絶対不可侵領域

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幼い頃の弟は、アツ、と名前を呼ぶ度に嬉しそうに笑う。 それが可愛くて可愛くて、用もないのに名前をずっと呼んでいた。けれど、アツは嫌がるどころか「お兄ちゃん」とニコニコ笑いながら駆け寄ってくるのだ。 いつからだろうか、あいつが俺を兄だと呼ばなくなったのは。 物心付いたときには亘、と下の名前で呼ばれるようになっていた。多分、中学の頃にはもうお兄ちゃんとは言わなかったはずだ。それを少し寂しく思っていた気もしたが、その反面、俺と同じくらいのでかくなったアツにお兄ちゃんとあの頃の笑顔で呼ばれても以前のように可愛く感じるかは甚だ疑問だ。 その日の夜、早めに休もうとベッドに潜ったとき。玄関の方から扉が開く音が聞こえてきた。アツが帰ってきたのだろう。 あいつが夜遅くに帰ってくるのにもすっかり慣れた。どこで何をしてるのか気にならなったが、アツはアツで過度の干渉を嫌がるのでもう触れないようにする。 俺はそのまま布団を被り、眠ってしまおうと目を瞑ったときだった。階段を上がる音が聞こえてくる。ぎし、ぎし、と軋む音。この音を聞くと、無意識に緊張する。神経が逆だってるのかもしれない。 いつも、この時間帯になると、中学生だったあいつは息を潜めて部屋に入ってくるのだ。多分、そのときからの名残だろう。俺は、廊下が軋む音を聞くと神経がそちらに集中してしまう。 なんか、期待してるみたいで厭だな、と思った。 半ばヤケクソにやりつつ寝返りを打とうとしたときだった。俺の部屋の扉の前で、足音が止まった。 え、と思ったと同時に、部屋の扉が開く。 薄暗い部屋の中、開いた扉から差し込むのは廊下の明かりと、アツの影。心臓が跳ね上がる。 まさか、と身構えたとき、アツがベッドに近付いてくる。 「起きてんだろ」 すっかり声変わりした、低い声。亘、と名前を呼ばれ、今度こそ飛び起きる。 薄暗い部屋の中、確かにアツと目が合ったような気がした。 「……どうしたんだよ、こんな時間に」 何か用か、と続けるよりも先に、伸びてきた手に、抱き締められる。臭ってきたのは、甘い香り。女ものの香水だとすぐに分かった。 「おい」と、その肩を押し返そうとしたとき、唇を重ねられる。酷く久しぶりにアツにこうして触られたような気がする。腰に回された手は背筋を撫でるようにシャツの下に滑り込む。 素肌に触れる手はひんやりとしていた。昔から変わらない低体温だ。 「アツ……っ、何……」 「何って、分かるだろ」 「俺が何しようとしてんのかくらい、お前なら」耳元で囁かれ、ゾクゾクと背筋が震える。 アツがこうして触れてくるのは、椎名の件以来だった。それ以降、少しだけだが優しくなった(ような気がする)アツに安心していたのに、どうして、と困惑する。 「……お前、こういうの、彼女にしてもらえばいいだろ」 このままでは、いつもの流れだ。それが恐ろしくなって、俺は誤魔化すためについ、そんなことを口にしてしまったのだ。 それが、アツにとって振られたくない話題だとしてもだ、気が逸らせればと口にしたその言葉に、アツの顔色が変わる。 「……いねえよ、そんなの」 苛ついたようにアツは吐き捨てる。そして、俺に軽蔑するような目を向ける。「女いるくせに手を出してくるお前とは違ってな」と、続けるアツに、息を呑んだ。 「っでも、お前、この前町中で腕組んで歩いてたのは……」 「付き合ってねえよ」 「……友達か?」 美和も、友達なのか、そう見上げ、尋ねればアツは「友達、ね」と笑う。それはあまりにも冷たく、醒めた目で。 「そんなにあいつのことが気になるのかよ。……元カノだから?それとも、弟に取られるのが気に入らないのかよ」 アツの様子がおかしいというのはすぐに分かった。 酒を呑んでるわけでもない、けれど、気が立っている。ベッドの上に押し倒される。服を脱がされそうになり、慌てて裾を掴んで下ろそうとするが、がら空きになった下半身、股の間に膝を割って入れられれば、そっちに意識を持っていかれてしまう。がばっと思いっきり捲り上げられ、外気に晒される上半身に寒気が走った。 「アツ」とその名前を呼んだ時、剥き出しになった上半身に顔を近づける。 「っ、おい……やめろ……ッ!」 「……細え体。こんなんでよく女抱けるな」 「な……ん……ッ」 お前が育ち過ぎなんだよ、という言葉は、アツに唇を塞がれ、物理的に遮られる。舌を絡め取られ、性器かなにかのように執拗に摩擦されれば、じわりと口内に唾液が分泌される。平な胸元を揉まれ、胸の突起周辺を親指でくすぐられれば前頭葉辺りから熱が広がっていく気がした。 「っ、ん……ぅ……ッ」 アツと、美和は付き合っていない。別に、恋愛にはいろいろな形があるし否定できるほどの立場でもない。けれど、アツのさっきの笑顔は、表情は、引っ掛かった。 乳輪ごと指先で摘まれ、凝ったそこを円を描くように揉まれる。嫌だ、と首を動かそうとしても余計深く噛み付かれ、口の中を舐め回された。 もう、こういうことはしてこないと思っていただけに、執拗に体を弄るアツの手に余計全身が熱くなる。悪い癖だと思う、本当に。気持ちよくなると何も考えられなくなるのだ。 「ぁ、つ……ッ」 唇が離れる。どちらのものともつかない唾液で濡れた口元を拭うこともできず、ただやめろと懇願することしかできない。せっかくちゃんと普通に話せるようになったのに、また、おかしくなる。それが嫌で必死にアツの手を離そうと掴むが、尖った先端部を強く引っ張られた瞬間、瞼裏で火花が散る。脳汁が溢れそうなほどの、熱が広がる。 「……期待しすぎだろ」 股の間、割って入ったアツの膝に無理矢理足を開かされ、ぎょっとする。スウェットの下、不自然に膨らんだそこを片方の手で揉まれ、全身がびくりと跳ね上がった。 熱を孕んだ目で見下され、顔が熱くなる。必死に隠そうとする俺に構わず、スウェットの上から全体を掌で柔らかく潰すように揉み扱いてくるアツ。その遠慮ない手に加えられる快感に情けない声が漏れそうになった。 「ぃ、やめろ、アツ、今日は下に母さんが寝てるんだぞ……」 「だからなんだよ」 「だからって……」 「アンタだって、隣に親がいようが構わなかっただろ」 その言葉に、息を呑む。 俺は、思わずアツの顔を見上げていた。俺を覗き込んでいたアツは、「何驚いてんだよ」と喉を鳴らして笑う。 ああ、そうか、と思った。 アツがしていたのは俺がしていたことと同じだ。 始め、眠ろうとしていたアツの部屋に忍び込んでいたのも俺がしていたことだ。因果応報、そんな単語が頭を過る。 隣に親がいるからやめようと言ったアツが可愛くて可愛くて、余計意地悪したくなってわざと手を出したときもあった。 それは、説得力ないわけだ。俺が何言おうと、アツには関係ない。挿入の有無はあるとはいえ、同じことを俺はしていたのだから。 衣類越しに下腹部を扱かれる。大きな掌で包み込まれるその圧迫感は気持ちよくすらあった。 アツに指摘されてから、強く言えなかった。アツがこんな風に育ってしまったのも俺のせいだと思うと、一抹の後悔を覚えずにはいられない。けれどそれも、すぐに掻き消される。先走りが滲み始めた下半身からは粘着質な音が響き、腰が揺れる。 「……ぁ、っ、く……ッ」 布越しの感触がもどかしい。徐々に競り上がってくる熱が全身へと広がる。アツの肩口に顔を埋め、声を押し殺した。布が擦れる音が、心臓の音が、やけに煩く響いた。執拗な責めの手は激しさを増し、俺は、呆気なく下着の中で射精する。広がる熱に、下腹部に滲む染みに、肩で息をする俺に、アツは満足そうに笑った。 「こんなんでもイケるんだな。……本当なんでもありかよ、お前」 馬鹿にされるように囁かれ、全身の火照りが一層増す。 「もう、勘弁してくれ」そう懇願すればアツは「嫌だ」と即答する。そして。 「自分で脱げよ」 「……何言って」 「裸になるんだよ、自分で。……できるよな、それくらい。」 誰がするか、言いかけた言葉を飲み込んだ。 「それとも、俺に脱がされる方がいいわけ?」どちらにせよ、やめる気はないらしい。一度射精させられぼんやりとした頭の中、アツの声はいつもより優しいはずなのに、酷く冷たく胸に落ちる。それがなんだか気味悪くて、俺は言葉を飲んでスウェットに手を掛ける。精液で濡れた下着を身に着けてるのは耐えられなかった。けれど、アツに見られながら脱ぐのとなればまた話は変わってくる。 指先が震える。逆らおうとすれば逆らえたが、どちらにせよ脱がされるのだ。そう思うと、まだ自分でやった方がましだと思った。 アツが昔の話を持ち出したのが原因か、俺の頭の中ではまだ幼かったアツとの行為が明確に蘇っていた。 今まで忘れようと閉じていた蓋がアツによって無理矢理抉じ開けられる。けれど、あのときとはまるで立場は逆転していた。 下着ごとずらしたスウェットをそのまま足首から抜き取る。服の裾を引っ張り、剥き出しになった下腹部を隠そうとするがすぐに「上も脱いで」と命じられた。今度は、笑みもない。無表情の弟には、妙な圧があった。 今夜のアツは、様子がおかしい。こんなことしておいておかしいもクソもないのかもしれないが、機嫌が悪いのは明白だ。女と何かあったのだろう。思ったが、それを口に出すことはできなかった。触れられたくないというアツの気持ちがありありと伝わってきたからだ。 恥ずかしさはあるものの、脱ぐことによりアツの機嫌が治るなら易いものだと思う。 けれど、やはり、全裸になることに抵抗はあった。 大分薄れてきたものの、鬱血痕が滲み、広がった全身はあまり見てて気持ちのいいものではないだろう。着ていたシャツを脱ぎ捨てれば、アツはじっとこちらを見つめてくる。全身に穴が開きそうなほどアツの視線を感じた。 「挿れやすいように、そのまま自分で足開いて」 そして、続く言葉に思わずぎょっとする。冗談じゃない、そう言い掛けて、視線がぶつかった。「拒否するのか」と、無言で詰ってくるその目に、言葉を飲んだ。 「抵抗する俺には無理矢理触れてきたくせに、自分は拒否するのか」そう言われてるみたいで、声が出ない。 裸になるのとはまた別の問題だ。嫌な緊張感に、既に全身はじっとりと汗で濡れていた。俺は、込み上げてくる諸々を堪え、そのままアツに背中を向ける。ベッドの上、犬みたいに四つん這いになり、持ち上げた腰に、臀部に、自らの手を添えた。 「……これで、いいのかよ」 アツの顔が見れなくて、背中を向けたのだけど、後悔した。威厳もクソもない体勢に、一層惨めになる。既に無いに等しいであろう兄としての矜持もなにもかもを捨て殴る、それも、自分の手でだ。アツは、「流石だな」と満足そうに笑った。全然、ちっとも、嬉しくない。
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