六、巣立ちの日

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 慧はドアの前で立ち止まり、崩れきった花道を振り返る。 「またな」  出てきた言葉はたった三文字。思っていたよりずっと短い物だった。だけどそこに全てが込められているのがわかるから、啜り泣く音が大きくなった。  そして、咲希も慧の姿が完全に車に消えてから振り返った。  目の前の光景に、本当に卒業するのだと改めて実感する。  皆、初めて会った時より大きくなって、綺麗になった。頼もしくなった。  最初はその大きさとお城のような外観に驚いた寮も、今は安心感と親近感しかない。  同じ屋根の下で暮らすのは終わりかと思うと、もうここで暮らす事はないのかと思うと、色々な感情が込み上げてくる。  でも、思い残す事は何もない。だから。 「ありがとう。これからもよろしくね」  思い切り笑って、別の物が溢れる前に車に乗り込んだ。    車はゆっくりと走り出す。サイドミラーに写る姿は少しずつ小さくなって行った。  それぞれの寮の先輩の見送りのためか、通学路にはたくさんの他寮の生徒がいて、こちらに手を振ってくれる。その中には心菜の姿もあった。それに手を振り返しながら、最後のネデナ学園を目に焼き付ける。  右手には広大なショップ街。通路沿いにはそれぞれ外見が全く異なる各寮が並び、その奥に『はじまりの家』も見える。八年間変わらない光景だ。    だから急に飛び込んできた薄桃色に思わず声が出た。 「あっ……」 「どうした、って……」 「すごいな」 「ね」  答えながらも目の前の光景から目が離せない。    そこにあったのは大きな桜の木だった。太い枝を幾本もあらゆる方向に伸ばし、その全てが百花繚乱。まるで丘全体が桜の花々を纏ったかのように薄桃色一色だ。  ーーいつの間に。  ーー誰が。  ーー何のために。  思わずにはいられない。昨日通った時には確かに二本の果実の木が植えられていたのに、まるで最初からそこにあったかのように桜の大樹が咲き誇っている。 「綺麗……」  声に出したところで座席に置いた左手を一回り大きな手に包まれた。  視線を前に戻すと、大きな門はもうすぐそこまで迫っていた。  ネデナ学園に入学して八年間。  大切な人達と出会えた。  兄弟達と本当の家族になれた。  強くなれた。  辛い事もあったけど、その何倍も笑った。  心の底から思う。  ネデナ学園に入学して良かった。    正門を通り過ぎた瞬間、我慢していた雫が静かに溢れ落ちた。
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