ようちゃんとさあちゃん。

1/5
前へ
/109ページ
次へ

ようちゃんとさあちゃん。

初めてのバイトは高校を卒業し、大学に入ってからすぐに始めた。 時給に惹かれた街中の居酒屋はいつも忙しく、覚えることもたくさんで、持って行ったメモ帳はすぐにくたりと汚れ、書きなぐった字が滲んだ。 まだ仲間の名前も覚え切れていなかった一週間目、酔っ払ったお客さんに絡まれた私を助けてくれたのは泱士(ようじ)と書かれた名札をつけた男の人だった。 大きな手に掴まれた自分の手首が酷く華奢に思えて、酔っ払いを上手くかわせなかった情けなさや撫でられた腰の気持ち悪さを思い出し涙ぐんだ。 その人に手首を引っ張られ裏に連れて来られた私を見て、店長が「ようじ、さあちゃんと休憩しといで」と声をかけてくれた。 その店長の言葉を聞いて、その人が身を屈め顔を覗き込みながらうっすらと笑った。 「さあちゃん?」 「は、い。紗弓(さゆみ)なので、店長がさあちゃんて呼ぶって」 「かわい」 くっと低く笑った声が言った。 一緒に入った休憩室で、その人は『津島泱士』だと名乗り、大学の二回生だと言った。 ブラックコーヒーを買うついでだと私には甘いカフェオレを奢ってくれて、二人並んで缶コーヒーを飲んだ。 ようじさんが持つ缶コーヒーは私が持つカフェオレより小さく見えますねと言ったら、そんな訳ねーべとくしゃと笑ったようじさん。 長い指で上を持ってほらと私の持つカフェオレにコツンとぶつける。 手がでかいんだよなーと言いながら手のひらを私に向けるのを首を傾げて見ると、また手首を掴んでようじさんの手のひらに重ねて大きさを比べた。 一関節分違う長い指、細く見えたのにしっかりと骨ばる手首が男の人だと感じさせる。 「メモ帳、濡れないヤツに変えたら?」 「え」 「けっこうクタクタになってね?」 「なんで、知ってるんですか…」 「え、だって、ちっちぇこともちまちまいつも書きとめてるじゃん?」 頑張ってるからご褒美に買ってやろっか、といたずらっ子のように、でもちょっと照れくさそうに言った笑顔に、きゅんとして落ちた(気がした)。 後日友人の亜紀に話したら「ちょろすぎ」と笑われたけど、私がようじさんを気になるきっかけになった出来事だった。
/109ページ

最初のコメントを投稿しよう!

680人が本棚に入れています
本棚に追加