チョーカー

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チョーカー

 百貨店の内装に心を奪われていたらジルに腕を引かれて先を促された。上の階に行くために女神像から離れ、今度は綺羅ぎらしい二体の豹の像が両側に配された物々しい階段の前に連れてこられる。しかもその階段は……。 (か、階段が、動いてる! 話には聞いたことはあるけど初めて見た……)  次から次に金属の階段が現れては上にぐんぐんと動いていく。手を繋いだままなのにじりじり後ろに下がろうとするリオンが面白く、不謹慎ならがジルはにやついてしまう。 (苦手なものを見て腰が引ける猫みたいだな)  どうやら彼のおっかなびっくりの動きはジルにとっていちいちツボにはまる感じなのだ。しかし子供扱いしようものならまた烈火のごとく怒るに決まっている。  ジルがすたすた歩く勢いで動く階段にこともなげに乗ったので、リオンは彼を追いかけるのに必死になった。飛び乗った拍子に反射的にふらつき怯えて、ジルの背中に必死で縋りつく。もちろん逞しく背筋の伸びたジルの身体が華奢で小さなリオンがぶつかったぐらいではびくともしなかった。リオンはジルの背中に張り付いたまま、ちらちらと顔を覗かせて今度は降りるところを一生懸命確認しているようだ。 (きょろきょろしてる。モルス家にでる警戒心強いくせに餌が欲しくて寄ってくる子リスみたいだな)  振り返り気味に上から見るとふわふわした髪の毛を揺らしながら忙しなく子供のように細い首を巡らせ周りを確認している。その仕草があまりに可愛くて微笑んでしまったが、きっと『北国の男の気概』を持つリオンが見たら怒るだろうと思って声をたてるのは飲み込んだ。そしてジルは背中の気配に神経を残したまま、二階でエスカレーターをすんなりと降りた。 「えいっ!」 「うわっと」  ジルが下りた瞬間に、リオンは降りる時などまだ距離があったのに大仰に飛び降りたようで、今度こそ勢いよくジルにぶつかってしまった。  振り返って抱き止めた腰のか細さから、本当に成人しているのか疑いたくなるほどだ。 「うわ! おっと、大丈夫か? あははっ」 「大丈夫! 動く階段、初めて乗っただけ」  思いのほか大きな声を出した自分にも驚いて、ジルは声を上げて笑ってしまったが、それが馬鹿にされたと思ったようで、リオンは口をへの字に曲げると身体を離して下を向く。 (まただ……。下ばっかり向いている子だな……)  心臓がばくばくなって、瞬間冷や汗をかいて焦った顔を隠したくてまだうつむいたままのリオンの手を掴みなおして目的のもののある売り場まで連れて歩いた。  硝子のショーケースの中には沢山の宝飾品が所狭しと置かれていて、灯りの下眩い輝きを打ち放っている。客たちの様子も上品で麗しく見え、だからまた、リオンまた腰が引けてしまった。  立派な紳士といったぱりっとした格好の初老の店員がにこやかな笑顔でジルに声をかけてきた。 「どういったものをお求めでいらっしゃいますか?」 「この子に項保護用のチョーカーを買いに来たんだけど」 「チョーカー?」  店員にちらりと一瞥されてリオンはまた肩をすぼめるようにして、身体が小さくなった。 (ジルが旅で必要なものを買いに来たのかと思ったのに)  先ほどジルに解かれそうになった首の周りに巻かれた布を自分で掴んで、リオンが驚き焦ってジルを見上げるが、彼は素知らぬ顔で店員に細かな注文を付けていく。 「色は彼の髪の毛に近い白っぽいものか、俺の頭みたいな淡い黄色がいいかな。内側の当たりが柔らかいものがいい。いくつか持ってきてみてほしい」 「正面にこういった飾りがついているものもお若い方には人気です」 (すげえ、ぴかぴか)  硝子なのか宝石なのかリオンには区別もつかないが、中央部に灯りの下で光り輝く美麗な飾りが付けられたものなど、殆ど宝飾品の域に達している。その派手さからどう見ても女性用にしか見えない代物だった。しかし初めて見るそれらの品はリオンにとって先ほど見た女神像と同じぐらいに心惹かれ、とても美しかった。リオンはこの時初めて自分にこういった装飾を好む部分があるのだと初めて知ったのだった。  なんとなくリオンの真っ白な頬に、先ほどとは違う紅潮がみられて、ジルは好感触のようだと少しほっとする。ショーケースを覗き込む白い頭から飛び跳ねた髪も心なしか音楽を刻むようにひょこひょこ嬉し気に見える。  成り行きで番のいないオメガを連れて旅に出るという、凡そ面倒なことを引き受けてしまった。もちろん引き受けたからには一寸の迷いもなく、ひと時も目を離すつもりはなかった。かつて近しいオメガが周囲を巻き込んでのフェロモンによる大暴走を起こしてしまったこともあり、念には念をいれたくてこの場所に連れてきたのだ。 (まあ、ヴィオは首輪が大っ嫌いですることもなく抑制剤だけで乗り切ってすぐセラの番になったしな……。ああ。そうか。抑制剤も用意しないとな。だとしたら首輪の色柄は……)  店員が次から次に敷いた黒いベルベットの上に首輪を出して広げていった。注文の色味に近い両面山羊革の白く柔らかな質感のもの、深いブラウンに光沢の強いコートバーン製のもの、一見ただの滑らかに青い天鵞絨だが、内側に銀糸の網が縫い合わされているものなどいずれも凝った造りだ。  どれもこれも高級そうでリオンの人生で今まで一度も手に取ったことがないもののように思えるし、実際そうであろう。見ているだけで心時めくがその逆に値段が気になってそわそわする。  リオンの実家にある古めかしいもの全てかき集めても、この下に敷いてあるベルベットの値段にすら値するだろうか。金色の繊細な糸に括られた小さな値札がちらりと見えた時、リオンはそれを捲った指先が震えて顔面蒼白になってしまった。 (これ……、どれもハレヘまでの切符代よりずっと高い!) 「あの、俺……。これで十分ですから」  心臓をドキドキさせながら、そうごにょごにょ言い、首元のゆるゆると柔い布に手を当てる。  この布は幼い頃にリオンが使っていた寝具を裂いて作った布なのだ。通気性と肌触りだけは快適で、故郷では寒い時はさらにぐるぐるに何本かをまとめて巻いていたが、汽車の中で少し解いてしまったので今は中途半端な感じだ。  故郷の街一番のお屋敷に住む奥方たちはここに並んだ品には見劣りするが、それでも田舎では滅多にお目にかかれない華やかなチョーカーを互いに誇示するようにつけていた。番になる前に主人から送られたものらしく、それを愛の証として互いにけん制し、見せつけるように未だに身に着けているのだ。  里にリオンにはチョーカーを送ってくれるような相手はいなかった。だからと言って番のいないオメガが首を晒したままにしておくのは無作法なことなのだと、母が屋敷の奥方たちに遠回しに嫌味を言われてきた。言われたからといって首を隠すのは屈辱的だったが、母の顔を立てて申し訳程度に布を巻いておいたのだ。  リオンはオメガだと知れてから、母が屋敷の奥方たちから良く思われなくなったのも自分のせいだとリオンは知っている。だからと言って他に仕事の当てもないから母は笑顔で屋敷に働きに出ていった。他の使用人たちとは仲が良かったし、親切にしてもらえたのはありがたかった。 (でも本当は行きたくなかっただろうな……)  奥方たちは若いオメガが新たに近くに生まれたことにより、主人の関心が少しでも他所に移るのが面白くなかったのだろう。  実際館の主人からは地域で唯一のアルファである自分がリオンを番にすれば、リオンも不意な発情に悩まされることもなくなり、万事丸く収まるとも言われたらしい。母はひた隠しにしてきたが、里のものからリオンの耳に入った。  ここに出ると決心を固めた時に母親に確認したので間違いない。  主人は悪い人ではないが、すでに番が二人もいる。それに父親と年の変わらぬ男の番になることはどうしても気が進まなかった。これもリオンが故郷に居づらくなったことの原因の一つだ。そして発情期が来たらもう断ることなどできなくなってしまう。今が、今だけが故郷から飛び出せる好機だともいえた。母はすべてを承知して、たった一人の我が子を主人の手の届かぬ街の外へ送り出してくれたのだ。
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