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翌日は快晴だった。いつも通りの時間にバスへ乗り込み、一人掛けの席に座り、イヤホンから適当な音楽を流している。通り過ぎる保育園ではすでに何人かの子どもたちが校庭を駆け回っていた。とりどりのコートを着た彼らはゼンマイ仕掛けかと思うほどぎこちなく走る。数年もすればあの不安定さもなくなってしまうのだろう。モップのような長い毛を持つ薄灰色の大きな犬が、飼い主と共に信号が青に変わるのを待っていた。その隣にはスーツ姿の男性、ジョギング中の老人は足踏みを繰り返している。
信号が変わり、バスが進み、しばらくして停車する。バス停から数人の人が乗り込んでくる。うち一人は新藤くんだった。彼は私の姿を捉えるとそのまま近づいてきて、私の座席の真ん前のつり革を掴む。私はイヤホンを外す。
「おはよう。今日もさみーね」
「あ、うん、おはよう」
車内は空席だらけだった。新藤くんは私の後ろの席に座るでもなく、他の席に座るでもなく、私の横に立ちつらつらと淀みなく話しかけてくる。
「三上さんってどこから乗ってるの?」
「×××××っていうところ。バスターミナルから数えて二本目」
「へえ、かなり遠いんだね。だからバス通だったんだ」
「ああ、それもあるけど、私自転車に乗れないの」
「え、マジ? バランス感覚的な?」
「うーん、どうだろう。でも確かに、あんまり運動は得意じゃないな」
新藤くんがしみじみと「大変だねえ」と言う。内心、そこまで困ったこともないのだけれど、と思いつつ適当に頷いてみせると、新藤くんは、
「三上さん、いま何聴いてたの?」
私の膝の上のイヤホンを指さしそう言った。
思わず固まってしまう。中学時代の記憶が一気に甦る。
自分でいうのもなんだけれど、中学時代、私はクラスで浮いていた。当時両親の教育方針の影響で自宅にテレビはなく、やはり彼らの影響で海外バンドの陰鬱な音楽ばかりを聴いていて、流行りのポップソングなんて何一つも知らなかった。クラスメイトがアイドルだ、Jpopだ、邦ロックだ、ロキノンだと騒いでいるあいだ、私は教室でただ一人教科書を読んでいた。当時の私は彼らの聴く音楽のよさを理解しようとしていなかったし、理解したいとも思っていなかった。
テレビ番組なんてものは、低能な親が子どもへの躾を手抜きするためだけに流すものだと母は言った。父は「あれを見ていると頭が悪くなる」とばかり表現した。二人は今も昔も私以上にインターネットにのめり込んでいる。
今の私は邦楽も万遍なく聴くし、自室にはテレビだってある。クラスメイトの話題にも問題なくついていけている。スクールカースト上部の女の子から教えられたキュレーションサイトはくまなくチェックしているし、SNSだって皆が登録しているものにはちゃんと私も参加している。大丈夫、今の私は浮いていない。自分に強く言い聞かせる。
「えーっと、×××の新譜」
クラスメイトの大半が聴いているバンドが先月出したアルバムを挙げる。どうやら新藤くんも彼らの音楽は好きだったらしく、
「あー、すげえよかったもんね。俺、あのアルバムだと××が好き。何曲目だったかな」
彼はわかりやすく破願してみせた。
それほど好きでもないバンドの名前を挙げることにも慣れた。私は高校生として、問題なくクラスに馴染んでいる。環境に溶け込んでいる。何も問題はない、不安がることなんてない。新藤くんと話し続ける。他の乗客が眉をひそめて賑やかすぎる私たちを見ている。彼はそのことに気づいていないようだった。
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