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堤さん②
「ねぇ、橋元さん」
「……なんですか」
「疲れたね」
「そうですね…」
二人だけの部内はカタカタとパソコンのキーボードを打つ音と、カチカチとマウスを押す音がやけに響く。
予想しなかった残業に、限界を越えたお腹が盛大に文句を言いそうだ。
「っし!今日はもう終わり!終わろう!」
ぎーっと堤さんの椅子が鳴る。
パソコンの電源を落とした堤さんが鞄を持って私の席までやって来る。
マウスを握る手の甲をつんつんと突いて、ねぇと言った。
「はい、終わり。奢るから飯食べて帰ろう」
「嫌です」
「え、嫌って言った?なんで?」
「二人でご飯とか緊張するからです。嫌がらせですか」
くくっと堪えても堪えきれてない笑いが溢れる口元を大きな拳で隠して堤さんがまた話す。
「俺に緊張するの?」
「しますよ。上司ですもん」
「上司ってだけ?」
「何が言いたいんですか」
つんつんと手の甲をつつく指が止まないので、保存しパソコンの電源を落とす。
「いや?他の理由があればいいのになぁと思って」
「他の理由?」
「好きだなーとか?」
「え」
「え?」
一瞬の沈黙、その一瞬の隙間に私のお腹がきゅるるるるるるる〜と鳴いた。
くっはと笑った堤さんは腹を抱えて大笑いし始め、やがて目尻を拭った。
「笑いすぎです」
「ご、めん」
堤さんと違って私の荷物はロッカーにあるため、一旦別れる。
入り口で待ってると爽やかに笑った堤さんを置いて裏口から帰ろうとした私の行動はまんまと読まれていた。
「やっぱり」
してやったりな顔がまたもの凄くハマる。
「そういえばさ、知ってる?ハグするとストレスって減るらしいよ」
「堤さんとすると余計増えそうですけど」
「言ったね?じゃあしてみようか」
「え」
背中に腕が回る。
後頭部に手がある。
と思ったらハグをされていた。
ポンポンというより撫で撫でと髪を撫でられ、くっついていた身体が離れる。
どうだった?と覗きこまれても悪態はつけなかった。
「よく……わからなかった」
「じゃあもう一回」
だらんと落ちた手が持ち上げられ、質のいいスーツの背中に回される。
「橋元さんも。ほら」
「私とのハグでストレス減るんですか…」
「ストレス減るどころか他のオプションがついてくる」
「なんですか」
「俺の物にしたくなるって独占欲とか意地っ張りな顔を崩したくなる」
「それは……堤さんがいつも揶揄うからです」
「俺がちょっかい出してんのは橋元さんだけなんだけど」
「そんなの、知りません」
「だよね。けど、もう言ったから」
聞いてもたぶん答えてはくれない。
でも長いハグの間なら、その間しか聞けない。
「好き、ですか」
「どう思う?」
ほら、やっぱり。
悔し紛れに高そうな先の尖る革靴を思いっきり踏んでやった。
「いった!」
「長いです。セクハラです」
「セクハラって嫌って思ったらだろ?思ってないからセクハラじゃないだろ」
「嫌って思ってないってどうして言い切るんですか」
「だって思ってないでしょ」
食えない男。
みんなこの男の本性を知ればいいのに。
「はー腹減った!ラーメン行こ」
「ラーメンは嫌です」
「え、じゃあ何ならいいの」
「………おうどん」
またくはっと笑われた。
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