言えないさようならを。

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言えないさようならを。

行かないでと、たったそれだけが言えなかった。 彼の顔が、三年ずっと側で見ていた彼の顔がもう知らない人のようだったから。 一緒に暮らそうと言われた一年半前。 うんと頷けなかった。 お互い仕事ですれ違いが続いて、会えない日を数えた。 会える日には☆マーク、 会えた日には♡マーク、 キスをした日には❤マークを書いた手帳、 いつから書かなくなっていたのか。 くだらない喧嘩をして、謝ってくれるのはいつも彼だった。 大人で子供で意地っ張りなとこもあって、変なとこに几帳面で。 寝起きがもの凄く悪くて、寝惚けながら歯磨きするところが大好きだった。 襟足だけ跳ねる癖毛も、 右足だけ破ける靴下も、 右手の爪を切るのが絶望的に下手くそなのも、全部全部大好きだった。 さよならなんて言えない。 燃やすようにドキドキしていた頃のような気持ちではないけど、今も好きはちゃんとあるのに。 一人で終わらせて行かないで。 私一人置いて行かないで。 二人で始めた恋なら、終わる時も二人で終わらせて。 もう見られないあなたのこれからを応援できるように、 私もいつか前を向いて歩いていけるように、 ちゃんと、さようならを言わせて───────
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