最終章

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「捨てないでくれ、スレイヴ……ッ」  額がぶつかる。それでも、離れたくない、離したくないとでも言うかのように密着した体に息を飲む。  なんで、イロアスがそんなことを言うのかがわからなかった。だって捨てようとしたのはお前で、俺は……。 「っ……」  言葉が出なかった。スレイヴ、と俺の名前を繰り返し、まるで子供のようにしがみついてくるやつに俺はただ唖然としていた。  俺の知っているあいつは、勇者イロアスは、もっと気丈なやつだ。困ってる人を助けずにはいられなくて、それでも無謀なことをするような馬鹿でもない。一歩引いたところから冷静に物事を分析し、突っ走ろうとする俺を引き留めてくれた。  けど、今目の前にいるのは。 「スレイヴ……ッ」  まだちょこちょこと俺の後ろを着いてきていたときの泣き虫で弱虫なあいつだったのだ。 「っ、な……んだよ、それ……」  ぽたぽたと頬に落ちてくる雫は流れ落ちていく。なんで、お前が泣くのか。なんでお前が恐れているのか。イロアスが理解できない。  けどただ漠然と理解できたのはこいつは何も変わってない。俺の姿が見えなくなると一人で泣いていたあのときと、なにも。 「スレイヴ……ッ」 「お前、無茶苦茶だ……っ」  無性に腹が立った。理由は明快だ。俺は目の前のこいつと、自分自身に腹が立ったのだ。  こいつのことを理解していたつもりだった。けど、実際どうだ?どこが立派な勇者様だ、ここにいるのはあのド田舎で暮らしていた子供だ。 「……俺を捨てたのは、お前だろ」  怒鳴る気力もなかった。  苛立ちと、それ以上に虚しかった。こいつのことを何も気付かなかった自分に、ずっとそれを隠して俺の前でまで取り繕っていたというこいつに。 「っ、違う、それは……」 「……っ、やらないなら退けよ。この部屋から出ていけ」 「スレイヴ……ッ」 「お前は、自分勝手だ……ッ!俺はずっと、お前のことを――……ッ」  お前のことを支えていたかった。  隣にいるのは俺だと思っていた。  それはこいつも同じように考えてくれていると思ったからだ。  けど実際はどうだ。必要なくなれば捨てようとし、捨てないでくれと頼めば性処理にされる。  いざ出ていこうとすれば強引に引き留められ、挙げ句の果に俺の味方をしてくれたナイトにまでこの仕打ちだ。 「……お前の顔なんて見たくない」  許せなかった。俺自身も、イロアスも。  イロアスの手から力が抜ける。ずるりと落ちる腕。目を見開いたままイロアスは暫く動かなかった。スレイヴ、と掠れた声で名前を呼ばれるが、答える気にもならなかった。目を逸らせばイロアスはがっくりと肩を落とし、そして上体を起こし俺から離れるのだ。  また酷い真似をされるかもしれない。そう覚悟を決めて目を瞑ったが、一向になにも起こらなかった。  それどころかベッドから一人分の重みがなくなり、小さくスプリングが軋む。 「……悪かった」  微かに聞こえたその言葉は聞き間違えではないはずだ。  顔を上げれば、ベッドから降りたあいつは部屋を出ていこうとした。言葉は出てこなかった。  なんで謝るんだよ、今更。なんで。あんなことしておいて。  濡れた頬を拭う。  イロアスが部屋から出ていったあと、俺は暫くベッドの上から動かなかった。
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