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争いの種
『争いの種』
この言葉にリオンはごつんと頭を殴られたような気分になり、ハシバミ色の大きな瞳がゆらりと哀し気に揺らした。
オメガもアルファもほぼいない故郷の小さな街の中、いつ発情期に入るかもしれぬリオンはまさに『争いの種』と言えたし、Ω判定後は遠回しに街の人から似たようなことを言われさえした。狭い街の中で顔見知りばかりの周囲から次第に距離を置かれていくのは悲しかったが、ある意味、遠巻きにされている方が幸せだったと言えたかもしれない。
田舎から出たことのないリオンですら、乏しい知識で耳にしたオメガの噂。
人を惑わす魔性の美貌と抗いがたい香りを持った特別な人々で、アルファはおろかベータの男すらその誘惑にあらがうことができぬ稀有な存在とまことしやかに囁かれている。たしかに屋敷の主人の二人の番たちはどこか夜の闇を彷彿とさせる妖艶な雰囲気を漂わせていたが、自分の他に番のいないオメガにあったことはない為、いまいち実感はわかない。
栄養不足でやせ細った色気も何もないリオンとは今でも縁遠く感じる真逆の存在だ。それでも、リオンがオメガである事実は変わらない。
(結局オメガなんて、どこにいってもそういう風に言われるんだな……)
むしろ本物の『争いの種』になる前に、故郷を出られてよかったと、そう思えたらどんなに気持ちが楽だっただろうか。
(誰にも必要とされない、ただの厄介者……)
ふいにふわふわと綿毛のように白っぽい睫毛を伏せて深く項垂れたリオンの頭に大きな掌がぽんっと置かれた。そのまま髪の感触を確かめるように、わしゃわしゃふわふわと撫ぜられる。
「……!」
やめろよ、と振り払おうとしたのに何故かできなかった。その重みと大きさ、そして伝わる温かさに不意に思い起こされる。
想像しかできないが……。生前は父が良くしてくれたであろう愛情深い所作。リオンが小さい頃に父は亡くなったため、実際のところ写真に写った顔となんとなく覚えている断片を繋ぎ合わせたものがリオンの中での父親だ。でも温かく大きな手がこうして頭を撫ぜてくれた感触だけはよく覚えている。
父がいたら、母を一人きりにして旅立つリオンにどんな言葉をかけてくれただろうか。亡くなる時、ベータ同士の夫婦の間に生まれた一人息子がまさかオメガであったとは思いもよらなかっただろう。きっと父は小さな息子にこういったに違いない。
『母さんを頼むぞ』と。
(母さんを守るどころか、重荷にしかならない)
見知らぬ土地にきて出合い頭に不幸な目に合い、心細さで弱りかけた心をその温みでかき乱されて、ぎゅっと唇を噛みしめて涙の被膜が落ちぬようにこらえぬので精いっぱいだった。
掌が外されるとそのまま今度は熱い大きな手でリオンの小さな、しかし硬い掌が握られる。驚いて顔を上げると有無を言わせぬ強引さなのに、全くそうは思わせないような優し気な笑顔を男が浮かべて腕を引く。
「えっ」
「よし、じゃあいくか」
「ジル先輩、リオンくん。いってらっしゃい~」
(ジル、この人は、ジルっていうんだ)
肩からリオンの荷物を軽々下げつつ自分の鞄も携えたジルは、逆の手でリオンの手をしっかりとつかむと颯爽と交番を後にした。
そのまますぐに真裏と言える駅に向かうのかと思ったら逆方向に向かっているのでリオンは急に不安が増してきた。
「あの、駅あっち」
「分かってる。夜行でいくんだろ? まだ出発まで間がある。その前によるところがあるから」
中央駅の周りは国の中心部というだけあって国の重要な機関が近くに多く集まっている。駅自体が大きく、端にある出口から出るとほぼ隣の駅と接しているのではないかという距離でもあり、現在二人がいるあたりは公の機関が多く集まる地域ではなく高級な百貨店や立派な店構えの老舗店舗がひしめく地域だ。
(歩いている人の格好もお店もみんな立派だ……)
ブシャドで一番立派なといわれた、母が手伝いに行っていた屋敷ですら、この街のなかでは居並ぶ商店の一つと変わらない大きさだ。とにかくどこもかしこも整然とした街中はまるで外国に来た時ぐらいの別世界に見える。
先導して歩いているジルは淡く明るい金髪を日の下で煌かせながら長い脚で颯爽と進んでいく。その姿はまるで縄張りを悠然と歩く動物のようで凛々しくも華やかだ。リオンはおいて行かれないように必死でついていった。彼の後ろから歩くと、たまに振り返ってまで彼を見ているものも多いとわかる。中央に住む人が皆彼のように堂々たる雰囲気なわけではなく、彼は特別目立つ存在なのだろう。おまけのように後ろにいるリオンにくれる眼差しが嘲られているように感じ、リオンはなんだか一緒に歩くにはふさわしくないと言われているようで恥ずかしくてまた俯いてしまった。
(だから俺、一人で行くって言ったのに)
まだ春には遠い時期であるが、道行く人よりジルが薄着に見えるのは彼が本当に南を目指していたからだろうか。だとしたらリオンが乗るような車両でなく暖房も完備したかなり良い客車に乗る予定だったのだろう。
雪深い地域から来たリオンだが、この辺りは風が何だか冷たく感じる。
だぶだぶの服の裾から入る風に身震いした。ぷるっと震えたのがつないだ手を通じてわかったのかジルが振り返った。
「ああ、寒いのか。中央は乾燥していて冬場は風が強い日が多いからな。すぐ店に入るから少し辛抱できるか?」
「できる」
「よし、いい返事だ」
今度はとても優し気に見える程邪気なくニコッと笑われる。
(また子供扱いかよ)
心の中で悪態をつくが言葉には出さない。なにせ彼に荷物も手も取られているのだから何とか取り返してしまわぬ限り、彼の傍に居続けなければならない。怒らせて彼の方から去られたりでもしたら今度こそ無一文になってしまう。
(この人、番がどうとか言われていた。アルファなのか? この見た目、母さんが務める屋敷のご主人はアルファだったけど、この人のほうがもっとずっと若いし大きくて立派に見える。……アルファが俺みたいな出来損ないのオメガを相手にはしないだろうし、本当に親切心だけでこんなことしてるのかもしれないけど……。この人の考えていること、よく分からない)
故郷では信頼していた人々から徐々に距離を置かれた経験から、リオンは今、軽い人間不信を引き起こしてはいるが、人恋しさからどこかで人を信じたり頼ったりしたい気持ちも根っこにあるのだ。
ほどなくしてジルはひと際大きな建物、百貨店の中に入っていった。リオンは中に入る前に脚を止め思わず見とれるほどの美麗な建物だ。入ってすぐに大きなアーチを描いた天井に描かれていた空の絵画の美しさと、正面に置かれた華やかな女神の金色の像に見蕩れてしまう。しかも目に舞眩い女神像の足元は水がたたえられ、たまに水が吹きあがるのに驚いて子猫のように飛び上がる。像の足元には赤や白などコントラストの強い花々が沢山植えられていた。あまりの華やかさにリオンは目を奪われた。
ジルはそんなリオンの様子を可笑しそうにみてにやりと笑うと、目的のもののある階を青紫色の美しいチーフを首に巻いた華やかな女性店員と二・三言会話を交わして確認した。
「ほらいくぞ」
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