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「釣りいいです。どうも」
「えっ、あ……!! ちょっと」
妙に焦ったような店員の声が耳に流れていながら、コンビニドアのセンサーが俺を感知して開きかけた瞬間に店外へと足を踏み出した。
そいつは信号を挟んですぐ手前に居る。
花柄のワンピースをゆるりと揺らしながら、迷うことなく遠ざかっている。その姿が朝日に照らされているのを見ると、たまらず足が急いた。
赤信号を一人渡りきって、華奢な後ろ姿に無意識に眉が寄った。こいつは俺の言葉をもう忘れたのだろうか。
「朝佳っ、」
勢いのままにその白すぎる腕を掴んで、朝佳が振り返るのを感じた。
「な、に……」
耳には相変わらずイヤホンが差しこまれている。その恰好も、細すぎる手も、冷たすぎる体温も全ていつも通りだった。
その癖に、俺を見る怯えた目と、俺の手を無遠慮に引き離した力だけが違った。
「おまえ、」
「……急に現れないでよ。びっくりした」
「ああ、……悪い」
別に良いけど、と言った朝佳がイヤホンを耳から抜いた。その仕草に一抹の違和感を覚えながら、「で、何?」と宣う馬鹿女に盛大にため息が出た。
「送る」
「……それ、本気だったわけ」
「俺はいつでも本気だろ」
「本気で男と淫行に及ぶホモ」
「ふざけんなよ」
「ふざけてないし」
「何笑ってんの」
「あんたが可笑しいから」
「……あ、そ」
笑うと可愛いとか狂ったことを思う俺を、こいつにだけには知られたくない。
朝の陽気に包まれる歓楽街で、社会とは逆行して帰路に着く。
真っ当な大学生の朝佳がなぜこんな生活を繰り返しているのか、この時の俺はどうしてすぐに、問い詰めなかったのだろう。
人生には、後悔しかない。
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