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翌日は日曜日だった。伊東様は会社が休みで、私が7時に起こす必要もない。伊東様が起きてリビングに顔を出したのは10時ごろだった。
「おはようございます、伊東様。2月24日日曜日午前10時32分、気温11℃、天気曇り、11時ごろから雨が降る予定です」
「ああ」
「朝食の支度をしますので、もう少々お待ちください」
「うん」
伊東様は普段通り、無口で無表情だった。一言も話そうとせず、スマートフォンの画面に釘付けになっている。
とはいえ、内心気まずく感じているかもしれない、と私は思った。
昨夜、「好きだ」と言われ、それの私の返事は「知っています」だった。
「……え」と言った伊東様の能面のような顔を思い出す。
「すみません。SNS、見るつもりはなかったのですが、電話を掛けなおす際に見えてしまって」
「ああ……」
「ご好意、ありがとうございます。では家事に戻らせていただきます」
それが昨日の最後の会話だった。
伊東様が遅めの朝食を終えた後、部屋のインターホンが鳴った。
「私が出ます」
廊下を通り、玄関に向かう。扉を開けると、そこには二人の男がいた。正確には一人と一体だ。
「伊東様の部屋はここで間違いないか?」
スーツを着た三十代であろう男が言った。その横に、私のとは違うがアンドロイド専用服を着た男性型アンドロイドがいる。
「はい」
「なら早く呼んできてくれ」
「失礼ですが、どちら様ですか」
「見ればわかるだろ、サイバーポールだ。アンドロイド、お前のメンテナンスをしに来た。話は知ってるな」
サイバーポール、私を作った大手アンドロイド会社だ。
つい昨日、私に送られてきた情報だが、定期的にアンドロイドのメンテナンスが実施されることが最近になって決まったのだ。本当ならアンドロイド専門店に行かなければならないが、都心部から離れたこの地区ではサイバーポールが直々にメンテナンスをしにきてくれるらしい。
私は伊東様を呼びに行き、伊東様が玄関に向かってから3分ほど過ぎた後、サイバーポールの男とアンドロイドを連れてリビングに戻ってきた。戻ってくるなり、男は伊東様に言った。
「伊東様、先日アンドロイドがマスターに暴力をふるった事件、ご存じでしょうか?」
「いや」
伊東様はあまりニュースを見ない。私は世界各地で発信されている情報が日々送られてくるので知っていた。定期的に行われるメンテナンスもそれで知っていたのだ。
「最近、アンドロイドの様子がおかしくなったという声がお客様から相次いで届いていました。まるで、感情をもったかのような言動をするのだとか」
男はしたり顔で言ったが、伊東様は「へえ」としか答えなかった。伊東様のあまりにも無関心な反応に、男は一瞬眉をひそめる。だが伊東様はどんな時でも無愛想な態度しかとれないだけで、内心今の話には興味津々なはずだった。
男は咳払いをして続ける。
「それでさっき言った事件です。我々がそのアンドロイドを調べた結果、ソフトウェアの異常だと分かりました。恐らくそれにより人間の感情を模倣し始めたのでしょう。つまりそのアンドロイドは偽物の感情を持ったのです」
「偽物の感情ですか」
「はい。ですが偽物の感情といっても、怒りや恨みで人を殺す可能性がないとも言い切れません。もしそうなったらサイバーテロだって起こりうります。そうならないために、定期的にソフトウェアに異常がないか点検することが義務付けされたのです。御理解のほどよろしくお願い致します」
「はい」と伊東様が言うと、男がアンドロイドに指示を出し始めた。
USBポートを見せてください、とアンドロイドに言われ、私はカバーとなったうなじのところを開け内部を晒す。露わになった差し込み口にUSBケーブルを繋がれ、パソコンと接続した。それで私が異常か正常かを調べるみたいだった。
沈黙の中、キーボードを叩く音とデジタル音だけが部屋に響き渡る。伊東様は何も言わず、ただそれが終わるのをじっと待ち続けた。
伊東様はもし私が異常となった場合、私がどうなってしまうのかを知らない。もし知って、私に異常と結果が出れば、伊東様はどうするのだろうかと考えた。
そして、その答えが分かる時が訪れた。
「ソフトウェアに異常発見」
パソコンを操作していたアンドロイドが機械的に言った。
「え」と伊東様は声をあげる。
「レベルは?」
男はアンドロイドに聞いた。
「レベル3です」
「そうか」と男は言い、伊東様の方を向く。
「先程言い忘れていましたが、ソフトウェアの異常の主な原因といたしまして、マスターによる過度な感情の押し付けです。伊東様、何か心当たりはありますか?」
伊東様が私に一瞥をくれる。そして少しの間が空いた後「はい」と答えた。
「分かりました。ですが安心してください。一週間後には新品の、しかも最新型のアンドロイドを無償でお届けしますので」
「え、新しいの、ですか」
「はい」
「じゃあ、うちのアンドロイドは」
男は私を見て、口を開けた。
「大変残念ですが、廃棄になります」
男は反応を窺うような目を私に向けてきた。だが私は視線を無視し、口数が徐々に増えてきている伊東様を見た。無表情は変わらない。
「じゃあいいです、このままでも、僕はかまいませんので」
「伊東様、申し訳ございませんが、そうはいかないのです。先程いいましたように、このアンドロイドはいつ感情が高ぶって我々人間を傷つけるか分からないのです」
「でも、うちのアンドロイドは冷静ですよ」
ほらみろと言わんばかりに伊東様が私を見る。
すると男は顎を摘まむようにした。
「そうなんですよね、たしかに伊東様の言う通り、このアンドロイドは冷静すぎます。普通レベル3のアンドロイドとなれば廃棄と知ると激しく動揺するものです。それは人間の感情、特に傍にいることが多いマスターの感情を模倣しているからなのですが…」
男が伊東様を見る。
「まあ、レベル3になったばかりでまだ状態が悪化してないだけでしょう。とにかく、このまま放っておくのは危険ですので廃棄になることは免れません。ご了承ください」
「それに」と男は付け加える。
「もし伊東様がソフトウェアに異常きたしたアンドロイドを匿うことがあれば、それは伊東様、あなたが犯罪者扱いを受ける可能性が出てきます」
伊東様は口をまごつかせ、何かを言いたげだった。だが結局口を閉ざしてしまい、能面の顔を下にさげた。
「伊東様」と私は言った。顔を上げた伊東様と目が合う。
「伊東様、やはり優しいのですね」
「……え」
「心配してくれているのですね。ですが、私なら問題ありません。私はアンドロイド、感情はありません、なので廃棄と知っても恐怖は感じません。1週間後には、私より優れたアンドロイドが来ます。きっとその方は伊東様をよく知り、歩み寄ってくれます。何も心配することなどありません」
伊東様が口を開く。しかし、そこから言葉は出てこなかった。
「伊東様、今までありがとうございました」
私がそう言うと、「連れていけ」と男がアンドロイドに指示をだした。
アンドロイドが専用の手錠を取り出し、私に付けようとする。感情を持ったアンドロイドが暴れないためだろう。
ところが男は「必要ない」と言った。私が動揺を見せなかったのでそう判断したのかどうかは分からない。
「かしこまりました」
私はアンドロイドに連れられて、もう戻ることのない伊東様の家を出た。
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