バスの中

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 昼過ぎには雨も止み、下校時間になるとむしろ雲の透き間からは金色の光の筋がちらちらと見え隠れしていた。相変わらず校庭は水浸しだったが、陸上部は室内でのトレーニングを行うらしく、廊下ですれ違った同級生の女子生徒は「めんどくさいよー」と文句を垂れながら私に手を振った。部活動に参加していない私は、誰かに誘われない限りどこにも寄らず真っ直ぐ家へ帰る。きょうも誰からも声をかけられなかった。自分から声をかけることはまずない。  視界や道路が悪いわけでもないのに、バスはなかなかやってこなかった。土地柄なのか、遅延することは少なからずあるので十分程度は気にしないのだが、この日は十五分経ってもバスはやってこない。何度も時刻表を確認しながら首をひねっていると、 「あれ、もしかしてまだきてない?」  駆け足で近づいてきた新藤くんが嬉しそうに私に訊ねた。 「あ、うん、まだ。すっごい遅れてるみたい」 「おおー、ラッキー。雨のせいかな? でももう晴れてしばらく経つし、道路もそんなに水浸しって感じじゃないよね」 「ね、ほんとに。何かあったのかな」  新藤くんがポケットからスマートフォンを取り出し、何かを入力する。手際よく作業しながら、そうして、 「ああー、なんか事故っぽい」 「え? 事故?」 「うん、ツイッター。ほら」  彼が私に画面を見せる。映っていたのはツイッターに載せられた写真で、新藤くんは路線名とバス会社で検索をかけたらしい。本来であれば私たちを乗せていたはずのバスは、観光地付近の三車線道路の中央分離帯に突っ込み、前方がひしゃげていた。 【××前で×××のバスが事故ってた。フロントガラスぐちゃぐちゃだわー】  添えられた言葉の軽さと写真の重さが釣り合わない。新藤くんは画面を眺めながら、 「なんつーか、よくこういうの撮れるよなあとか思うわ。まあ情報としては助かっちゃってるんだけど」  まるで写真の中のバスみたいに顔面を顰める。 「まあこういうことなら仕方ない。歩くかあ」  新藤くんが歩き始める。少し行ったところには別路線のバス停があった。おそらく彼はそこに向かうのだろう。私も新藤くんの後をついていく。  新藤くんはB組の生徒だったが、去年同じクラスだったこともあり別段緊張することもなく話せた。彼は他の男子たちよりも頭半分背が高く、スラックスの裾がちょっとだけ短い。入学当初は平均的な身長だった新藤くんは、この一年半ほどでうんと背が伸びたようだった。道をショートカットするためコンビニエンスストアの駐車場を斜めに過ぎる。公衆電話の囲いに一瞬だけ映る私たちは、平均身長より五センチ小さい私の影響なのか何となくバランスが悪い。  目的のバス停に到着し、新藤くんと並んでバスの到着を待つ。新藤くんに倣い、ツイッターでこの路線で何か事故が起きていないか確認してみるが問題なさそうだった。新藤くんにそれを伝えると、 「三上さん、マメなんだねえ」  と、少しピントのずれた答えが返ってくる。  私たち以外にも、バスの事故を知ったのだろう生徒たちがぽつぽつと列に並ぶ。複数人で並ぶ子たちは各々お喋りに夢中で、ひとりの子は皆イヤホンを嵌め何かを聴きながらスマートフォンをいじっていた。私は新藤くんと並び、何を言うでもなく、聴くでもなく、ふたりじっと前を見つめていた。  しばらくしてバスがやってきて、先頭の新藤くんから順に乗り込む。新藤くんは後方の二人掛けの席に座り、私は前方の一人掛けの席に座った。鞄からイヤホンを取り出し、スマートフォンに繋ぐ。適当な音楽を流し、キュレーションサイトや有名人のインスタグラムなどを暇つぶしとして眺める。都会で流行っているという、いかにも合成着色料だろう毒々しい色合いの飲料はまだこの街までたどり着いていない。見つけたら買って写真を撮ろうと思っているけれど、きっと私が手にするよりも先に他の子たちが買って、各々のSNSにアップするのだろう。そこに示される、私の交友関係では賄いきれないほどの“いいね”を私は「羨ましい」と思ったりする。皆が承認欲求を満たすためだけに行う様々を鼻で嗤えるほど私は大人じゃなかったし、孤立を受け入れられるほど強くもなかった。  私が着席して数十秒後、耳元から流れる音楽のイントロが終わるとほとんど同時、バスは走り出した。雲行きが怪しい。今朝のような雨が降るのかもしれない。 「ありがとうございました」  イヤホンの片耳だけを外し、最寄りのバス停で降りる。なんとか空は持ちこたえていて、坂上の自宅までならば濡れずに済みそうだ。  新藤くんは七つほど前のバス停で降りて行った。私とすれ違った瞬間、彼は私へ向かって何かを言ったようだったが、その声は音楽に掻き鳴らされ聞き取れず、思わず発した、 「え?」  という私の言葉に新藤くんは苦笑しながら首を横に振り、そのまま料金を支払うとバスを降りてしまった。悪いことをしたと思い新藤くんにLINEで詫びでも送ろうかと考えたが、しかし私は彼の連絡先の一切を知らない。今度廊下ですれ違ったら、そのときにでも。そんなことを思いながら私はいつもより早足で緩やかな坂を上っている。確かに傘はあるが、だからといって冬の雨をすんなりと受け入れられるわけではない。湿っぽい冬の匂いは心理的にも寒さを加速させる。パート勤めの母はもう帰宅しているだろう。自室の暖房を点けてもらえるよう、バスの中で連絡を入れておくべきだった。いつもそのように思い、しかしいつも頼むのを忘れてしまう。  薄暗い住宅街、雨合羽を着た大型犬とすれ違う。犬は私の顔をじっと見つめながら通り過ぎ、私は無言で飼い主と会釈し合った。
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