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8
夜明けが近い。ボロボロのドレスだけだと肌寒い。
庭園の片隅にあるベンチでぼんやりしていると、人が歩いてくる音がしたのでそちらを見た。
ボロボロのデニスが立っていた。鎧は脱いでいるが、服はよれよれくたくただ。黒髪はいつも以上に荒れ放題で、顔は憔悴しきっている。
オルフィナの力のおかげでレオドールは浄化され、闇の勢力はその正体を明かされ、討伐された。
ゲームではテキストでそのように表示されるだけだが、現実ではそれを実行に移さなくてはならない。闇の勢力も黙って討伐されたのではなく、必死の抵抗をしてくる。先頭に立って闘ったのがデニスだった。それだけではなく、招待客の避難を誘導し、応援に来た兵士たちと連携し、指示を出した。
獅子奮迅の働きを見せ、一晩かかってようやく後始末を付けたのだ。
一方の私はやることがなかった。オルフィナを庇わず、レオドールに殺されなかった私の役回りは悪役令嬢のままだ。
その悪役令嬢が、元婚約者の婚約発表パーティーに飛び込んできてぶち壊そうとしたのだ。そして今まで散々嫌がらせをしてきたオルフィナを捕まえて、自分は姉だと叫び、とんでもない威力の魔法を無理やり使わせたのだ。
闇の勢力は倒せた。国の危機を救った勇者のはずなのに、私の立場は何も変わっていなかった。むしろ更に悪くなっているかもしれない。
その場に残っていればあらぬ疑いをかけられる恐れまであったので、逃げる招待客に紛れて屋敷に帰っても良かったのだが、確認したいことがあったので少し離れた場所に陣取って、騒ぎが治まるのを待っていたのだ。
ずっと見ていたから言える。デニスは本当に頑張っていた。
「お疲れ様です」だからそう言ってあげる。
「……、ああ、疲れた」
デニスはそう応じたが隣に座ろうとはせず、私の前に立ってじっと見降ろして来た。
「なんですの?」
ずっと黙っているのでこちらから訊くと、ためらいながら口を開いた。
「お前は……、あなた……、君は……、霧乃さんなのか?」
「いいえ、カミーラ・マルコリーニよ」
こんなに激しく落胆する人を初めて見た。デニスは一瞬で膝から崩れ落ち、頭をがくっと垂れた。
「でも、霧乃 雫の記憶を持っています」
ぱっと上げられた顔は、喜びや困惑や感激やなんやかんやが混ぜこぜになった表情だった。
「あなたは倉田君よね?」
デニスは、顔をくしゃくしゃにしながら強く頷き、感情を振り絞るように言った。
「やっと会えた」
倉田 春樹はクラスメイトだが、特別仲が良いわけでもなかったし、友達というほどでもなかった。
委員会が一緒だったので、一緒に出席したり、連絡事項を確認し合ったり、会ったら挨拶したりする程度の仲だ。
体育会系で、ガサツで、単純バカなところはタイプではない。でも、数少ない接点のある男子だから、少しは気になっていた。
向こうも気になっている素振りは見せてきていたけれど、気が付かないふりをしていた。やっぱり告白はするよりもして欲しいし、勘違いでがっかりするのは嫌だった。
だから呼び出されて告白されたのは嬉しかった。産まれて初めての告白だった。
嬉しすぎてダンスをしたくなったほどだ。
そう、素直に喜びの舞を踊れば良かったのだ。
しかし浮かれ過ぎた私は、変に余裕でも見せようとしたのか、すぐには返事をしなかった。
「えー、倉田そうやったんやー」などと言ってもじもじしながら返事を考えているふりをした。
そんなことだから、近づいてきているトラックに気が付かなかったのだ。自業自得だ。でも、そんな私を庇おうと倉田君は飛び込んできてくれた。
そして二人とも死んだ。
私が倉田君を巻き込んだのだ。
それなのに、彼は「やっと会えた」と言ってくれた。
「やっと会えたって、あなたはいつからこの世界にいるの?」
「記憶を取り戻したのは一年ほど前だ」
多少のギャップはあるだろうと思っていたが、そんなにずれているとは思わなかった。一年前と言えばゲームも終盤に入り、オルフィナが意中の相手を一人に絞って攻略対象のルートに進んでいく頃、つまりはカミーナが破滅に向かって走り始める頃だ。
「そんなに前から?私は記憶を取り戻してからまだ半日も立ってないわよ」
「そうだろうな。昨日尋問した時にはまだだったみたいだし。付け加えると、俺はこの一年間を十回ぐらい繰り返している」
「どういうことです?」
「一年前、俺は倉田 春樹としての記憶が甦った。それで君の記憶が甦るのを待っていたんだが、なかなか蘇らなくて、そればかりか君は悪事に手を染めて破滅し、国外追放になった。すると俺はまた一年前に戻されて、また同じ生活が始まるんだ。でも同じことをしていたら君がまた悪事に走るだろうから、必死でそれを止めようとする。そうしたら君は悪い輩に引っかかって罪を背負わされ、牢屋に監禁されることになる。それで、俺はまた一年間戻されて、君の記憶が戻るのを待った」
なんと、私ではなく倉田君がループに入っていたのか。ゲームを未プレイの彼にとってはさぞかし大変な日々であっただろう。
「でも、俺がどんなに努力しても、君は退学になるし、勘当されるし、タコに襲われるし」
「タコに襲われる……」そのルートはやっぱり健在なのか!イベント画を思い出し、改めて背筋が凍る。
「見たの?」一応確認しておかなければならない。
「見たっていうか、助けようとした。でも負けた」タコ強いな!
「そうなの……。でも、まぁ、色々とありがとう」
素直にお礼が言えた。
「ん……、どうも」
デニスではなくて倉田君になっている!そう思うと、告白された日のことを思い出して途端に動悸が激しくなる。なんだかすでに遠い日のような気もしているけれど、私にとっては半日前のできごとなのだ。
「聞いておきたいんだけど、どうして私、カミーラが、霧乃 雫の記憶を取り戻すって思ったの?」
「ああ、神様が教えてくれたんだ」
そんな重要情報をあっさりと口にする。
「死んだ後に神様が現れて心残りはないかって訊かれたんだ。それで、その、告白をしたんだけど返事を聞いていないから、その返事が聞きたかったって言ったんだ。そうしたら、元の世界では無理だけど、異世界でならその願いを叶えることができる。カミーラという女が霧乃さんの記憶を取り戻すからそれまで頑張れって言われたんだ」
なんだそのフランクな神様。
「私の所には神様来なかったんやけど」
そんなつもりはないのだが、どうしてもドスがきいた声になってしまう。
「そ、そうなんだ」
「なにそれずるい!酷い!セコイ!依怙贔屓!あんたは生前どんな徳を積んだんや」
「徳って、特になにもしてないと思うけど」
「徳と特ってダジャレか!」
「言いがかりや!」
「じゃあなんや。私は徳を積んでいないから神様が来なかったん?転生した先も悪役令嬢やったん?」
『いい加減にしなさい』と頭の中で突っ込みが入った。
『彼の顔を見て』
デニスは、倉田君は、ただでさえ疲れているのに、本当に困り果てた顔をしていた。
こんな顔をさせているのは私だ。
彼を巻き込んでこの世界に来たのに、また彼を困らせているのだ。
彼は何も知らない世界で累計十年間も、私が記憶を取り戻すのをずっと待っていてくれたというのに。
カミーラが生き残ったことで、ゲームとは違う世界に入った。この先なにが待ち受けているかは私にも分からなくなった。なにより、私は悪役令嬢のままだ。
でも、彼が一緒にいてくれるのならば、どんな艱難辛苦だって乗り越えて行ける。そう思った。
今はその直感を素直に信じて行動したい。
「悪役令嬢が何かは分かんないけど、神様にも色々と事情があるんだよ」
「取り乱してしまってごめんなさい。そうね、神様には感謝をしなくてはいけない面もあるわ」
冷静に言うと、彼は笑っている。
「なにがおかしいの?」
「いや、あいかわらず切り替えが早いと思って」
「そうだったかしら?」
「そうだよ。初めて委員会に出た時のことを覚えてない?あの時―――」
「ねぇ、そんな昔話はいいわ」
思い出したくない過去をほじくり返されそうだったので、強引に話を打ち切った。
「それより、転生してまで聞きたかったことがあるのでしょう。それはもう良いの?」
デニスは目を丸くしながら、でもすぐに意を決して、真剣な顔で言ってくれた。
「俺と付き合って下さい」
さすがに十年間知らない世界で過ごしてきただけのことはある。肝の据わり方が違う。随分かっこよくなった。
だったら私だって負けてはいられない。
答える代わりに、すっと顔を近づけた。
デニスは顔を真っ赤にして目をパチクリしている。
私だって本当はめちゃくちゃ恥ずかしいけど、これぐらいはやって見せなければならない。
なにしろ、今の私は悪役令嬢なのだから!
真っ赤な朝焼けの下で、彼の唇を奪った。
了
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