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出会いは偶然
中央の警察官、ジルが私服姿で中央駅前交番を訪れたのは、警察の寮に入居していたころ相部屋だった後輩が勤務していたからだ。
今はジルは退寮し一人暮らしをしているため、彼らが共に寮生活をしてた時期は僅かだったが、地方出身でとても人懐っこい弟分の彼のことは、その後も何かと気にかけ懇意にしている。今日は非番のジルが甘党の彼が好む菓子をこっそり携えてやってきた。
中央駅前の交番勤務は中央の他の交番と比べても煩雑且つ激務だと言われている。ジルも新人の頃経験したことがあるからよくわかる。国一番のターミナル駅のため、東西南北にそれぞれ交番があるが、特に南北に長い国の性質上、南北から多くの人々が流れ込み、その分揉め事や困りごとも多く集まるのだ。
後輩は真面目な性格だが情にほだされやすくてかつ、頼まれごとを嫌とは言えないお人よしだ。寮にいたころも頻繁に先輩にこき使われていて、ジルはそんな彼を心配し蔭に日向になんとなく助けてやっていた。
本来ジルは特別に気にかけたもの以外にはつかず離れずの良い距離感を保ち続ける性格であるし、厄介事に好き好んで首を突っ込むお節介焼きではない。
自分自身のことにおいては何時でも如才なく立ちまわるのが得意だ。
日頃の彼の一見都会的で冷淡ともいえる部分を知る人からしたら、わざわざ不器用な後輩一人を気にかけるような性格でもないとわかるはずだ。しかし寮に彼の母親が訪ねてきた時に一生懸命に頼りない息子のことを頼まれてしまって、無下にできなかったのが本音だろう。
母親一人に姉と自分。そんな三人家族で育ったジルにとって、なんとなく母親や年上の女性からのからの必死のお願い、そんなものに弱いのだ。それ以来、今でもたまに飲みに行ったりこうして顔を見に行ってやっている。
今日も他の街の交番より少し広い中央北口交番には三人が詰めていた。たまたま残りの二人も顔見知りでジルを見ると嬉しそうに会釈してくれたのでジルも男女問わず人気のある柔和な笑顔で明るく返した。
当の後輩の方はといえば奥の方で何かの対応をしていたらしく、ジルの姿を視界の端にとらえると飼い犬のように嬉しそうに駆け寄ってきた。
「ジルさん! ために貯めた休暇をまとめて、どどんっと取ったって! ついにどっかに隠してきた幼な妻の番を迎えに行くんじゃないかって、寮のやつら、みんな噂してましたよ!」
そんな下世話な噂になっていたとは、思いがけない話にジルは呆れながら持ってきたお土産を簡素で小傷の多い机の上に置き、愛想だけは抜群に良い後輩を見下ろした。
「幼妻って……。なんだお前ら? 寮でそんな噂話してるのか? 相変わらずみんな暇だな。これ、差しいれ。お前の好きな、あれだ、あれ。いつものあれだ」
「うお! プリンタルト!! 嬉しい!!! 甘いもの食べたかったんだ! 今、俺たちの寮、食堂でご飯がでなくて寮生全員外食してるんですけど、遅く帰ると店も開いてないし食べるとくいっぱぐれることも多くて……」
そんな風に言いながら、まだ仕事中なのにタルトの箱を開けかけた手を礼儀作法に煩い母に育てられたジルはぱちんと叩くと、へへっと照れ笑いする後輩の手から箱を取り上げて他の職員に手渡しながら怪訝に思った。
「え? 今寮の食事ないのか? 寮のおばちゃんどうしたんだ?」
寮にはおばあちゃんとおばさんの間ぐらいの女性が食堂を切り盛りしてくれて少し濃い目の味付けのおばちゃんの故郷である北部料理は男ばかりの寮生に大人気だった。ジルは中央育ちなのでもう少し薄い味付けの方が好みだったが、仕事を終えてへとへとの身体にはちょうどいい塩分に感じて、今借りているアパートのある地域の小洒落た店では味わえない。一人暮らしをしてからは頻繁に恋しくなった味だった。
「聞いて下さいよ~! おばちゃん腰を痛めてついに引退するかもって。まあ結構大変な仕事だし、たまに腰痛で寝込むこともあったからそろそろかなあって。今、後任の人探してて。先輩誰か知りませんかね?」
「そうか。……大変なんだな。おばちゃん復帰してくれるといいけどな。差し入れ、もっと腹にたまるものかってくりゃよかった。忙しそうなとこ悪かったな」
「いえ、旅行に出るところなのに寄ってくださってありがとうございました」
旅の支度にしては小さめの旅行鞄一つを下げたジルの手元をちらりと見てから、後輩は深々と頭を下げたのち、元居た机の方を振り返って誰かに合図するように小さく手を振った。
先ほどまで後輩は何かしらの事件の届け出を書いていたようだ。彼が座っていた椅子に向かい合わせで小さくてボヤっとした色合いの少年が腰かけていたのがふいにジルの目にも留まったのだ。
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