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「ジルさんが早いとこ番を作ってくれないと、独身者がどんどん増えて困るんですから。実際のところなんで休暇なんてとったんですか? 番を迎えに行くって本当ですか?」
別の職員にも話しかけられ、なんとなくハシバミ色の透明感のある瞳を少年の方を眺めたまま応える。
そもそもジルは自身がアルファだとは公表しているわけではないが、なんとなく誰もが知る事実のようになっていた。
中央の本部でふんぞり返っているような警察官でなく、アルファでありつつも、まだ下っ端の部類に入る警察官はある意味珍しいのだろう。
戦後、性差を超えた平等が叫ばれて久しい中央ではあるが、やはりアルファとオメガは未だにベータからはいい意味でも悪い意味でも奇異の目で見られがちである。特にアルファはオメガはおろかベータからも羨望の的だ。
ジル自身は『珍獣扱いは御免だ』とばかり殊更それを誇示したり鼻にかけたりはしていないのだが、周りから見ると仕事ぶりの有能さ、堂々たる体躯、端正な顔立ちなどやはりわかるものだ。
今もただそこにそうしているだけで、存在感が強い。
黒い細身のパンツに襟なし丸首シャツ。目の覚めるウルトラマリン色の青いジャケット。黒い革の鞄一つ下げただけの姿に淡い金髪を後ろになでつけた姿はとても日頃泥くさい仕事に身を投じている朴訥な警官とは思えない美麗さだ。本人はバイクや音響機器などにしか興味はないらしく、いつか人に服装を褒められたとき『金持でお洒落な友人のおさがり』とにべもなく応えていたが、周囲から浮き立つほどの華やぎは彼自身が持って生まれたものだといえる。
見惚れるような表情を別の職員からもされ、ジルは机の上に置いていた鞄を苦笑してしながら持ち上げた。
「どっからそんな変な噂が出たのか知らないが……。これからちょっと南部まで旅に出るんだよ。それよりなんだあの子? 家出人? それとも迷子か?」
なんとなく、あのまま目が離せなくなった、ぼんやりと白っぽい小さなその姿。人だと言われなければ妖精か何かかと思うほどの華奢さで、てっきり迷子の子どもを保護しているのだろうかと思った。中央駅ではぐれたとしたら親もきっと心配して探し回っているのではないかと気の毒に思ったのだ。
すると後輩が同情を誘うような哀し気な声色を使って説明してくる。
「あの子、駅出てすぐ財布摺られちゃったらしいんですよ。可哀想でしょう?かなり困っているみたいだから放っておけなくて。俺と同じで北の出身なんですって。これから南のほうまで行くんだっていうけど、財布の中に汽車の切符はいっていて有り金使うと向こうでいきなり食うに困るみたいだから立往生ですよ」
「立往生って……。どこまで行くか知らないけど、親に迎えに来てもらえばいいだろ? 」
「そう見えますよねぇ」
と、一応本人を気遣ってか、小声で後輩が耳打ちしてくる。
「いえ、それがあの子、ああ見えて成人してるみたいなんですよ。いいとこ学生さんですよね、見た目。しかもハレヘまで行くっていうんですよ。こっからハレヘは流石に遠すぎですよね……」
「はあ? ハレヘ?」
後輩が口にした街の名前『ハレヘ』はまさにジルがこれから向かう南部にあり、さらに言えば口に出してはいなかったが目的地でもあるのだ。彼が本当に北国から来たとすれば、この国を縦断する一大旅ということになる。
しかしちょこんと大きめの木の椅子に座っている少年は、とても遠出するような格好には見えない。旅でも荷物は少なめのジルをおしても、旅行にしてももう少し荷物はあるだろうというようなていだから我が耳を疑った。
もっと近くで彼を見てみたくなり、ゆっくりとその傍まで歩み寄ってしまった。
(男、だよな?)
近くで見てもやはり小さい。そして性別さえもあいまいに見えるはかなげな身体。北部の人間特有の、ミルクよりもなお真っ白で細っこい首筋には怪我でもしているのかぐるぐると粗末なきなりの布が巻かれていて、彼の髪の毛と似たような色のあせた亜麻色のリュックに身体にあまるだぼだぼの上着に座ると膝下が結構露わになるよれたズボン。そのどれもが頼りなげで霞が掛かったように見え、なんだか妙に心をざわつかせる。それは警察官の勘のなせるわざなのか。
「とても成人しているようにも見えないけど? 本当に家出人じゃないのか? 訳ありなのか?」
「一応、北部発行の身分証明書の紙、みましたけど、成人済み。18歳でしたよ。でも身の上話聞いたらなんか訳ありで……。財布見つかるまでここを動かないっていうからあそこに座って早三刻ですよ……。摺られたんなら待っていても出てこないと思うし。財布だけでも出てきても中身は絶望的だろうし。今日泊まるところもないみたいだし。何とかしてあげたいけど俺仕事だし……」
(それを訳ありっていうんだ。しかもまた、こいつの悪い癖が……)
後輩がかつて子犬を拾ってきた時と同じ目でジルのことを見上げるから、ジルはぴくりっと眉を吊り上げて先に牽制するの時の子犬はジルの後押しもあり、今でも寮で買われて皆に河合がられているはずだ。
嫌な予感に予防線を張ってジルは後輩をねめつける。
「ジル先輩!!! 高くてもいいです。今度ご飯奢ります。先輩? 南部に行くって今言いましたよね? お願いします! あの子のこといけるところまで一緒に行って送ってやってくれませんか?」
そういうところは非常に勘が働く後輩が祈るような姿勢でジルを見上げてくるから、同僚の警官たちがくすくす笑って話しかけてくる。
「ジルさん、こいつのお守りしてるって噂本当だったんですね」
「好きでしているわけじゃない。こいつの御袋さんに頼まれたから俺は……」
「あの、俺行きます」
警官たちのやり取りに気が付いたのか少年が立ちあがってこちらにぺこりと頭を下げて挨拶してきた。声は思っていたのと違い甲高くはなく。どちらかといえば落ち着いた耳障りの良い滑らかな声で意外に思った。
「今晩でる夜行列車にのってハレヘまで行ってみます。行ってからのことは何とかします。先ほどは財布を無くして狼狽えてしまったせいで、本当にご迷惑おかけしてすみませんでした。もう大丈夫です。落ち着きました。ありがとうございました」
そういうとジルの真横を通り抜けて、早々に出ていこうとする。そのまっすぐな背中にどこか言い知れぬ寂しさと孤独を感じてジルは知らず息をのんだ。
「だ、駄目だよ。リオンくん。オメガが一人で夜行列車なんて、何があるか分からないでしょう!?」
「オメガ?」
机を挟んで向かい側にいた後輩はすぐに彼に追いつけずにもたもたとしているからジルが思わず彼の腕を掴んでしまった。
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