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堤さん➂
私って要領がいいように見えて、実は悪いと思う。
そして残業すると高確率で堤さんと一緒ってところもハメられているようで悔しい。
「橋元さん、俺もう終わるけど、そっちどう?」
「私の方ももう終わります」
「じゃあ待ってるから飯行こう」
「行きません」
「なんでよ。今日車だから洒落たとこ行こうって」
「行きませんて」
「行くの」
保存が終わる絶妙なタイミングで腕が掴まれる。
残業のたびになんやかんやと食事に連れて行かれて、でもそれだけで何もない。
別れ際のふわっとしたハグがあるだけ。
郊外の、出来たばかりのお洒落なイタリアンレストランに連れていかれた。
食べたピザはこれまで食べたピザの中で断トツ一位で、デザートのパンナコッタももの凄く美味しかった。
ドラマのように知らない間にお会計を済まされ、財布を出すことも許されず、実にスマートに助手席を開けられ、彼女のように助手席にお尻を収める。
運転席に乗り込んだ堤さんが後部座席に手を伸ばし、小さな箱を私に差し出した。
「なんですかこれ」
「うん、開けて」
この人との会話はもう諦めよう。
そう何度も思うのに、習性というものは中々修正出来ない。
しぶしぶリボンを解き、開けると。
「これ、鍵ですよね?」
「よく分かったね、当たり」
「どこの鍵ですか」
「俺んち」
「は!?」
「もうさ、こう、駆け引きするのも楽しいんだけど、いい加減ハグから進みたいなと思ってさ」
「進みたいんですか!?」
「何とも思ってない人にハグなんてしないでしょ」
スーツのボタンを外した指が私に伸びてくる。
形のいい長い爪はいつものように短く整えられている。
「もう触れたいんだけど」
聞いたことのない甘やかすような声が告げた。
「その前に、言うことないんですか」
「え?あ、俺お買い得だよ。玉の輿とまではさすがに言えないけど」
「違います、それじゃなくて」
「仕事上は夫婦別姓でいいよ」
「それも違います!てゆうか」
言いかけた言葉は薄い唇に止められた。
パンナコッタにかけられたラズベリーの香りと香水が漂う。
「結婚を前提にお付き合いを」
「………それだけ?」
ふっと鼻から抜ける笑いを洩らして、また顔が傾けられた。
「あ。好きだよ」
なんでそれが最後なんですか。しかも付け足しみたいに。
言いつつ睨む私の眉間にチュとキスをされた。
いつも余裕ぶって憎たらしいこの上司、
悔しいけどたまらなく好きです。
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