02.朝の風景

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02.朝の風景

中葉一樹(なかはかずき)は、ボーっとした頭のまま、焼きたてのトーストをかじった。 サクッとした軽い歯ごたえと(とろ)けたバターの香り。それを刹那、無意識に味わい嚥下(えんか)する。 東向きのガラス窓からは、薄いカーテン越しに朝日が差し込み、朝の食卓を明るく照らしている。 まだ目醒めきっていない頭で朝のニュースを眺める。地元の海開き様子を女性キャスターが賑やかに報道していた。海辺で貝を集める家族に、海に向かって全速ダッシュする子供たち。微笑ましい一幕が流れる。もう七月半ばの時分である。 ニュースを見ながら、一樹は今日の予定を頭の中に描いていた。 大学の期末試験が近いから復習しておかないといけないとか、レポートの提出期限が近いものもあるから今日中にある程度片付けておこうとか、そういえば楽しみにしていた新作ゲームの発売日が今日だったなとか、雑念も混じった取り留めのないことを考える。 すべて実現できるとは、思っていないが。 とん、と食卓に料理が置かれ、一樹はテレビから目を離した。 芳ばしく焼かれたウインナーにスクランブルエッグ、サラダの盛り合わせ。 顔を上げると、よく知った女性がフライパン片手に得意げに笑っていた。無造作に髪を結ったポニーテールが揺れる。 彼女、中葉莉子(なかはりこ)は一樹の六歳年の離れた姉である。 一樹は目を丸くした。 「どうした姉貴、珍しく豪華だけど」 「ふふん。今日は休みだし、ちょっと興が乗っちゃってね」と莉子は言った。 一応、彼女は立派な社会人であり、仕事をもった身である。今日は休みと聞いているが、普段仕事があるときは、朝食もそこそこに慌ただしく家を飛び出していく。 それでも毎日ちょっとした朝食を作ってくれるあたり、姉には頭が上がらない。 「ふぅん。そっか。ありがと、姉貴」 そう言って一樹はスクランブルエッグを取り分け、口に運んだ。 塩分量を誤ったのか、少ししょっぱかった。 莉子がどうだった?と言わんばかりにじっと見ているから、これは何か感想を言わないといけないらしい。 「……うん。お酒には、ぴったりかもね」 そう軽口を言うと、莉子は豪快に笑った。 「次はもう少し塩少なめにするから」と。 いつも目分量でつくっているのを知っているから、次は味がなくなる未来が見えてしまう。 莉子も椅子に座り、朝食を食べ始めた。 二人して朝の情報番組を眺める。県内の天気予報だ。軒並み降水確率〇パーセントで、県内各地すべてに太陽のマークが踊っている。気温は三十五度を超え、蝕むような暑さとなるでしょう、と担当キャスターが駄目押しをした。 一樹たちが暮らすこの地域は、県内でも中心的な地方都市となっている。一樹は高校まで同じく県内北部の街に暮らしており、大学に通うことになった一年ちょっと前から、一人暮らしをしていた莉子の住まいに居候することになった。 心配性の両親は、姉がいるから安心だと宣っているが、正直一樹は一人暮らしをしたくてたまらなかった。 もちろん家賃が浮くうえ、莉子が定期的に料理を作ってくれるため、これ以上とない恩恵を受けているのだが、一樹はアルバイトをしてお金が溜まったら別居したい意思を告げようと、密かに画策していたりするのである。 ニュースの内容が切り替わる。先ほどの明るい話題から一変して、ここ数日話題となっている事件の報道だった。ここ近年で深刻な問題になっているセルフネグレストによる孤独死が市内で急増しているという内容だ。今日も数名、犠牲者が増えたのだという。司会者と評論家が深刻な顔をして、その経緯や背景などを語らっていた。 「ごちそうさま」 ぬるめのブラックコーヒーを流し込んで、一樹は立ち上がった。 食器を台所に運び、そのままリビングを出る。 洗面所に向かい、歯を磨く。 鏡のなかの写し身は、まだ眠そうな顔をしていた。寝癖がついている黒髪を手櫛で直しつつ、そういえば昨晩、親友の鳥羽恭介(とば きょうすけ)から期末試験の範囲を教えて欲しいと連絡があったことを思い出した。 あいつは講義をすぐサボるからな。だからと言って無視するのも可哀想なので、明日の午後にどこかで落ち合う約束をしている。 世話焼きはうちの家系なのかも知れないな、と一樹はひとり苦笑した。 時計を見ると、もう八時を過ぎていた。少しゆっくりしすぎたらしい。 駆け足で部屋に戻って身支度を整え、大学の教材が詰まった重たいリュックを担ぐ。 「ねぇ、大学の帰りに柔軟剤買って来てよ。いつものやつ。もうすぐ無くなっちゃうからお願いね」 部屋を出たところで、莉子に柔軟剤のボトル片手にそう言われ、一樹はおざなりに返事を返した。まだパジャマ姿だ。もしかしたら今日は家から出ないつもりかもしれない。 「あと、最近物騒な事件が増えているから、気をつけるのよ?」 「わかってるって」 お休みモードの姉貴の話にこれ以上付き合っていたら、大学の講義に遅れてしまう。 急いでに靴を履き「いってくるから!」と半ば焦った気持ちで一樹は玄関の戸を開け放った。
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