22.まだ見ぬ結末

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「──おいおい。本当にそんなこと、できると思ってるのかよ?」 一樹の鼻腔を煙草の紫煙がくすぐった。横からぬっと大柄の男が姿を現す。 いきなりだったため、さすがに一樹もギョッとした。無意識にジリと動いた足が、ガゾリンで滑りそうになった。 赤の混じった黒髪を撫でつけ、悪戯っぽい表情をした狩野が視線を向けてきた。 「よう、お前ら。すまんな。別の案件でちょっくら遅れちまった。くだらない話に付き合わされたろ」 「狩野さん」とリンネが少し咎めるような表情をする。 なんでここにいるんだ。一樹の疑問を他所に、狩野は山里を見下ろした。 「お前さんは殺しすぎだ。だからといって現実の法では捌けない。ということで、だ」 狩野の横顔がニヤリと笑った。 「夢現世界の法にて裁かせてもらおう。さてお前の刑期はいったい何年だろうな」 「お前、まさか〈看守〉……!?」 山里の顔が目に見えて蒼白になった。 あれほど憎まれ口を叩いていた彼が、ここに来てはじめて慄くような声をあげる。 「やめろ! やっと、やっと小説家デビューしたばかりなんだ。これからなんだ! これからだっていうのに、だから……! うわ!」 狩野は山里の悲鳴を無視して「よいしょ」と軽々と彼を担ぎ上げた。目を見張るような手際である。 「往生際が悪いなおい。探偵に捕縛されて逃げられると思ってるのか、あぁ?」 なかなかドスの効いた声だった。常人ならそれだけで震え上がるかもしれない。 「くそ、離せよ! はーなーせっ!」 山里が激しく身をくねらせた。 「おい暴れるなよ。……おっと」 狩野の肩からずるりと山里の体が滑り落ちた。床に落ちてビタンとかなり痛そうな音がした。山里が呻く。 「ほら言わんこっちゃない」 呆れたように狩野が首を振った。 そんなことはお構いなく、山里は蓑虫のように這う這うの体で距離を置こうとした。 はたかた見ていた一樹は、そう思った。 山里の上半身が黒い机の陰に消え、──次の瞬間、ゴォッと低い音がした。ガスバーナーが火を噴くような音。……ようなではなく、実際にそうだったのかもしれない。 悠長に確認している余裕はなかった。 ──部屋の中央に、夕陽の朱より赤い炎が立ち上がった。 勢いのある焚き火のようなそれは、舐めるように丸太を這い上がる。それに伴い、裾野を広げた炎が床に拡がったガソリンに引火しつつあった。 「はは、ざまぁみろ」 山里が青と赤の混じる炎の線に囲まれた。 この機に及んでなお、夢現から逃げようとしているのだろうか。火傷のショックで目を醒ます、その一縷の望みに賭けて? だが確か、言霊の枷鎖が発動すれば相手は夢現からも逃れられなくなると、リンネはそう云っていた。 「逃げられるわけない」 その考えを肯定するかのようにリンネが呟くのが聞こえた。 「あの子、死ぬ気?」 山里が力なく笑った。炎を見つめるその目はどこか虚ろで、諦観に似た色が浮かんでいた。 直後「熱っ!」という声があがり、山里は身を捩った。服に炎が引火したのだ。あげた声はすぐに悲鳴に変わった。 きっと山里は何か仕掛けを用意していたのだろう。第四の事件──恐らく一樹たちに用意していたそれが今、山里自身の体を焼いている。身を引き摺ったせいで衣類にガソリンが染み込んでいたのだろう。みるみる山里は業火に包まれていった。 「お前ら、ちょっと安全なところに逃げてな」 狩野が険しい表情で言った。 足元にまで広がる導火線のようなガソリンにも火が迫りつつあった。ゾッとした。一樹だって一度床に伏せているから、衣類は山里と似たような状態にあるのだ。 慌てて、ガソリンに濡れていない床に移動する。急に動いたらズキリと横腹が痛んだ。 みるみる炎が拡がる。まるでテーマパークの炎を巧みに使ったアトラクションのように、炎が地を這い、壁を駆け上がる。 そして最終的に中央の処刑台に炎が集約する仕組みになっているのだろう。 ここは直に炎に包まれる──。 「狩野さん、これを」 いつの間にかリンネが消火器を持っており、狩野に手渡した。 「足りなければまだあります」 後ろ手で指した背後のロッカーが開け放たれていた。事前に準備していたのだろう。 「おう、サンキュ」と狩野は短く応えた。 「──さぁ一樹くん。行こう」リンネに手を引かれた。 横腹に激痛が走り、思わず呻いた。咄嗟に患部を手で押さえた、その動作でリンネに気づかれた。 「一樹くん、その怪我……!」 驚いたように言うなり「……ごめん、乗ってはやく!」と背中を向けて彼女はしゃがみ込んだ。おぶってくれるらしい。さすが切り替えが早い。 もの凄く気が引けるが──ここで躊躇している暇はなかった。 「じゃあ、あとはお願いします。狩野さん!」 リンネにおぶられるなり、彼女は駆け出した。炎の這う床を飛び越え、一気に出口に向かう。 その最中、一樹はもう一度山里を見た。彼は床に伏せたまま火達磨になっていた。 ほとんど動けぬ身体では炎から逃れることもできない。血を吐くような喘ぎ声と絶叫。残酷な光景だった。一樹は思わず目を逸らした。 きっと山里は報いを受けたのだ。一樹はそう思い込まないとやっていけなかった。
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