23.後日談

3/4
前へ
/106ページ
次へ
* ──君に伝えておかないといけないことがあるの。 リンネは神妙な面持ちでそう切り出した。 ふわりと風にすくわれるように、髪がそよいだ。生暖かい風だった。 一樹が入院していた瑞樹総合病院は、市内でも比較的大きな病院だったと記憶している。七階建で病床数も多い。小高い丘の上に建っていることもあり、景色も遠くまで見渡せる。 一樹とリンネは、その病院の屋上にいた。 屋上には人工芝が敷いており、ところどころに腰を掛けるベンチが点在している。中央にはレンガで組まれた花壇があり、季節柄の向日葵が咲き誇っている。入院患者のささやかな憩いの場となっているようだった。事故防止のため、四方を白いフェンスで囲われているのが、なんとも残念ではある。 雨の匂いがする。にわか雨が降った直後だったので、あちこちで雨粒の球が光っていた。遠くて近い空に入道雲が控えていた。 いまは日射しが強い。一樹は時折目を眇めた。時刻はお昼を過ぎたばかりである。 「わざわざ来るなんてどうしたんだ?」 前の日にリンネから電話が掛かってきた。直接逢って話がしたいということだった。 リンネのカミングアウトには驚かされたばかりだから、少し嫌な予感はしていた。 「うん。ちょっと、ね。──調子はどう?」 「それが異常はこれっぽちもないんだよな。何だか仮病を使っているみたいで逆に罪悪感があると言うか」 病床だって有限なのだ。正直言って一刻も早く退院したい。一樹は胸のあたりの病院着を摘んでため息をついた。そして早く普通の服が着たい。 「問題なさそうで何より」 リンネは柔らかく微笑んだ。 一樹は遠くの山々を見やった。 「──ありがとな。リンネが姉貴に連絡してくれたんだろ?」 匿名の連絡があって、一樹の異変に気づいたということを莉子は漏らしていた。知らない女性だったと莉子は不思議そうに語っていたのだが、一樹はおそらくリンネだろうなと思っていた。どうやって連絡をとったのだとか、細かいことを追求するつもりはなかった。 「さて、何のことだか」とリンネは首を傾げた。 「でもそんな連絡がなくても、お姉さんなら気づいてくれたんじゃないかな」 「さぁな。姉貴はたまに吃驚するくらい横着するからな。もしかしたら丸二日放置されたかも」 「その時はご愁傷様と言うしかないね。まぁ夢現で死んだわけじゃないから、二日くらいなら正直問題なかったんだけどね」 そんな怖いことを言うリンネだが、彼女の言葉尻から一樹が昏倒している間に色々と取り繕ってくれたことは事実のようで、だからこそのちょっとしたジョークなのだろうと一樹は思うことにした。 「ところでいつ退院できるの?」とリンネが訊いてきた。 「経過観察で問題なければ明日くらいには退院できるらしいけどな。正直ヒマでしょうがないよ」 「仕方ないよ。世間では感染症なんて噂も流れているみたいだから」 「……らしいな」 暇つぶしで見ていた、スマホのキュレーションサイトで一樹も知っていた。 嫌に騒ぎ立てられ、根も葉もない情報が飛び交っている。実際に目が醒めない患者がじわじわ増えているようで、そんなフェイクニュースが流れるのは人間の性、どうしようもないことだとは思うが、真実の一端を知る一樹としてはなんとも複雑な気持ちになる。 事実、倉林は依然目を醒まさない。病院が一緒のため何度か様子を観に行ったが、経過は変わりないようだった。 身代わりの被害者だった佐武は、既に死亡が確認されている。彼の場合、運が悪かった。フリーターのため、自宅で目を醒さない姿が遅れて発見されたときには、既に帰らぬ人となっていたと聞いた。 なお、これは前沢から聞いた情報である。彼女も心穏やかではないだろう。電話越しの茫然自失とした口調は聞いていて痛ましかった。相槌を打ち、ただ話を聞いてやることしかできないのが何とも歯痒かった。 「話を聞いてあげる、それだけで前沢さんは救われてるはずだよ。きっと」 「そうだといいんだけどな」 リンネの慰めの言葉に、一樹はほぅとため息をついた。それだけで少し心が軽くなった気がした。 「凶徒、……山里くんは、ニュースになっていたね」 「ああ、俺も見たよ。さすがに本名は出ていなかったけど」 話題になった直後ということもあり、山里──的矢遼太郎が例の症状で入院したというのは、ちょっとしたニュースとなっていた。小説の風潮には賛否両論が繰り広げられているなんて前置きもあったため、やはり世間的に見ても問題作だったのかもしれない。 「あれから夢現には行ってない?」 「勘弁してくれよ。小学校を駆け回った、あれが最後だよ」 久谷老人がドリアルXを断ってから、二日はとうに過ぎていた。それで夢現は瓦解したのだろう。あれから数日経ったが、いずれも夢現に誘われることはなかったため、一樹は勝手にそう結論づけていた。 ここ数日、目を開けるたびに病室の白い天井が見えて、毎回ホッと胸を撫で下ろしていたのは内緒である。 「あの理科実験室での、一樹くんの迫真の演技は見事だったね」 「あれ一部演技じゃないからな。ガチだから」 無意識に脇腹を押さえていた。当然そこに噛まれた形跡はない。昏睡している間に、精神的にも完治したのだろうか。 「そっか、ごめん」 リンネは短く呟くように言った。 どこか遠く──恐らく階下からだろう、ぽぉんというコール音と共に、診察室への呼び出しアナウンスが聞こえた。そんな余韻後、一樹はリンネを見やった。 フェンスに手を掛け、どこか遠くを眺めている。その横顔は、言葉を出しあぐねていているように強張っていた。このパターンは何度か見たことがあった。 「また、突拍子のないことでも切り出すつもり?」 リンネは一樹をちらりと見ると、一拍おいて「たぶん」と頷いた。 「もし君がこのことを知らなかったら、これから先のいつか、もっと衝撃を受けていたと思うから。……言い訳はしないし、非難は甘んじて受けるよ」 そして、リンネは冒頭の言葉を紡いだ。 伝えておかなければならないことがあると、リンネは罪を告白するように言って目を伏せた。 「一樹くん。私はね、君たちの一連の事件を解決するためだけに──」 ギュッと手に力が入って、フェンスが軋んだ音を立てた。
/106ページ

最初のコメントを投稿しよう!

18人が本棚に入れています
本棚に追加