待宵草

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「お疲れ様でした。」 「ん、お疲れ様」 通路から顔を出した後輩に返事をして、ちらりと時計を見る。定時は過ぎてる。 「あ、もうすぐカンファでしたっけ」 「今週末でしょ。そっちも早くやったほういいよ、ケアマネいつも直前しか見ないんだから」 「家でやるんで大丈夫ですよ。俺の担当特に変化無し」 個人情報は持ち帰るな、変化無しは現状維持ではあるけど、アプローチを変えるチャンスでもある。 介護の世界では現状維持は良いことだけれど、全く変化無いなどは無い。 相手は生きた人間なんだから。 口に出そうとした言葉を打ち込んでいたパソコンの隣からマグカップを取って塞ぐ。 私の仕事は入居者(老人ホーム)の介護で職場の人間の教育では無い。カンファレンスの資料だって、本来ならケアマネの仕事だ。残念ながらうちのケアマネには現場を見る力は不足しているようでこうして現場の人間(ユニットリーダー)が書き込まなければならない。 与えられた仕事はやる。 それ以上はやらない。 それが鉄則。 「それより定時過ぎてますよ。帰らないんですか?誕生日でしょ?」 「誕生日ですよー、プレゼント(お金)下さい」 「彼氏とかいないんですかぁ」 「仕事以外の会話は応じかねます」 「いないんだ」 「帰れ」 キーボードを打ち込みながらそう言うと後輩は苦笑いしながらスタッフルームを出ていった。一通り打ち終えて、自分のカバンからスマホを取り出す。 誰もいないことを確認しながら覗き込む画面には青い鳥。 幸せを運ぶという小鳥だ。 画面をスクロールさせて、ぴたりと止める。 何気ない日常を明るく綴るその言葉は青い鳥が運ぶ私の小さな幸せだ。 「...へへっ」 変な笑い声を上げながらハートマークに触れる。俗にいう『いいね』を送って私はスマホを閉じた。
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