壱話

7/8
前へ
/47ページ
次へ
  烏天狗の鋭い眼光が南澤に向けられる。南澤は、緑の紐を強く握りしめ、ぼくと祖母を見つめて助けを求めている。 〈助けてくれぇ!!聞こえてるんだろ?〉  心の叫びを耳にしていても助けられない、間世での掟の一つ。    烏天狗が口にするまで動いてはならぬ  数ある掟を破れば、間世をさ迷うことになる。父はこの世界にいるはず。 「御主を護っていた魂は無事に戻った。現世での御主の普段の姿を見せてもらおう」  型代が南澤に化ける。烏天狗の前に立ち行われるのは、普段の彼の行動。   話だけではわからない素の行動や言動が型代により演じられる。 ※※※  通勤中困った人を見るとほおっておけない。人助けで遅刻してしまっても、本当の事は言わずに謝っている。 『これ、お願いしたいんですが・・・』  仕事を南澤に頼んでいる場面。頼んだ部下は腹黒い感情を隠しているが、間世では黒い感情が化したあやかしにより言葉になる。 〈断れない噂はほんとうなんだな。ラッキー!!さっそくメッセ送んなきゃな〉  部下の仕事を請け負うと、自分の仕事が遅くなる。南澤は嫌な顔せず引き受け、残ってしまった自分の仕事は、自宅に帰ってからも続く。出来合いの品ばかりになり、睡眠時間は短い。週に何回か佐由美のお見舞いの時間を作る。 『卓也さん、しばらく休んだら?』  日に日にやつれ疲れきった顔をする南澤を心配し、佐由美は気がかりになり夢を見る。 『卓也さん、卓也さん!!』  疲れきり呆然としている南澤が不慮の事故に遭う夢を何度か見るうちに、幽体が南澤の背中についていくようになる。 『突然、悪化してしまって原因はわかりません。点滴や服薬治療で、改善に向かっていたのに・・・』  医師は首を傾げ、昏睡状態になった佐由美の反応を見ている。南澤の安らげる時間は、佐由美との話し合いだった。彼女が目覚めなくなってからの南澤は、ますます自分を追い詰めていく。  烏天狗は現世での南澤を見ると、眼前にいる彼の視線にあわせ詠唱を唱えていく。膝から崩れ落ちた南澤を、扇形の扇子で払い、渦巻く風が南澤を支える。 「今見たことが、御主らにはわからぬ事実よ。もう、どの縁か判断はついたはず。わしは彼にまとわりつく悪霊を追い祓うだけ」  濃い靄が扇から放った旋風により、徐々に晴れていく。南澤の首や肩についていた悪霊がいなくなると、苦悶を浮かべていた表情が穏やかになっている。 「あとは、御主たちに委ねた。くれぐれも間違った縁を結ばぬよう・・・間世から見守っておるからな」  南澤とぼくを繋ぐ緑色の紐がふわりと浮かぶ、両手に強く握りしめ後方に下がっていく。祖母が南澤を支え、紐を握ると鈴を一定感覚でならし続ける。鈴の根に合わせるように横風が吹き続けている。 ぼくらの身体が烏天狗から離れていく。足に力を入れ踏ん張れなければ、飛ばされてしまうほどの横風。  薄目の先に見えてきたのは、間世を繋ぐ扉が開いたり閉まったりを繰り返す。 〈ばあちゃんたち、先に扉の方へ!!〉  綱を握りしめ、踏ん張り歯を食い縛る。二人ぶんの体重が綱から伝わる。 〈く、っ、おぉぉ!!!〉  両手の感覚はない、ぼく自身が振り飛ばされる可能性だってある。二人を扉の向こう側に振り飛ばしたのを確認すると、綱を掴み一歩ずつ前進していく。  からん、ころん、からん、ころん。  から、ぎし。  足音が変わる僅かな音を聞き、綱を片手に掴んだまま、開け閉めを繰り返す、茶色い扉が近づく瞬間を待ち、ドアノブを引き寄せ扉を閉める。 「ばあちゃん、南澤さん、だ、大丈夫」  肩で息継ぎして、息が絶え絶えの声で聞き返す。廊下でまんまるくなる祖母に護られている形の南澤。彼は詠唱により眠っている。 「大丈夫じゃ」  親指を出しニヤリと笑う祖母。着物が血で染まっていく。ぼくの両手の平は、真っ赤に染まっていた。
/47ページ

最初のコメントを投稿しよう!

19人が本棚に入れています
本棚に追加