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相変わらずにこにこと微笑んでいる朝佳に同じように笑ってみると、朝佳は一瞬その顔を崩した気がした。
「店員さん、今日は何時にバイト終わるんすか」
「……お客様が帰られた後です」
「フリータイム終わった後? 7時とか?」
朝佳の奥では俺を呼んだ連中がぐちゃぐちゃに混じりあっている。それを無視しながら、俺は一つ朝佳との距離を詰めて、その顔がもう一度歪むのを見た。
「お教えする必要がない、と思います」
「俺は知りたいんだけど」
「……」
詰めると後ろへ下がる。その先にあるのはルームのドアで、朝佳の細い肩が音もなくドアに張り付くのを見た。
まるで蜘蛛の巣に引っかかってしまったかのようだと思った。
別に朝佳の表情を崩すだけで良かった。
それ以上に距離を詰めようなどと考えてもいなかったはずだ。
そのくせに今俺をじっと見つめている朝佳にさっきまでの嘘くさい笑顔がないと知っていて、それでも俺は朝佳との距離を詰める足を止めなかった。
思考力ははっきりとしていた。酒に酔っているわけではない。
馬鹿臭い恋愛を歌ったメロディが狂ったような音量で鳴り響いている店内で、場違いに明るい廊下に、2人で立ち尽くしている。
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