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『……お前には何もできない』
「あ?」
『——黒木、庶民ごっこは、楽しいか?』
その男は、確かに俺の知らない人間のはずだった。
「お、前……」
笑い声が耳に届く。
音が脳にギンギンと響いて、耐えきれずに通話を切った。
『これ以上一緒に行動してたら、たぶん、あんたが一番嫌ってることに巻き込むことになる』
朝佳の声が脳内に、警告音のように煩く響き渡る。
そういうことか。
爽やかな日差しに刺さる。
俺が騙してきた全てが晒されて、崩れていくようだった。いつから知っていたのだろう。朝佳は、俺のことをいつから理解していたのだろう。
今更考えても、無駄だとわかっている。
この呪縛からは逃れられない。俺がいくら捨てたいと願っても、これだけはどこまでも付き纏ってきていた。
どれだけのものを捨てても、捨てようとしても、これだけはいつも俺の体中に染みついて、拭い去ることができない。
呪いだ。永遠に解けない呪い。
人生の主役は、自分だと言う。俺は、そうでなくてよかった。永遠に通行人で良かった。誰にも注目されないままに生きて、そのまま死んでしまいたかった。
人間は、生まれを選べない。親を選ぶことも、生活水準を選ぶこともできない。
全て、望まずに勝手に備わってくる。そんなもの、俺には不必要だった。
俺と朝佳では時間の価値が違う。一分一秒の価値が違う。人間としての価値が違う。生まれも育ちも、吸ってきた空気さえ、違う。
俺は俺以外には、なれない。
なりたくとも、捨てられない。
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