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アツから連絡が入っていたのは、店の個室に入って注文したものも届いた頃だった。
俺が家にいないことに気付いたのか、それとも気まぐれか。分からないが、俺はそれを無視して酒をあおった。
椎名が予約していたのは、俺が想像していた居酒屋よりも雰囲気のある店だった。間接照明が照らす薄暗い個室の中、低音のBGMが相まってか心地よく酔わせてくれる。
「そういやいつまでこっちいんの?」
「今月まではって思ってたんだけど、うーん、そろそろ帰るかなって思っててさぁ」
「なんで?……向こうで待ってるやつがいるからとか?」
「……それ聞いちゃう?」
俺の反応に、察したのだろう。椎名は、はは、と息を漏らすように笑う。
「そういやお前この前の飲み会のときもだけど、一言も彼女の話しなかったな。まさかまた別れたのか?」
「別れたってか、振られたってか、捨てられたってか……」
事実、今特定の相手はいない。一晩だけ遊んだりということはあっても、ちゃんと付き合おうって流れになったことはなかった。それでもいいと思っていた時期があったのだ。けれど、今となればちゃんとした恋人がいればアツの態度も違ったのかもしれない。と、思うのだ。
「んじゃ今一人なんだ」
椎名はジョッキを手にし、中のビールを流し込むように飲む。なんとなく、椎名の声が僅かにだが弾んだような気がした。そんなに俺が振られてたら面白いのだろうか。
正直俺自身はあまり触れられたくない話題ではあるので面白くはなかった。
「女の話はいいだろ、別に。今日は椎名と飲んでんだから、そういうのはナシの方向で……」
そう、咄嗟に話題を変えようとしたときのことだ。
「なあ、亘」と、椎名に手を掴まれる。いきなり触れられたことに驚いて、思わず椎名の顔を覗き込む。
卓を挟んで向かい側。酒が回ってるようには見えない。けれど、見たことのない顔をした椎名がそこにはいた。
「……なに?どーした?」
「じゃあさ、俺と付き合おう?」
それは、聞いたことのない、優しくて甘い声。まるで女を口説くときみたいに、真っ直ぐにこちらを見つめてくる椎名に思わず俺は思考停止する。
「な、何……」
「お前女向いてないんだよ。試しにさ、俺と付き合おう、って言ってんの」
「……お前、もう酔ってんの?」
「酔ってねえよ。つか、これ結構マジだから」
「いや、いやいやいや……お前だって、彼女、いたじゃん」
「別れた」
「そ、そーなんだ……」
いつもならなんで別れたんだよ、とか色々突っ込んでたのかもしれないがこの状況下、口が回らない。変な汗が滲む。椎名に限ってこんなたちの悪い冗談、口にするとは思いたくはないが、それにしても、笑えない。
この妙な空気に耐えきれなくて、「ちょっと便所」と席を立とうとしたとき、思いっきり腕を引っ張られる。そして、
「……逃げるなよ」
二人用ソファーの上、座る椎名の膝の上へと抱き寄せられる。逃げる間もなく、強く俺を抱き締めた椎名は首筋に顔を埋め、深く呼吸を繰り返した。
「……やっぱ、お前といると楽だわ」
「っ、おい……」
耳元、椎名の低い声が、鼓膜から直に染み付くようで全身の毛がよだつ。
高校の頃運動部だった椎名と、中高帰宅部だった俺の筋力差は明らかで、逃げようとしてもがっちりと抱き締めてくるその腕はびくともしない。
酔ってるにしても、度が過ぎてる。「いい加減にしろ」と椎名の肩を掴んだときだった。椎名の指が首筋に触れた。顎下から頸動脈へとゆっくりと皮膚をなぞるその指の感触に、体が震える。
「……ここ、この間の飲んだときはついてなかったよな。痕」
その椎名の一言に、カッと顔に血が集まった。アツとの行為が蘇り、反射的に椎名を殴りそうになって、振り上げた拳はあっさりと受け止められる。
そこに、いつもの優しい笑みはない。
「……誰につけられた?」
内臓が底冷えするようなその声に、全身の酔いが冷めていくようだった。
「お前に、関係……ないだろ別に……」
「……そんなこと言うなよ、俺は、ただ、知りたいんだ、また遊んでるのか?結婚する気もない女相手に……」
「っ、やめろ、近付くなっ」
「……亘」
「し、いな……ッ、ん……」
視界が陰に覆われる。後頭部を掴まれ、深く、何度も角度を変えて唇を重ねられた。濡れた舌を絡められれば、喉奥体の奥底へ直接アルコールを流し込まれてるような錯覚すら覚える。
「……っ、ふ、ぅ……んぐ……」
抑え込まれた体では、抵抗することすら儘ならなかった。太い舌で好き勝手咥内を舐られる。性器みたいに舌を舌で愛撫され、溢れる唾液を啜る椎名に、俺は、まだ自分が何されてるのか実感が沸かなかった。これは悪い夢なのではないだろうか。ごくりと喉が鳴り、流し込まれた唾液とアルコールが染み渡る。そこでようやく、この感覚が夢では有りえないことを思い出すのだ。
「……っん、ぅ、……はッ……俺、今、亘とキスしてる……すげぇ……夢見てぇ……」
「っ、ぅ、や、め……ッんんむ……ッ」
女の子のちっちゃい舌とは違う、太く、肉厚な舌先で咥内を犯される。酸素すら奪われ、塗り替えられる。アツにされたときとは違う、込み上げてくるそれは明確なほどの嫌悪感。
赤の他人、それも男の体液が流れ込んでくると思うと内臓の辺りが気持ち悪くなって、必死に顔を逸らそうとするが椎名はそれを許してはくれなかった。食い込む指に無理矢理正面向かされ、余計深く舌を挿入された。喉ちんこに舌が擦れ、舌の根本、その裏筋を舐られると頭の奥がじんと痺れ、腰がびくびくと揺れた。下半身が、熱い。酒のせいか、否かすらも分からない。嫌なのに、体が言うこと聞かないのだ。
そんな俺を現実に引き止めてくれたのは、ケツポケットに入れっぱなしにしていた携帯だった。スマホのバイブレーションは、アツからの電話だろう。熱に侵される思考の中、どうにかして助けを求められないかと思案したがそれよりも、椎名の方が上手だった。
「……っは、……ぅ……」
腰に回された大きな掌は、揉むようにケツに触れ、そして、携帯を引き抜いた。
そして、案の定アツからの電話を着信していたそれを切り、笑う。
「ゃ、返し……ッ」
「いらねえだろ、こんなの。……久しぶりに二人で飲んでんだから」
「っ……かえせ……しいな……」
「……可愛いな、亘。お前、もう呂律回ってねえじゃん」
そう、自分の上着に仕舞った椎名はまた俺にキスをし、そして、テーブルの上、まだカクテルの残ったグラスを手に取り、そして、俺の胸の上でそれを傾けた。ひんやりとしたピンク色の液体がシャツを濡らし、その下の素肌へと染み込んでいく。股の間へと零れ落ちる氷を摘みあげ、それを咥えた椎名は目を細めた。
「……悪いな、手が滑った。……早く脱がないと、このままじゃ染みになるぞ」
「俺が手伝ってやる」と、椎名は、放心する俺に向かって優しく笑いかけてくるのだ。俺が大好きだった、いつもの人よさそうな顔で。
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