ヴィクトル・ラーゲルレーヴ

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「服と馬はすぐに用意させるわ。軽い朝食も」 「フレドリカ、感謝する。だが、朝食は……」 「ああ、急ぐのね。でも、王都を出るまでは馬に乗っていくのよ」  馬は次に来る時に乗って来ればいい。人目につくところでは空を飛んではいけないと、母親が子どもを諭すようにフレドリカは続ける。ステファンが神妙に頷くのを見て、フランはなんだか温かい気持ちになった。  子どもの頃のステファンを、魔力を恐れる人々から守り、その人たちの中で過ごせるように導いてきたのはフレドリカなのだ。  昨夜の逢瀬の中でステファンが言った言葉を思い出す。 『おまえを奪われるようなことがあれば、俺は本当に闇の魔王(あくま)になって、ストランドたちを滅ぼしてしまうだろう。かつて先代のラーゲルレーヴ公爵がそうしたように、建物を破壊し、その場にいる人々の命を奪い、王宮を焼き払うかもしれない……』  そんなことはしたくないとステファンは囁くように続けた。だから、安全な場所にいてくれと。  強すぎる魔力を与えられた時、人がそれをどう使うかを神器は常に試している。全ての力を封じなかったのは、人の心を試すため。  力に頼るのか、対話によって道を探すのか。 『強すぎる力が生むのは、支配か破滅だ。誰も幸せにはならない』  メイドから渡された服を身に着けるステファンを見ながら、フランは考える。  マットソンの屋敷にいた頃、フランはずっと、力に怯えて生きていた。大きな声で怒鳴られたり、強く叩かれたり、単純だけれど絶対的な力の差に抗うことができなかった。いつもビクビクしていて、幸せが何かということすら、考えることができなかった。 (でも、力は全部が悪いわけじゃないよね……)  普段、レンナルトやステファンが使う魔法はとても穏やかで、生活の役に立っている。ステファンが作る薬はたくさんの人を助けたと聞いた。マットソンの屋敷でも、ベッテやドロテーアおばあさんは小さな力しか持っていなかったけれど、その力を合わせて幼いフランを守ってくれた。 (どういうふうに使うかが、大事なのかもしれないな……) 「フラン」  ステファンに呼ばれて顔を上げる。 「闇医者たちと、アマンダの仲間も協力してくれている。目的の人物が最近レムナにいたこともわかっている。そんなに時間はかからないはずだ」 「うん」  神官たちより先にその人を見つけなければいけないのだ。王の信用を取り戻すために必要な人だとステファンは言った。 (その人が見つけられたら、本当のお兄さんである王様とちゃんと話ができるんだよね……。カルネウスが見つけた不正の証拠を、王様に見せて、悪い人に罰を与えてもらえるんだ……)  フランにはまだ全部はよくわからない、いろいろな問題にも向かい合ってもらえるのだろう。 (あと少し、我慢する……)  枕のまわりに並べたステファンの服をしっかりと確かめ、胸の前でぎゅっと拳を握った。 「馬の用意ができたわよ」  フレドリカが呼びに来て、フランも一緒に階下に下りていった。朝もやが立ち込める前庭に出て、黒い馬にまたがるステファンを見上げる。 「いい子にしてるんだぞ」  何度目かわからない同じ言葉をかけられて、「うん」と頷く。フレドリカに「フランを頼む」と告げると、周囲に人目のないことを確かめた上で、まだ静かな夜明けの街へとステファンは馬を駆って出て行った。  秋が少しずつ近づいている。朝晩は肌寒く感じることも増えた。いつまでも門を見つめていたフランに、フレドリカが優しく声をかける。 「フラン、そろそろ中に入りましょうか」  屋敷の中に戻ると「ずいぶん早起きね」と頭の上から声が聞こえた。ホールの真ん中にある弧を描く階段を見上げると、エミリアが降りてくる。 「ステファンが来ていたのよ」  フレドリカが説明すると、エミリアは、「ああ」と訳知り顔で微笑んだ。 「アマンダが言ってたわ。フランの手紙を受け取ったら、きっとステファンは文字通り飛んでくるんじゃないかって」  フランは不思議に思ったが、「そのくらい素敵な手紙だったってことよ」とエミリアに褒められて、なんだか嬉しくなった。 「少し早いけど、もう起きてしまったことだし、居間で暖かいショコラでも飲みながら朝食ができるのを待ちましょうか」
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