり、ありがとうございます。いただきます」  今日は鶏肉を一晩タレに付け込んで焼いたものと、イモをふかして潰したものに、酸味のあるクリームをかけたものや、葉物野菜をさっぱりと煮たスープ。基本的には母の手作りのそれを、向かい合って食べている。  普段ならばあっという間に食べ進めていくリオンだが、今日はなんだか様子が違っていた。思えば寮での食事の準備や片付けの時もそうだった。皿を取り落としかけたり、同じ卓を何度も拭いたり。今もイモを口元の運んだものの、  ころりんと円卓の上に転がってくのをぼんやりと目で追い、慌てて手で掴んで口の中に放り込んだ。 「どうしたの? リオン体調悪いの?」 「え。いや……」 「だって全然食べていないじゃない? いつもなら今頃お代わりっていってるでしょ? 」 「すっごい元気だよ」  そう別に悪いところはない。ただ、リオンは昼間の出来事が何をしていても気になって仕方なくて……。人生で初めて大事な食事の時間を疎かにし、かつ、母に心配をかけてしまったと反省する。 (マーク、なんだって急にあんなことしたんだろう。あ、あんな……。誰かに見られたりしたらどうするんだよ。もうちょっとで母さんにも見つかるところだったし、あ、でも見つかった方が良かったのか? ああもう、わかんないよ)  しかし流石に昼間あった出来事を母には相談しづらくて、かといって誰に話せばいいのかといえば皆目見当がつかない。 (強いて言うなら、何でも相談できたのはマークだったんだけど……。そのマークにキ、キスされたなんて……。しかもなんかちょっといやらしい感じだったし、恥ずかしくてどう説明したらいいか分からないよ。うーん。ジルに話してみたら、どんな顔するのかな? 嫉妬したりしてくれる? ……なわけないよね。ジルなんて多分俺のこと、世話の焼ける弟か何かだと思ってると思うし)  ジルが来るたび土産に持ってくるものと言ったら甘いお菓子の類が多くて、絶対に子供扱いされていることは確かだ。あれからも無理やり買い与えられた服は可愛い感じのものばかりだし、ブシャドでリオンの年齢が本当は18歳でないとしれてからはずっともっと小さい子扱いだ。 「食事をいただいたら水晶柑食べる? それともジルさんが来るまで待っている?」  水晶柑の単語に反応して思わずむせ返るリオンに、母親は息子とよく似た童顔をこてんと横に倒した。 「あらあら。どうしたの? 変なところに入ると大変よ。お水飲みなさい?」 「だ、大丈夫。ご馳走さま。俺ちょっと疲れたから横になるね。ジルが来たら起こして」 「あらあら。わかったわ」  リオンは寝付きが良いから一度寝たら起こしても中々起きないだろう、と母は思ったが息子がそういうのでは仕方ない。  ジルが来るまでの間、ちょっと一人になって考え込みたくなり、リオンは木造一軒家の宿舎内で自分専用にしてもらっている二階の部屋に続く階段をぎしぎし言わせて駆け上がった。  開けた窓からはちょうど真下に夕闇のなかぼんやりと木香薔薇の伝う塀が見える。  甘い香りが部屋の中まで漂う中、リオンは硬めの布団が敷かれた寝台に電気もつけずに仰向けにごろりと横たわった。 (マークが急にあんなことしたのって……。あれが原因かな)  心当たりがあるとすれば、それはマークが夜勤に入る前だから昨日の昼間のこと。ちょうどマークが昼食を寮の食堂で食べていた時のことだ。寮では昼食は出さないけれど、お茶はいつでも飲めるので、なんとなく買ってきたものを食堂で食べているものも多い。  マークもパンを食べ始めたから、リオンも家から持ってきた昼ごはん広げて並んで食べていた。  リオンにとって初めての中央の夏が近づいて、最近では厨房にいると北国出身のリオンには少し暑いなと感じる日もでてきた。  首輪のあたりが特に汗が溜まりやすくて、なんとなく無意識に首との僅かな隙間から細い指を入れて掻いたりしていたら、マークに首筋を触られて「ひゃあっ」と声を上げた。  その時マークから肌が少し荒れて赤くなっていると指摘されたのだ。 「夏場はもっと風通しのいいタイプのチョーカーもあるよ? 俺は姉がオメガだからそのあたりが詳しいんだ。良さ目な首輪(チョーカー)を見繕ってあげるから、一緒に買い物にでも行かないか? もちろん俺が買ってあげるよ。いつもうまいものを食わせてくれるお礼な?」  親切にもそんなふうに心配してくれて、中央では若いオメガはその時々服装に合わせてチョーカーも変えるからおかしなことではないと熱心に説得された。  でもリオンにとってジルから贈られたこのチョーカーは何物にも代えがたいもので、変えるつもりはなど毛頭なかった。  しかし実際のところ、夏になるまで気が付かなかったが、堅牢な作りのチョーカーはモノはいいけれど、ちょっと、かなり、暑い。  だからといってジルに夏用のチョーカーを強請るわけにもいかないから、中央の夏は短めと言うしこのまま我慢しようとも思っていたところだった。  それでもマークが珍しくしつこく食い下がってきたから、彼が諦めてくれると思って仕方なく「この首輪は鍵を別の人が持ってるから、自分では外せない」と告げたのだ。本当に鍵は未だにジルが持っていて、彼が早くに帰ってこられる勤務時間の時にはリオンが風呂に入る前に首輪を外すためにジルは夜な夜なやってくる。それ以外は独身男性ばかりの寮で仕事をしているということもあり、つけっぱなしになっている。最初は中々慣れなかったけれど、一度列車の中で怖い思いをしていることもあるのでジルの言う通りつけを頑なに守っている形だ。 『俺がいないときはこれがリオンを守ってくれるんだ。俺だと思って肌身離さずつけとけよ?』  そんな風に言って、丁寧にチョーカーをつけて直してくれる時に首筋にあの日の温泉のように優しく口づけてくれる。ジルの柔い口づけはご褒美のようで、リオンはとびきり大好きだ。くすぐったくて、へにゃんっと腰が砕けそうになるけど、恥ずかしくてそんなことそれこそ誰にも言えない。  今日がまさにジルが夜に来る日なので、あんなことがなければ、今頃ジルを待って外へと続く木戸の辺りをうろうろしてしまっていたかもしれない。仕事が急に入らない限りは寮の方の門からではなく、宿舎に住んでいるリオン達だけが持っている裏の木戸を開けてリオンのチョーカーを外しにやってくるのだ。 (そういえば……)  しかし今思えば、チョーカーを自分では外せないという話をした時、マークの顔色が少し変わったようにも見えた。 「誰がその鍵を持ってる? リオンはその人と番になるのか?」  そんな風に詰め寄られたけれど、首輪はリオン自身の身を守る為に必要なもので、鍵を持っている人はリオンの後見人になってくれている人だから、番になれるわけじゃない。でも番のいないオメガである以上身を護るために言いつけにしたがってつけっぱなしにしていると教えたのだ。  その後マークは急にやる気を出したように「俺がなんとかしてあげる」といって、リオンの頭をくしゃくしゃに撫で回したあと、少しがたがたと気ぜわしく席をたって仕事に行ってしまった。  それが昨日の「その首輪、俺が外させてやる」発言につながるのだとしたら、マークになにか多大な勘違いをさせているような気がしなくもない。 (本当はさ、ジルと番になるから、いいんだって言えたらどんなにか、よかっただろう……)  そんな風に思っては今もまたため息をつく。  出会った時からずっとリオンはジルに迷惑のかけ通しだ。  しかもジルは他に好きな人がいたのを諦め、傷ついた心を癒そうと旅に出たのに、それ自体を取りやめて抑制剤で体調を崩したリオンのことが放っておけずに中央に戻った。あれから半年、されど半年。ジルはリオンにとってはずっと大人の男だから、中途半端な気持ちを抱えたままなのかも、失恋の痛手から立ち直っているのかもわからない。  中央でリオンをその時住んでいた部屋に住まわせた後より、弟を世話する兄のように、いつでも気遣って、大切にしてもらっている。  住むところから仕事の世話までしてくれて、故郷に母を迎えにいった時、リオンが村の人たちに逃げられないように倉庫に閉じ込められた時も、ジルが助けに来てくれた。その時、みんなの前で自分が番になるのだからと嘘までついてリオンをかばって中央まで連れ帰ってくれたのだ。  もしかしたら、今ならリオンがジルに頼めば、同情から番にしてもらえるかもしれない。番にしてもらえたらならきっと、天にも昇るほど嬉しいと思う。でもいつかまたジルに心の底から大好きな人ができて、その人の事も番にしたら……。そんなことを考えたら辛すぎて、リオンからは口が裂けても番にして欲しいなんて言えなかった。
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