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翌朝、やはり新藤くんとバスで会う。昨日のようになってはたまらないと、私はあらかじめ二人掛けの席に座っていた。乗り込みながら新藤くんはきょろきょろと辺りを見回し、私を見つけると躊躇いなく隣に座る。簡単に挨拶を済ませ、バスの発進と同時、彼へCDを返す。五曲目が好きだった、と伝えると新藤くんも「俺も好き」と笑う。
「俺、クラスではできるだけメジャーどころの邦ロックとかの話するようにしてて。まあ別に××××の話したって『誰それ?』って返されるだけで否定されるとかじゃないんだろうけど、まあでもその誰それって返しも結構寂しくなっちゃうもんだから」
バスの中でも大声で笑えてしまう新藤くんは、私が思っていたよりもずっと繊細な人であるようだった。彼は手の中のCDを大切そうに親指で撫でながら、
「歌詞の和訳、読んだ?」
と私に訊ねた。短く頷いてみせる。彼は言葉を続ける。
「結構暗いよなあ。うつっぽいって言えばいいのかな。あんまり褒められた内容じゃないっていうか。『友達いないやつがこぞって聴いてそう』とかって悪評もあったりするらしいんだよね。はは」
私には彼へ返すべき言葉が見つけられなかった。一体彼がどのような言葉を求め、朝からこんな話をしているのか、皆目見当もつかなかった。だから、私には彼が次に切り出す言葉を全く予見できなかった。
「三上さんが××××を名前くらいしか知らないって嘘吐いたのも、そういう理由からだった?」
彼は知っていたのだ。
もちろん馬鹿にされるのだとは思わなかった。
彼が私を馬鹿にするためだけにわざわざバス通学に変え、私に話しかけ、自らCDを買い、それを私に貸したとは到底思えなかった。おそらく彼は、私のクラスメイトが言った通り友達が少なくて、暗くて、こういう音楽を好んでしまう側の人間なのだ。彼は私と同じような人間なのだ。
しかし、私はそれを受け入れられるほど強い人間ではなかった。
「はは……、やだな、どういうこと? 嘘吐いたって? どのあたりのこと? ちょっと新藤くんの言ってる意味がわかんないかも」
私はへらへらと笑う。新藤くんがあからさまに傷ついたような顔をしている。彼は小さな声で、「いや、もういいや」と呟き、口を開くことをやめた。
バスは進む。あと三つ、信号を越えたら学校だった。信号が赤に変わり、停車する。上半身が薄く揺れる。私のスマートフォンが震える。コートのポケットから取り出す。届いたLINEを読む。大した内容ではない。教室に行ったら口頭で返事をしよう。既読だけをつけ、そのまま画面を消す。再びバスが発進する。
「俺さあ、もうすぐ高校辞めるんだよね」
「え?」
「高校。辞めるんだ。引っ越すことになってさ。親が離婚するんだよね。親きょうだいは転入しろっていうんだけど、なんかもう、疲れちゃって。いろいろしんどくてさ、今さら別の高校で人間関係再構築するのも、まあ俺には無理だろうなあって。その場の空気読んで、他人と足並み合わせて、とか、そういうの向いていないんだよ、たぶん。俺」
新藤くんが笑う。少なくとも私には笑っているように見えていた。
「LINE、返してやんなよ。どんなメッセージであれ、既読スルーは寂しいもんだよ」
思わずスマートフォンを握り締める。同じように、新藤くんもCDを強く握っていた。
「画面。横からでも結構見えるんだよな。気をつけないとさ。同じ学校の男子生徒に覗かれて、ああ俺と同じバンド好きなんだ、とかって思われたりするんだから」
バスが停まる。気がつけば高校最寄りのバス停に着いていた。新藤くんが立ち上がり、それと同時に、
「これ、あげるよ」
CDを私の鞄に無理矢理ねじ込んだ。私が動揺しているあいだにも彼は運転席のほうへと歩き、料金を支払い、タラップを降りていく。私も慌てながら彼の後を追いかける。
「あの、新藤くん」
隣に並び、私は彼に話しかける。彼は構わず自らの話を続ける。
「俺、今は一軒家に住んでるんだけどさ、離婚後は母親についていくからアパートになるんだよね。もう内見は済ませてて。てか、もうすでに母親はそっちに住んでてさ、自転車ももうそっちに送っちゃってるから今はバス通なの。いや、そもそも予定ではもうとっくに高校辞めてるはずだったんだよなあ。ただ高校の退学手続きがなかなか進まなくてさ、やっぱ教師たちも辞めさせたくないんだなー。家庭の事情とかなんとか、最終的には無理矢理言いくるめてって感じだったけど。教師も、思ったより口出してくるんだなーってさ……、はは。で、その新しいアパートの部屋のカーテンがさ、寸足らずなんだよ。十センチくらいかな。一軒家のときに使ってた薄灰色のやつをそのまま持って行ったから仕方ないんだけど、なんかその十センチ足りないってのがすげえみすぼらしくて、ダサくてさあ。その透き間からちらちらって外の世界が見えるのがさ、時々無性に嫌になるんだよ。そういう気分のとき、俺、××××の曲聴いてるんだ」
玄関に到着する。靴を脱ぎ変えるため新藤くんが自身の下駄箱の前に向かう。私の下駄箱は四つ隣の棚だった。急いで履き替え、廊下で新藤くんの姿を探す。すぐに見つかる。彼は私のことをじっと見ていた。
「三上さんならこういう気持ち、わかるのかなあって思ったんだ。ただそれだけ」
そういうと彼はそっと笑い、踵を返して廊下を進んでいった。
この道の先には職員室があった。
ホームルーム後、新藤くんのクラスメイトに訊ねると彼が今日付で退学したと教えてくれた。新藤、誰にも相談していなかったんだよ。彼女が表情を暗くする。私はその表情の変化を肯定的に捉えられない。
「でも三上さん、新藤と仲よかったんだっけ?」
不意に彼女からそう言われ、私は少し考えて、それから、
「ううん。でも好きな音楽が一緒だったんだ。それだけ」
と返してやる。
彼女が「なんていう曲?」などと訊ね返してくることはなく、代わり、
「そのうちLINEでも出してやってよ」
私へそう提案してきた。うん、と短く言葉を返し、私は再び自身の教室へと戻る。連絡先一つ知らない私が彼の携帯電話を震わせることはない。一限目の開始を告げる鐘が鳴る。教科書とノート、筆記具を取り出すため鞄の中に手を突っ込む。指先にCDのプラスチックケースが触れて、私はそれをそっとなぞり上げていた。
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