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『夕方から夜にかけ、天気は荒れるようです。お出かけの際は折り畳み傘を……』
一階のリビングから、長政が付けっぱなしにしたままの天気予報が流れてくる。
雨か。やっぱ面倒だな。
なんて思いながらリビングの扉を開いたときだった。
冷蔵庫の前、もぞもぞと動く物体が一つ。
「……」
一瞬まだ寝ぼけているのだろうかと目を擦ってみるが、何度見てもそこには確かに人がいた。
骨ばった後ろ姿からして男だろう。
明らかに長政のものと違う後ろ姿。
これだけならまだ良かったのだが、どういうことだろうか。その男は見覚えのある体操服着てる。長政のだ。
ええと、とにかく纏めてみよう。
長政の体操服を着た男が冷蔵庫の中を漁ってる。おしまい。意味わかんねえ。
と、ここでようやく開いた扉の気配に気付いたらしい。
男が振り返った。
男の右目を覆う白い眼帯越し、確かに目があって、俺たちは動きを止める。
そして沈黙。
「……」
「……」
「……」
バタン、と。
思わずリビングと扉を閉めた俺。
いやいやいや、ちょっと待てよ。
どういうことだこれ、ってか多分これ見なかったことにしちゃダメなやつだよな。
と、混乱する自分を落ち着かせ再びリビングの扉を開ければ、食品棚に隠していたはずの俺の菓子パン食ってる男。
「ってなんで食い続けてんだよ!」
思わず突っ込んでしまった。
無防備にも飯に夢中になってる男の胸倉を掴めば、「んぐっ!」と呻くパン頬張り男。
「つーかてめえそれ長政のだろ、なんで着てんだよ。お前のせいで俺は朝から叩き起こされ……」
「んーっ、んー!」
見る見るうちに青褪める男はばしばしと俺の肩を叩いてくる。
どうやら苦しいと言ってるのだろう。
「あ……わり……」
と、つい謝ってしまう。
どうやら食べ物を詰まらせたようだ。
「っ、水、水くれっ」
「ああ、水な。ちょっと待ってろ」
ってなんで俺が。まあ持ってくるけど。
ついつい流れで従ってしまう汚れなき自分の優しさを自画自賛しつつ、冷蔵庫のペットボトルを取って水を注いでやれば、それを受け取った男はがぶがぶと一気に中身を飲み干した。
そして。
「ぷはー!……ああ、生き返った……っ!」
ボサボサに乱れた黒い髪。
赤みがかった明るい、猫目がちな瞳。
恐らく、眼帯で隠された右目も同様の色をしているのだろう。
同い年くらいだろうか。長政と同級生といっても納得できるような、どこかまだ幼さの残ったその男はまさに年齢不詳。
しっかりした体格や骨格的には俺より上といっても納得ができるくらいには出来上がっていて。
お陰で長政の体操服がちょっと可哀想なことになってて見てられない。
「ごめんな、いきなりびっくりさせちゃって」
溌剌とした大きな声は、聞き取りやすい。
それにしても泥棒のくせに逃げようともせずにフレンドリーに話し掛けてくる。
「いや、別にいいけど」よくねえよ、と自分で突っ込みつつ、俺は目の前のフレンドリー体操着泥棒を見下ろす。
「つか、なにお宅。泥棒?」
「いや、実はその、俺にもよくわかんなくて」
「は?」
「目が覚めたら変な研究所にいてさ、いきなり襲われそうになったからそのまま逃げてきたんだけど肝心の記憶がなくて、どうしたらいいのかわかんなくてひたすら走ってたらここまで辿り着いて、服とついでに飯を調達しようと思って」
「……」
これが俗に言う電波というやつなのだろうか。
現実味のない言葉は軽薄な口調のせいで相俟って胡散臭いことこの上ない。
「あ、その目、信じてないだろ?……まあ、無理もねえか。俺でも無理だもん、こんな胡散くせえやつ信じられねーしな」
肩を竦め、笑う男。自分自身のことなのにまるで他人事のようなその態度に益々怪しい。
怪しいけれど。
「あんた、記憶がないって言ったか?」
「ん?ああ」
「名前も、住所もか?年齢も?全部?」
「ああ、それはまじ。自分の名前もわかんねえし、なんであそこに居たのかもわかんねー」
「……」
言いながら、二個目のパンを貪る男。
ってなにどさくさに紛れてまた食ってんだよ。油断も隙もねえ。
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