弁舌参謀

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弁舌参謀

 文久三年八月十八日の政変以降、長州藩は御所の警備の任を解かれ、尊攘派の公家とともに都から追放された。そして、都は公武合体派の薩摩と会津に抑えられ、不定浪士は見つけ次第、新選組が治安維持の名目のもと取り締まっている。 政変以前から、長州藩内部では派閥が2つに分かれていた。幕命に従い攘夷を決行したのに都を追い出された事は不当だと訴え進軍を掲げる派と、進軍すれば御所で発砲することとなり、朝敵の汚名を着せられかねないことを危惧する慎重派である。  しかし、事は動く。新選組が秘かに都に潜伏していた不逞浪士を、池田屋にて襲撃した事件によって、長州藩は尊攘派の有力志士を多く失うこととなった。これに憤ったのが進軍を唱える一派である。そしてひと月半この進軍派は上京し都に布陣、朝廷に罷免嘆願をするも受け入れられることはなかった。朝廷からの退去命令を拒否した長州藩は、ついに蛤御門にて発砲。会津藩が主力となる幕府軍と衝突した。  戦局は、一時御所内に進撃した長州藩が有利になるも、薩摩藩の到着により、一気に逆転。さらに主導者を何人も失った長州藩は、藩邸に火を放って撤退した。この戦闘は、市街地の市民も巻き込んだ惨劇となった。都は火の海と化し、市民たちにも多数の被害が出た。 私たち新選組も出動し、市街地でも残党狩りを行った。天王山では自決を試み切腹した長州藩士達が、死にきれずに苦しんでいた。私はその藩士たちの介錯を済ませ、山を下りてきたところで新選組本体と合流し屯所に戻る。  隊士は全員屯所の庭に集合した。池田屋の後、新選組はより結束力を高め効率的に指示を出すために、隊編成を行った。局長はもちろん近藤さん。土方さんは副長。副長だった山南さんを総長に。副長助勤のうち10名を組長にし、それぞれ1番組から10番組とし、その組に隊士を振り分け伍長を決めた。その他監察などは据え置かれている。  隊ごとに隊士の怪我の有無などを報告していく。一番組の組長は、総司だ。今日は元気そうで、彼らしく飄々としていた。二番組は永倉さん、こちらは暴れ足りない様子。三番組は斎藤くん。いつも通りの能面だ。そして四番組、私は一歩前に出て、土方さんに異常なしと報告した。  正直なところ、私を選んでもらえるとは思わなかった。しかし、組長は実力で選ばれ、さらに試衛館からの知り合いが多く含まれている。そこに私を入れないのは、かえって不自然だ、と、土方さんが言うから……私はより一層責任をもって挑まなくてはと感じた。直接の部下ができ、この人たちに恥じぬような、必ずついてきてくれるような背中を見せていこう。新たにそう決意した。腰に差した村正を、ギュッと誓うように握りしめている。  「全隊報告が済んだ、解散とする。ご苦労であった」  近藤さんの響く声を合図に、私たちはそれぞれ解散した。私も自隊の隊士を労ってから部屋へ戻る。これから洗濯だ。振り返った総司が私の隊服を見て苦笑いする。  私は返り血が付きやすい。対して総司は返り血をほとんど浴びない。性格や癖にかかわるだろうが、大きくは力量さである。その点からみても、私は総司に遠く及ばないことを痛感している。    禁門の変の後、平助が隊士募集のために江戸に下った。そして、一人の男を連れてきた。  「改めて、伊東甲子太郎と申します」  上背があり、眉目秀麗、雰囲気は艶めかしく、妖艶と言ったら誰もが納得するような風貌。しっとりと落ち着いた声を持っている。伊東は北辰一刀流の道場を江戸で経営しており、平助の紹介を経て加盟した。何度か近藤さんと面談すると、近藤さんはすっかり気に入ってしまったそうだ。そのためか、伊東は“参謀”という破格の待遇で迎えられた。土方さんは、賛成していない様子で、入隊のあいさつも苦々しい顔でじっと伊東を見ていた。試衛館からの同志で編成された幹部に、あまり新入りを介入させたくはなかったのだろうか。土方さんは、ああ見えて縄張り意識が一段と強いから。  私の所属する四番隊の伍長をはじめ、伊東とともに入隊した道場の門下生たちも、それぞれ組織に割り振られた。  伊東は尊攘派である。新選組が京の治安維持にあたっているということで、入隊を希望したという、希望を持った笑顔を見せた。新選組にはあまり似つかわしくないような。この男を見た時、私は一つの胸騒ぎとともに、ある予感を抱いた。伊東は、まだ人斬りの経験がないのではないか……と。    隊士達とともに鍛錬をして自室に戻った私は、自分で閉めた戸の音が予想以上に大きくて驚いた。その場にドスンと座り込むと、天井を見上げたまま寝転がった。今日はみんなのやる気が凄まじかった。それに負けじと飛び回っていたら、すっかり体力を消耗してしまった。今日は非番でよかった。  今日は土方さんの鬼のような稽古に、伊東が参加していた。近藤さんはいつも通り高みの見物だった。そして珍しく山南さんが顔を出した。伊東は山南さんを見つけると、手を振って招いた。山南さんはいつも通り穏やかに笑うと、近づいてきた伊東から木刀を受け取った。  幹部が勢ぞろいしていたためか、いつもと覇気が違ったように見受けられた。土方さんにもいつも以上に熱意を感じた。伊東がいたことに、持ち前の負けず嫌いが発揮されたのかもしれない。普段の倍以上の人数が、あちこちで倒れていた。よほど激しい稽古だったのだろうと、巡察から帰った総司が苦笑いで、副長室を指さしていた。  天井は、低いな……ここは狭い。隊士が急激に増えたし、屯所は狭いし、風も流行っている。医者の勧めで衛生面は改善されたが、一人出たら広まるのは容易かった。今日の稽古もそうだけど、もっと広いところでやりたいな。私はそのまま昼寝を始めた。  その夜、ペタペタと近づく足音とともに、入り口を、つう、と遠慮がちに開ける者があった。誰の仕業であるかは承知の上で、私は振り返りもしないで答える。  「総司か、声もかけずに入るなって、あれほど言ったのに」  「祈ちゃんがダメなときは、有無を言わさず殴られるから、大丈夫かなって」  まるで私が暴力女とでも言いたいのか。ただ口より先に手が出るだけだ。  「こんなところで寝ちゃだめだよ。せめて何か掛けて。風邪をひくから」  昼寝のまま、昼間脱ぎ捨てた着物の上に寝転がっていた私を起こして、総司は隣に座った。  「風邪ひきに言われたくはない」  総司はビクっと一瞬動揺するも、羽織を私にかけて隣に寝転んだ。総司から、とてもいい匂いがした。春のような、花のような。血なまぐさい屯所や、私たちには似つかわしくない明るい香りだ。そこで私は悟る。さっきまで総司が伊東に会っていたことを。  「伊東さんは、尊王攘夷の志士だよ。隊内でも共鳴する者は多いと聞く」  私は焦った口調でそう言った。総司は何も言わない。  伊東はその人柄から、すぐに隊士達とも打ち解けていた。また文武両道で、特に文学や異国の学問に詳しかった。隊士達はこぞって、あの説法のような講義を聞きに行っていた。隊内でも文学師範として、伊東もそれを快く受け入れた。それに対して、私は底知れぬ不安を感じていた。皆がここを去ってしまうような。私を置いて行ってしまうような、寒々しい感覚に襲われる。何食わぬ顔で昼寝を続ける総司の顔をひっぱたいて、起こしてやろうかとも思ったほどに。呆れるほど爆睡しているから、起こさないようにそっと左の頬をなでた。  総司はいつも飄々としていて、何を考えているのかわからないような節がいくつもある。気の置けない幼馴染だが、それと同時に隙が無いやつでもある。私よりの一つ上で、甘いものに目が無くて、いつもグダグダと何もなければ動かない。けれど、剣の腕は最強で、いざって時にはいつも頼りになる。戦闘の時、総司がいるだけで指揮が上がる。私たち幹部ですら何か一つの自信になる。そんな存在。それを本人も分かっているのかもしれない。だから隙を見せない。隠し事をする。心配かけまいとして、誰にも言わない。  ……寝顔だけ見ていれば、可愛いのに。穏やかな寝顔をされればされるほど、笑顔を見れば見るほど、胸騒ぎは大きくなっていくけれど。  「おやすみ、馬鹿兄貴」  その日の夜中、「祈ちゃん……」という声に目を覚ました私は、総司に抱きしめられて目を覚ました。  「……は?」  私の頭は、総司の(あご)の下にすっぽりと収まっている。  「ねえ、総司? どうしたの」  返事はない。一気に体温が上がっていく音が聞こえる。総司の鼓動が一秒ごとに速くなる。私は総司の胸ぐらを叩く。  「総司ってば」  「祈ちゃん……」  遮るように私の名を呼ぶ。総司の手が、私の右頬を撫でる。硬い左手の指先が、首筋まで下がったところで総司は手を止めた。  「ごめん、何でもない……」  総司は私を離した。そして私の布団に潜り込むと、頭まですっぽりと布団をかぶった。  「追い出さないんだね、祈ちゃん」  いつどこから侵入したのか、全く気が付かなかった。小さい頃にもよくそんなことがあったが、こんなに図体でかくなってもやるか、と少しあきれた。それと同時に、懐かしくも思った。あんなに強くなってしまった総司に、こんな変わらない一面があったことに。  ある日の巡察のこと、祇園あたりで不定浪士たちに絡まれた。幸いこちらの人数のほうが多く、襲い掛かってきた全員を捕縛し奉行所に引き渡した。抜刀を伴った乱闘があり、隊服をまた洗濯しなくてはならなくなった。  屯所に戻り、土方さんに報告に向かう途中、前方からとある人物が歩いてきた。目はいい方だが、その顔が認識できるまで、私はじっと見ていた。それは伊東だった。  私は伊東が嫌いだ。話したこともほとんどないのだが、初見で苦手意識を持った。伊東にだけ、どこからか分からない光がさしているように感じた。太陽が、この男だけ照らしているように思えたからだ。  伊東は私に気が付いて、駆け寄ってきた。私は軽く会釈をする。手を振られているようだったが、やんわりと無視をした。彼が近くまで寄ってきた。私はそのまま微動だにしなかった。私の近くで彼は立ち止まる。そして振り上げていた手を止めた。  「春月くん……」  ぎょっとしたような面持ちで、私よりも数歩前で停止した。そして「それ……」と私の肩のあたりを指さす。  「怪我をなされたの? それならば早く手当てを」  隊服の血を見て、心配そうに訊ねる。私は「お構いなく」と伸ばされた手を振り払うように答えた。  「返り血ですので、怪我はしておりません」  「え……」  返り血……だろうか。私の返答に絶句する。振り払われた手を口元にあて、まじまじと私を見る。  「返り血、って、つまり、その、人を?」  その言葉に私は呆れた。今更この男は何を言うのだろうと。私の血ではないのなら、誰かの血に決まっているだろう。伊東は大きな目を真ん丸に見開く。私は思わず腕を組みそうになる。わなわなと今にも震えだしそうな伊東を見て、慌てて説明を加えた。  「殺してはいません。市中にて抜刀したため、捕らえて奉行所に引き渡しました。まあ多少の傷は負わせましたが。それがどうかしましたか?」  半分苛立っている。こんな説明どうして幹部に、しかも参謀にしなくてはならないのか。  「どうして……」  左右あちこちを見るように、伊東は続ける。私は苛立ちを抑えるのがやっとだった。どうして、なんて、聞かれたことがない。当たり前だろう。相手が抜刀したのだ。こちらも抜かなければやられる。殺さなければ、殺されるのだから。後から考えれば、適当に流して立ち去ることもできたが、この時私は苛立ちの物差しが限界に達していた。それをそのまま伊東にぶつけた。  「相手は尊攘派の過激浪士です。追い出されたにもかかわらず、武力で都を制圧しようとした者たち。彼らは新選組の反対勢力、すなわち敵です。斬って何が悪いんですか? 私は何か間違っていますか?」  捲し立てるように言った。伊東は言葉を失ったようにその場に立ち尽くした。そこでふと我に返ると、私は報告が残っているので、とその場を後にした。しばらく進んで振り返ると、伊東はまだ同じ場所に立っていた。  報告を済ませた後、その足で道場へ向かった。そこには稽古を終えた総司と山南さんが、座り込んで話していた。何やら楽しそうで、私には混ざりづらく、道場には入らずにその場を後にした。以前からであるが、最近は特に総司が山南さんにべったりと引っ付いているように感じる。何やらこそこそ相談したり、初めて恋文が来た時も、まず山南さんに見せたらしいと、近藤さんに聞いた。年の離れた兄弟のようで微笑ましいと、こちらまでなぜか幸せな気持ちになって、元来た道を引き返した。すると、途中の廊下で四番組の隊士に声を掛けられた。  「春月組長!」  振り返れば池田屋より昔から知っている隊士、松原忠司だった。どうしたと聞けば、やはり何でもないという。  「なんだ、話しにくい事なら場所を変えてもいい。話せ。隊規に違反しなければ何でも聞こう」  松原はこくりと頷いた。松原を連れて、私は総司の行きつけの甘味処、から少し離れた団子屋に来ていた。松原はあたりを確認すると、ようやくほっと息をつく。私は一気飲みした空の湯飲みを机にドンと置く。松原はせっかく口元に運んだのに、そのまま音も立てずに置いた。話は主に伊東の話だった。幹部だけでなく、平隊士の中にも伊東を慕う者は大勢いるという。  もともと、新選組は攘夷思想で、尊王と佐幕を両立させるあくまで公武合体派だった。しかし情勢はこの一年で大きく変わった。私たちは尊攘派の過激派、特に長州や土佐の浪士を多く取り締まった。新選組は今佐幕へと大きく傾いている。何故なら近藤さんのかねてからの願いは、武士の身分を手に入れること。幕府に近づき、功績を上げることが、一番の近道だからだ。攘夷派を斬っているといっても、過激派を取り締まっているのであって、新選組の思想が攘夷から外れたわけではなかろう。伊東は何か勘違いをしている。私たちはあくまでも敵を粛清しているのだから。  松原は、何も言わずに笑った。そしてやっと、茶に口をつけた。団子はもう干からびているだろう。未だに手を付ける様子はない。何故私にそんな話をしたのだろうか。私の何を探ろうとしたのか。疑心暗鬼のまま、私は二人分の代金を机上に置き、足早に帰路についた。  「春は、あの参謀に呼び出されねえのか?」  ある夜、永倉さんがほろ酔い状態で屯所に返ってきた。頬を少し赤く染めて、縁側にどっこいしょと腰かける。私も隣に腰かけ、片膝を抱えた。  「無いですね。一度も」  「そうか」  巡察帰りに返り血を見られて以降、どうしたわけか、私は避けられていた。道場に顔を出しても、入れ替わるように姿を消すほど。  永倉さんは、深いため息をつく。飲酒や宴会が大好きなはずなのに、気は乗らない様子。  「結構しつこくてよ……異国の脅威の前に、まず日本(ひのもと)が一丸とならねば、とか、粛清なんぞに明け暮れるよりも、まずは話し合い、双方手を取り合わねば、とか。言ってることは正しいし、よくわかるけどな……興味ねえんだよ。攘夷とか、尊王とか佐幕とか」  参った、というように頭を掻く。私は頷く。()らなければ殺られる、何もしなくても殺される、弱いものから殺される。そんな時代に、どうしてそんな生ぬるいことが言えるのだろう。  「何としても、永倉さんを引き抜きたい執念がありますね」  もともと武家の永倉さん。腕はもちろんたつが、実は教養もある。世相を語りたい相手なのかもしれない。しかし、永倉さんは眉間にしわを寄せると、腕組みをして少し声を低くした。私も併せてあたりを窺う。  「それがよ、斎藤を気に入ってるみたいだぜ?」  私は、その言葉に一言、「それは寂しいかも」と答えた。  それからも、幹部が何度か呼び出され、酒に誘われることが続いているそう。私は一度も呼ばれたことはないが。永倉さんも総司も斎藤くんも、平助も。中でも山南さんとは馬が合うらしく、屯所内でも時折仲のいい様子を見かけていた。焦るような感情が、私を副長室へと運んだ。扉の向こうは、まだ行燈の火が揺れ、かさかさと紙を扱う音がする。忙しいかな……と引き返そうとしたとき、襖が一人分の幅で開いた。  「突っ立ってんじゃねえよ。もともと遠慮するような(たち)じゃねえくせに」  土方さんは私を迎え入れて、また机に向かった。私は柱にもたれて、淡々と仕事をこなす背中を、ぼうっと眺めていた。  「何で、何も聞かないの?」  その背中に独り言をぶつける。しかし雑駁(ざっぱく)な性格が災いしたのか、ちゃんと聞こえてしまったようだ。土方さんは、こちらを振り向きもしないで失笑する。  「聞いたら説明できるのか? この俺を邪魔しに来た理由を」  閉口する私。土方さんは手を止めて振り向くと、懐から綺麗に折りたたまれた紙を差し出した。よく見ると、手紙のようである。  「総司が初めてもらった恋文だ。こっそりくすねて来てやった。読むか?」  発句集を取られた恨みだろうか、腹いせにしては稚拙すぎる。しかし本人はいたって楽しそうに中身を読んでいる。長い指で丁寧に文を開く様子は、見惚れるほど繊細な手つき。事情を知らなければ、まさか他人宛の恋文をこっそり読んでいる三十路の大人だとは、だれも思うまい。  「恋文なんて、もらい慣れているじゃないですか」  と言いつつも、土方さんの手元に首を突っ込む。少し驚いた土方さんも、指でなぞるように音読する。  「自分宛じゃないからな。毎日届いて、見る見るうちに溜まっていくものと違って、人が大事に持っているものだからいいんだろ。これを読むと疲れがすぐとれるんだ」  下劣すぎる疲れの取り方だとは思ったが、私も溜っていく恋文の中から選んで、字の練習をしているから、あまり人のことは言えない。総司も恋文をもらう年になったんだなあ、としみじみ思い返せば、自分が年下だったことに気づく。「年寄みたいなこと言うんじゃねえよ」と、土方さんが肩を揺らして笑った。  京に来てから、2度目の冬がやってきた。元治元年、正月1日。私は朝の巡察から帰った後、総司ととある人を訪れていた。その部屋の主は、声をかけると程なく柔らかく返事を返す。  「どうぞ、春月くん、沖田くん」  部屋に入ると山南さんは、本の山の向こうから、ひょっこり顔を出した。物は多いが、綺麗に整頓されている山南さんの部屋は、室温が外気温よりもかなり暖かく感じて、私はつい頬を緩ませた。山南さんは変わらぬ笑みを浮かべる。この男の笑みは優しい。そしてその優しさは、皮膚まで超えて、直接私たちに届くようだった。でも今日は、それ以上のものが、私たちの心の奥まで届いているように感じる。私は総司の顔を覗く。彼も同じく眉尻を下にさげていた。心の中の、寂しさ、虚しさ、悔しさ、なんかそれのような違うようなものが、山南さんから伝わってくる。それは左腕を庇いながら湯呑みを口に運ぶ彼の、泣き声のようだった。  「沖田くん、風邪はもういいのかい」  総司は頷く。穏やかに時間は流れている。私はこのゆるやかな時を、少し恐ろしく感じるとともに、これ以上早くならないようにとも願った。外は寒いのに、生暖かい不穏な風が、隙間風として流れてきているようだった。  「年も変わりましたが、世も変わっていくようですね。日の本も、幕府も、そして、新撰組も」  何気ない山南さんの言葉を、私は繰り返した。  「新撰組も?」  山南さんは目線を思いっきり下向かせた。そしてすぐに私たちをまっすぐ見つめ返す。  「新撰組は、弁舌参謀のお出ましで、インチキ総長はお役御免なようです」  「そんな……」  言葉とは裏腹に、山南さんの顔は吹っ切れたように晴れやかな表情だ。私はその顔に、一抹の不安を覚えた。  数日後、山南さんは屯所から姿を消した。  (江戸へ行く)  置き手紙にそう、一言書いて。  朝招集がかかり、私たちは副長室を訪れる。慌ただしく土方さんが現れた。総司はひどく動揺している。握りしめた拳はわなわなと震えている。そして唐突な、総司を呼ぶ土方さんの声……  「連れ戻せ」  総司は掴みかかった。土方さんはその手を振り払おうとはしない。拳と同様に唇までも震えさせて、総司は、大きな声で罵る。  「なんで俺なんだよ! ねえ、どうして俺なんだ!」  焦る総司の声音が、段々と怒りに変わってくる。それはこの場にいる誰もが感じ取ることのできるものだった。土方さんは、それをピシャリと跳ね除けた。  「これは命令だ。早く行け……見つからねえかもしれねえぞ」  総司はハッと気がついたようだった。そのまま俯くと「分かりました」といって、手を離した。土方さんが乱れた襟元を正すのと同時に、総司は部屋を後にした。他、訪れていた数人の幹部隊士も、そそくさと退出していった。永倉さんも、苦々しそうな顔でチラッと土方さんを一瞥していった。最後に残った私は、土方さんの前にどっこいしょと座り込む。  「最近隊務の合間に、しばしば島原通いをしていたらしい」  山南さんには、島原の芸者、明里という恋仲がいる。普段皆で島原に行った時でさえ、照れてしまってあまり自分から話すことがなかった山南さんが、隊務の合間に会いに行くなんて……  「余計なことを考えていなけりゃいいと、思ってたんだ。そんな矢先だよ」  それだけ言うと、土方さんは私の目の前に腰を下ろすと、そっと腕組みをする。そして眉間にシワを寄せて、一瞬上を見上げてから、溜息と共に項垂れた。これは、私の知らない癖である。最近あまり寝ていないことがわかる、綺麗な目元にくっきりとしたクマができている。  「近藤さんは、あの参謀に陶酔しているようですし……」  私も同じように項垂れた。あとは総司が見つからなかったと言って、1人で帰ってくるのを待つのみであった。江戸なんて、そう遠くではない。馬の足で1日駆ければ、追いつくことは不可能である。江戸についてしまえば、人が多く、1人で人探しなんてできるわけがない。だから、総司を1人で行かせた。  そうなるように、当然そうなるだろうと、もちろん確信しているのだった。けれどもそれから数日も経たないうちだった。総司が帰ってきたのだ。重い足取りで。そしてにこやかな笑みを浮かべる山南さんを連れて。
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