キューピッドが掴む縁

1/1
2人が本棚に入れています
本棚に追加
/1ページ
 2月14日で、そして今日は日曜日。 「よく晴れて、よかったですね」 「ほんと、ほんと。去年は天気が悪くて、ものすごく寒くてね。そのことだけしっかり覚えているわ」  ボランティアで集まった女性の一人、益美が有三に笑って声を掛けた。  今日はこの川の川べりの清掃の日で、半年に一度ほど近隣の住民が集まって川辺のゴミを拾って歩く。これが毎回、思いのほかの重労働で、なんともやりきれない。「自分らのゴミくらいは、自分で持って帰ってくれればいいんだがナァ」いつもそう思うし、そうして持って帰ってくれと書いた立て看板をしたりしてあるが、大した効果は上がっていない。ここでバーベキューなど楽しみに来てくれるのはいいが、そのお楽しみの最中に「ゴミを持って帰ってください」なんて声を掛けるのも無粋で気が引ける。実際、町内会長が「そういう時は、ちゃんと事情を話してニッコリ笑って言えば、角は立たないモンさ」といって客に言って見たが、その時は客も「ハイハイ」と素直に返事をしていたが、あとでネットの掲示板に、酷い文句を書かれて、もう2年も経つがいまだに折に触れて思い出しては憤慨している。町内会長とつき合いの長い有三は、「これは一生言い続ける。昔なら親の仇だな」と苦笑していた。  有三は40を少し出たところだが今は独身。5年前、7年近く一緒だった奥さんに離婚された。「穏やかで優しい人、なんて思ったけれど、仕事でもそのようではダメでしょう。この先に何の見込みもない人とぼんやり一生過ごしていくのかと思うと、ゾッとするわ。7年も掛かってやっとそんなことに気づいた私もバカだった」となじられて、言い返すことばが無かった。妻の言う欠点を直せればいいのだろうが、似たようなセリフを聞かされるのは三度目で、妻にしてみれば「堪忍袋の緒が切れた」ということだった。その時有三は、妻にと言うより、思うようにうまく運べない自分に腹が立ち、晩酌に持っていたビールのコップを、居間のサッシを開けて狭い庭にある風情があるのか無いのか微妙な形態のちょっと大きな石めがけて投げつけた。コップは当然のように音を立てて粉々に割れて散った。 「そんなことには、少しは意地があるのね」  妻はせせら笑って、それっきり実家に帰って、荷物も数日後に業者が取りに来た。「あっ」と思った一週間ほどで、家の中がずいぶん殺風景になったのを今でもよく覚えている。そして、それがまた元通りになるかも知れない気がして、ほかの家具を動かすこと無くずっとそのままにしてある。だが、もうそんなことはないのだ。届けも出して、すっかり赤の他人になったのだから。  有三が離婚したとき、地元の顔見知りの男たちは彼に同情の声を掛けてくれた者が何人かいたが、実のところ有三が一方的に愛想を尽かされて、惨めに捨てられたような形になったのは、「うだつが上がらないおまえが悪かったのだ」とは言えないから、掛けることばに欠いて、考えた末にひねり出されたのが、「合わなかったのさ。また、合う女を探せばいいのさ」なんて、分かったような分からないような言い分で、決まって誰もが肩だの背中だのをポンと叩いてきた。「これ以上話すことがねえ」という時の話の収め方は、こうやって句読点を付けて終わりにするものか、と有三は妙に感心した。そうして有三に気を使ってくれた人の中に益美がいた。益美は遠戚の娘で8才年下だった。家が5分も歩けば着けるような、同じ一本道の通に面した商家の家だった。彼女は離婚した有三に、 「兄ちゃん、かわいそう」といった。  遠戚で家が近かったのと、この辺りでは比較的手広く商売をしている実家のおかみさんに頼まれて、有三はしばしば小さいころの益美のめんどうを見ていた。その縁で彼女は有三をそう呼んでいた。  有三と益美は、「将来は結ばれるのだろう」と漠然と周囲も思っていたようだった。それでも10年20年の間にはお互いいろいろなことが身に起きる。それぞれ進学だとか就職だとか、益美の父親の早世もあった。そしていつの間にか、お互い、お互いを忘れて違う相手と結ばれた。そして別れたのは有三の方だけでは無かった。益美も離婚して1年半になる。益美は従順でおとなしいから、強引にされるといいように吊られて翻弄されてしまうところがあった。益美は色白で目鼻立ちも悪くない、微笑んでいさえすればどこに行っても美人と思える女だったが、夫が遊び好きで、結婚してまもないころからほかに女を作って放蕩していたから、心労が絶えず、益美から笑い顔をすっかり奪って辛気くさい女にしてしまった。そういう益美を見ると夫はさらに彼女を嫌って家に寄りつかなくなり、とうとう「元に戻る」どころか、戻るような幸せもろくに感じること無く離婚したのだった。  川辺のゴミ集めは午前中で終わる。みんなできれいにした河原で、持ち寄った弁当を広げて昼食を取って終わるのだ。この時には少しだが酒も出る。  有三が加わったグループの一角には益美もいて、ほかに近所の家の旦那と奥さんと数組がいて、中に参加した近所の者のその子供、高木翔一と大木和美という高校生の男女が一人ずついた。  広げたブルーシートの上に重しの石を置いて、その上に持ち寄った弁当や飲み物が並べられた。一人の男は、ここであらためて居住まいを正してドッカと座り込んだ。 「酒を飲む段になって気合い入れて、やだよ、恥ずかしい」その男の奥さんが苦笑いしてそう言った。有三も一緒になって笑った。  何人もの人が十分食べておつりが来るほど食べ物を持ち寄って、車座に並んだ。 「こういう時が一番幸せだな」  ブルーシートの端に、押さえの石のように座った有三が誰にと言うわけでも無く呟いた。隣にいた益美が何も云わずにフッと顔を向けて一つ頷いた。  大人たちがあらかた座ってしまった後ろから、翔一と和美の二人が、左右に少し距離を開けて歩いて来た。 「早くおいで」と、二人のそれぞれの親が急かした。翔一と和美は、ブルーシートの所へやって来たはいいが、どこに座ればいいかと少し迷ったようだった。もちろんそれぞれ自分の親のそばに座ればよいことだが、それは場所に広げたシートの対角だった。  各家庭から持ち寄った弁当に目を落としていた有三が不意に顔を上げた。 「やあ。翔一君と和美さんと言ったね?ちょいと俺たちは少し「大人の話」があるんだ。気を悪くしないでもらいたいが、少しあっちで頼むよ……和美さんが作ってきた弁当はこれだね?飲み物はこれでいいかな?」  有三は、彼にしては滅多に無いハッキリした大きめな声でそう、まくし立てるように言うと、置かれた弁当の入れ物のうちから明るい緑の地の横に何か絵がプリントされている容器を取り上げて、さらに、 「おにぎり4個入っているし、おかずもデザートも入っているから、これで足りるだろぉ?」  有無を言わさずそう言って、座るための敷物を一枚取り上げて、サッサと2人の前に立って歩きだし、勝手に場所を決めて2人を呼んで座らせてしまった。座らされた2人は、フゥッと息をのんで少し顔を紅潮させたが、何の文句も無く黙って座った。 「悪いな。そこで頼むよ」  有三はもう一度2人に謝って、元の席に戻ってきた。 「有三さん『大人の話』ってなにかね?」翔一の父親が既に口を切った缶ビール片手に聞いた。有三は座りながら、「あぁ」っと何事も無いように座り。 「ここだけの話なんだが……この間、遠くに住んでる高校時代の同級生が出張でこっちに来るっていうから、飲もうって連絡があって。昼間から観光がてら飲んで歩いたんだ。その時たまたま見つけた神社で何かお願いしようって言ったんだけど、よく見たら『縁結びの神様』で。ストレートの男同士で、独身はおまえだけだから、じゃあおまえの縁結びをお願いしろって、そいつが「おまえは二度目だから札じゃ無きゃダメだろ」って、俺の財布から千円ひったくって賽銭箱に入れてしまってね……その御利益をどこで使おうかって、ずっと思っていたんだけれど、今がいいと思ってね」  有三は目の前に並ぶ料理の入れ物を見渡すようにしながら、いきさつを淡々と話して、みんな、 「あらっ」と意外そうに声を上げてから、翔一と和美のほうを見てくすりと笑った。 「いけなかったかね?」  有三は翔一と和美の親を見て尋ね顔でそう言った。 「いや、いけないことはないけれど……、よく和美が作った弁当が分かったね?」と和美の母親。 「そりゃあ、入れ物が「若けぇ」もの、すぐ分かるよ。持ち寄りの弁当なのに、おにぎりも4つだし……」 「そういえば、今日はバレンタインデーだったね。バレンタインでおにぎりあげるんじゃ、おかしいけど」  車座の中の中年女性の一人がそう言うと、みんなドッと笑った。すると続けて、 「おにぎりは、その名の通り「握る」もの。それに「お結び」ともいうからね。縁結びにちょうどいい」 有三がそう言うと、今度はみんな、笑うのでは無く、いたく感心した溜息のような声を漏らした。 「ということは、有三さんは、お結びを投げたキューピッドか」 「キューピッドがお結び投げるんじゃ、かっこ悪いなぁ」有三が伏し目がちに頭を掻いたので、また笑い声が起きた。けれど、有三は和美が作ってきた弁当のおにぎりとおかずの端に、小さな銀のリボンのついた包装があるのを見逃していなかった。「この弁当は、きっとこの小さなリボンに隠された中のもののためにある壮大なカムフラージュだ」そう有三は思った。 「あのチョコレート。翔一君、ちゃんともらえるかね。あの子、シャイだから」  隣で益美が、有三にしか聞こえない声で小さく呟くと、「俺のほかにも、それに気づいている者がいたか」と少し感心し、何も云わず黙って頷いた。  自分に授けられた縁は、ずっと昔から目の前にあったのだと有三は思った。「俺はさっきキューピッドだったが、今俺の前にあるのは縁だ。この縁の結び目の端はじっと掴んで離すまい」。有三の前には、益美の作ってきた弁当の容器が置いてある。さすが、小さいころからお互いを知って育った二人だった。何をしてもお互い相手を苦も無く受け入れられる、そんな気がした。このことをお互いずっと忘れていたのだと思った。おにぎりの具もおかずも、有三の好みのものばかりだった。容器の四隅の1つには、銀色のリボンの小さな包みがあった。
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!