1 順凪

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 目の前に眠っている鈴に焦点を合わせる。渦巻く光は次第にぼやけ、彼女の周りを飛び交っている、(かす)かに点滅する光の群れが視界に浮かぶ。  右手を上げ、空白の画面を作る。これは実在するものではなく、強く思い描くことで心象を具現化したものだ。意図的に作られた幻影ともいえる。  この画面は水晶柱と共鳴し、現世を彷徨う隠世(かくりよ)の存在に、人間の意志を伝える。  次に眼で読み込んだ精霊の光を画面上に展開すると、無数の山と谷からなる波形が表れる。すでに見当はついていた。人差し指で横軸を移動し、中指を曲げて解像度を上げる。 「…………」  すると案の定、(カイ)(セイ)の特徴的な模様が画面に浮かび上がった。  徊徃は新しい生命に生命力を与える精霊であり、妊娠の証となる。時には重大な意味を持つこともあるが、今更新しい情報にはならないだろう。  徊徃は大人しく、病気を引き起こすような精霊ではない。今回の件とは無関係のはずだ。他に負の精霊が取りついた気配はないし、精霊がかかわっていないなら僕の出番はない。この辺で終わりにするか。  僕はそこまで考え画面を閉じようとしたが、その瞬間、波形から妙な違和感を覚えた。何だろう。よく分からない。けど、精霊師としての直感が訴えている。  これは多分、無視してはならない。 「雨人?」 「静かに」  淋が大()()に口を塞ぐ。まったく、気が散る。さて。  観測された精霊が目まぐるしく飛び交う中、僕はしばらくその違和感の出所を探り続けた。  もしかして……。  ついにある考えに辿(たど)り着いた僕は、一番鋭い山に焦点を合わせて解像度を限界まで引き上げた。すると軽い目まいと共に、波形の微細構造が姿を現す。  拡大された山の先端を(にら)む。驚くことに、それはわずかに二つに分かれていた。これは同じ波動の重なりの証拠。つまり、鈴には二つの(カイ)(セイ)が同時に取りついていたことになる。  そんなものは、聞いたこともない。 「…………」  記憶の棚を(あさ)っても役立つ情報は見つからない。双生児の場合でも、複数の徊徃が取りつくことはない。  なら、これは何だ。徊徃は歴史が長く、ほとんどの性質が解明されている。今回だけ例外というのは考えにくい。自然は必ず、理由を持っている。  それはさておき、今なら鈴の症状も納得がいく。普段は群れることのない精霊による不協和音が何ヶ月も続いていたのだ。そのせいで体が弱り、病気になったとすると(つじ)(つま)が合う。  再び画面を開く。今度は薬指を慎重に曲げ、微細構造がぼやけてくるまで徊徃の力を減らした。この程度なら胎児にも問題はないだろう。  作業を終えて疲れた目を抑えると、淋が額の汗を拭ってくれる。  この仕事は結局のところ、集中力との闘いだ。精霊の光を読み込み、分析し、変化の方向を決め、伝えるまでの一連の流れの中で、一瞬でも集中が途切れたら意図せぬ結果を招く恐れがある。 「鈴の夫を呼んでくれ」 「鈴さん……大丈夫、だよね」  淋の心細い声にようやく、自分の表情が固まっていたことに気づく。手紙を読んだ時から今までずっと、そのことだけが気になっていたんだろう。なのに僕は黙り込んでこの子を不安にさせてしまった。  僕は顔を上げ、ぎこちない笑顔を作ってみせた。 「ああ、もう大丈夫さ」  鈴の家族には曖昧な言葉で、彼女がもうすぐ健康を取り戻すだろうことをほのめかした。自然の最も深い秘密には謎が多い。だから均衡を保つためには、それを扱う人もそれなりに謎めいた言い方をする必要がある、というのが僕の師匠の持論だった。  客室で一息ついていると、片波家で食事を用意してくれるそうだったので、お礼を言い、ここで夕食を摂って帰ることにした。 「鈴と話すことはないのかい」 「そりゃいっぱいあるよ。でも今は病人だし、あんなぐっすり眠ってるのに起こすのも悪いし……」 「そうか」  普段は我がままばかり言っているけど、本当に我慢すべき時はちゃんと我慢する。健気な子だ。  二人で運ばれてきた夕飯を食べる。しつこく止まない雨と、親しい人の不調でさすがの淋も気が滅入ったらしく、だらだらと日頃の不満を垂れていた。 「――あ、それとこの前ね? サクラのやつ、ご飯の時間なのに呼んでも来ないからさ、なにしてるのかなって思って探してみたら、また別のオスとやってたのよ」 「へえ」 「ホント、節操がないわね。クロもいるのにさ。ひどいでしょ?」 「そうだね。クロは一途なのに」 「ねー」  猫に節操も何もあるわけないだろ、と思いつつも(あい)(づち)を打つ。それができるくらいの社会性を、僕は(えの)(はら)さんに叩き込まれていた。  「そういや――」と言いかけた時、ある考えが頭をよぎる。双子になれない、二つの存在。つまり……そうか。 「うん?」  もし()()が本当なら、このままだと鈴は間違いなく片波家から追い出される。産まれた子たちも無事では済まないだろう。 「なに? もしもーし」
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