21.凶徒の追憶

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* ──第三の事件決行の当日は、あいにくの雨だった。 レインコートは見当たらなかった。傘を持参するのは憚られた。せめて何か雨を凌ぐもの、と実家の衣装棚を漁っていると、紺色のパーカーが見つかった。 探偵の姿がよぎる。雨には濡れるが致し方ない。……それに、これはこれで錯乱に使えそうだった。 前日に仕込んでおいた手紙は、一樹、前沢、鳥羽の実家の郵便受けに投函済みだった。 さて、一体誰が最初に気付いてくれるだろうか。 四ツ谷──死者からの誘いの手紙に。 使えるタネは使い、とことん恐怖を煽ってやるつもりだった。戦慄と共に気付いた奴が、次の犠牲者となる。 山里は小学校の路の途中、心臓破りと揶揄されて有名な坂の上にスタンバイしていた。 時間を掛けて準備した──ほとんど心影(スキア)にやらせたため、実質汗水垂らして用意したわけではないが──自作の罠を同じ目線で眺めていた。ここは特等席だ。誰が来たかもすぐ分かる。 眼下にピンク色の傘が見えた。あれは恐らく前沢だろう。その姿が突然掻き消えた。持ち主の手から離れた傘が風に拐われ、崖下に落ちていった。仕掛けた落とし穴に落ちたのだろう。 しめしめと山里は思った。今のところ思惑はなんだかんだ順調に進んでいた。あとは土石の支えを爆破するだけだった。 だが、このあたりから致命的な誤算がでてきた。 突然、背後から名指しで声を掛けられたときは、心臓が止まるかと思った。 さっと振り返ると、透明傘を差した江守に無表情に見つめられていた。 しまったと思った。 死んだと見せかけて暗躍していたのに、ここに来てバレてしまった。 しばらく山里と江守は無言で見つめ合っていた。 次の江守の言葉、その如何によって行動を決めるつもりだった。 やがて江守は言った。 ──君が何をしようとしているか知らないけど、僕は関与しない、と。 それだけだ。それだけ言うと、江守は踵を返して去っていった。 背後がガラ空きだった。心影(スキア)を呼び寄せ、襲うこともできただろう。 しかし、色々な事情が山里を躊躇させた。まず、次の見立てが成立しなくなる。 それに何より──彼が不気味に見えた。あの灰色の瞳は、一体何を考えているのだろうか。あまりにも感情が希薄すぎる。もし状況を把握していながら、あれほど淡々としているのであれば、彼はよほどの大物であろう。 結局、山里は彼を手に掛ける判断を下せなかった。 気がつけば、眼下でも進展があった。山里は急ぎ現場から離れつつ、土石の傍らに控えてさせている心影(スキア)に意識を向けた。 視界の共有──見下ろした視線の先、落とし穴のなかには誰もいなかった。その代わり穴の傍らに一樹の姿があった。 確かに前沢が落下したのは見た。あの穴を自力でよじ登ったのだろうか。それとも落ちたショックで目が醒めたか。もしくは一樹に助けられたか。理由は定かでないが、どうやらまた加減を見誤ったらしい。穴の底に竹槍でも設置しておけばよかった。 このままでは一樹も逃してしまう。山里は心影(スキア)に命じた。 黒獣に持たせていた第三の見立ての紙片を囮にした。気を取られた一樹の背後に降り立ち、直後、彼が振り返る。視線が交差するなり、彼を大穴に突き落とした。 今度は穴の淵から一樹を見下ろした。泥まみれになっていた。いいザマだと思った。 すかさず山里は罠を発動させた。どぉんと大きな音が、自身の聴覚と心影(スキア)との共有で二重に聞こえた。第三の犠牲者はお前だ、一樹。 だが、一樹は思わぬ行動に出た。唐突に何か──バリバリと音がし、眩ゆい閃光が走った。あれはスタンガンか? ──懐から取り出すと、躊躇することなくそれを首に突き立てる。そしてそのまま姿が掻き消えた。 山里は茫然としたが、すぐに我に返った。念のため、心影(スキア)をその場から上空に退避させた。 直後、地面を揺るがす大きな音と共に崖から土砂が押し寄せた。 大穴が埋まる。山里は、土砂で強引に均された路を見下ろしていた。 一樹のあの潔さは、夢現の事情を知らないと為し得ない。忌々しく思った。山里は、一樹が探偵に与していると確信した。 昨日探偵の視認した興奮ですっかり失念していたが──同じ草むらに身を隠していた時点で気づくべきだった。 それに──江守もだ。 声を掛けられたタイミングといい、もしかしたら彼らは手を組んでいるのかもしれない。そうだったとしたら、少し厄介な気がした。 山里は舌打ちした。第三の事件が不発に終わってしまった苛立ちが募っていた。 * ──そして、今に至る。行き着いた先は、この醜態だ。 まんまと偽の手紙に騙された。 久谷老人宅の郵便受けから覗いていた、身に覚えのない手紙。 まるで誰かに見つけてもらいたいかのように配置されていた。心影(スキア)の視界にそれを認めた山里は、すぐに心影(スキア)に命じて手元まで運ばせた。 『凶徒が分かった。午後六時、図書室にて待つ』 山里は鼻で笑った。探偵ごっこ。真相のお披露目でもするつもりか、と。 探偵と一樹の姿がよぎる。なんとも面白くない。山里は手紙を握りしめた。 秘密裏に仲間を増やし、密かに凶徒に──僕に対抗しようとでもしているのだろうか。 事実、鳥羽の実家にも、前沢の実家にも同じ手紙が投函されていた。 当初の計画をお釈迦にされ腹立たしい限りだったが、十八時の黄昏時、危険な奴を図書館で一網打尽にするのもいいかもしれない。もしくはそのうちの誰かを理科実験室におびき寄せ、そのまま第四の計画を実行に移すのも手か。 そんなことを思っていたのだが──。 理科実験室に佇む一樹。そしてその隣に立つ探偵がすべてを物語っていた。 山里は、逆に彼らに誘導され嵌められたのだと、最後の最後で気が付いたのだった。
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