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燿子は、人形制作の専門学校に行きたかったが父親が大学でないと学費を出さないと言ったため、東京の美大の彫刻科へ進学した。 父親は地方で不動産業の社長をしている仕事人間で、家にいる事はめったになかったが、節目で必ず指示をした。意見ではなく、従うことが前提の指示であった。燿子は養ってもらっているのだからと、特に反抗する気持ちもなく従った。いつも提示された中から選択するのが当たり前になっていた。  大学在学中は、誰かに言うことも見せることもなく、自己流で人形を作り溜めていた。 大学三年の夏、百貨店の美術サロンで開催されていた「ジロー・九十九の人形展」を見に行った燿子は衝撃を受けた。 ジローの作品は、少女を象ったものであるが、中性的で少年に見えるものもいくつかあり、あの少年のビスクドールのような表情をしていた。 燿子は作品集を購入したが、サイン会は長蛇の列で諦めた。ジロー本人がその場にいたようであったが、人だかりで一目見ることも叶わなかった。 作品集の最後のページに載っていたジローの写真は、青色と深緑色の眼のアップであった。作品の人形と重ね合わせ、燿子の想像はあの少年のビスクドールとジローそのものが重なるようになっていった。
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