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「亘、アンタちゃんと部屋片付けて行きなさいよ。ほら、これも。どうせろくなご飯食べてないんでしょ?たまには自炊でもしてちゃんとしなさいよ」
「わかった、わかったってば。……ったく、荷物増えるなー」
「またそんなことばっか言って!ありがとうでしょ!」
「はいはい、ありがとねー」
母親から紙袋いっぱいに詰まった食材を受け取り、どうやって持って帰ろうかと俺は考えていた。
8月も後半になり、まだ暑さは残るもののずっとここに居座っているわけにも行かず一人暮らししてる自宅へと戻ると言い出したのは先日のことだった。
アツには言っていない。言えなかった。けど、多分母親から何かしら聞いてるだろうと思った。
だけどあいつは何も言わなかった、「帰るな」とも「ここにいろ」とも言わず、朝から顔も出していない。
あの夜、アツがしてきたことを知って、幻滅しなかったといえば嘘になる。おかしいやつだとわかった。
けれど、俺のせいでああなったのか、そう思うと、何も言えなかった。……そんな自分のしでかしてきたことから逃げ出したかった。
アツと美和のその後も知らない、仲間にだけ帰る旨を伝え、荷物を纏めた俺は実家を出た。
夏の日差しがひりつく中、家の前で待ってた仲間に駅まで送ってもらう。
駅で新幹線に乗り換え、自宅までどんぶらこと運ばれる。
まるで、現実味のない夏休みだった。椎名のことも、アツのことだって、まだ夢のように思えるのだ。けれど、体に残ったあらゆる痕跡が夢ではないと知らしめるのだ。
新幹線の中。
長時間揺すられ、気が付けば俺は眠っていたらしい。
目的地である駅名が聞こえてきて飛び起きる。降りる乗客に混じって、切符を確認しながら俺は荷物を手に新幹線を降りた。
駅で更に自宅へ続く電車に乗り換え、ようやく自宅へと帰ってきたとき既に辺りは日が沈んでいた。
同棲するために一緒に地元を出てきた元カノが、遊べる場所が多いところに住みたいと言い出したので夜でも開いてる店が多い表通り沿いのアパートの一室を借りていた。
階段の段差を一段飛ばしで駆け上がる。体に響くが、それでもどうでもよかった。
アツとのことがあってから、人気のない道を通るとなんだか落ち着かない気分になるのだ。それから早く逃れたくて、足早になる。
部屋の前、出てくる前と変わらない家の前にホッとしながらも俺は鍵を取り出し、部屋を開ける。
家、米あったっけ。早めに飯用意して、今日は休もう。
飲みに行く元気はなかった。
そんなことを考えながら靴を脱ぎ、部屋の明かりを付けた瞬間だった。
玄関の前、そこに座り込んでいたやつを見た瞬間俺は声を上げそうになった。
けれど、声は出なかった。立ち上がったやつに口を塞がれたからだ。
「……遅かったな、兄貴」
どうして、アツがここに。
そんな声はならなかった。その手に握られてる合鍵を見てしまったからだ。
「……俺から逃げられねえって言っただろ」
噛み付くように耳朶に押し当てられる唇から吐き出されるその声に全身が熱くなる。突き飛ばそうとするが、掴まれた腕はびくともしない。
手からすり抜ける荷物。紙袋の中から零れ落ちた林檎が足元に転がった。
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