第1話 幼馴染は副社長

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第1話 幼馴染は副社長

眩しい朝日が降りそそぎ、ベッドの上で露出させた肌とシーツをはっきりと映し出していた。 カーテンを引いた先の窓には高層マンションならではの絶景が広がり、春らしく所々に桜のピンク色の木々が見える。 人や車が豆粒みたい―――最初に見た時は驚いたけれど、今ではもう慣れた。 「ね?夏向(かなた)、起きて?」 優しく声をかける。 眠る夏向の横に座り、髪を耳にかけた。 寝返りを打って枕を離さず、まだ寝ようとする―――すうっと息を吸いこんだ。 「ちょっと!いい加減に起きなさい!!優しく起こすのは最初の一回までよ」 仏の顔も三度までと思わないでよ? 一度よ! 「朝は忙しいんだからね!?ちゃっちゃと起きて、朝ごはんを食べなさい!」 「桜帆(さほ)、無理……起きれない……」 ううっと枕にかじりつく、男は辛そうに眉を寄せた。 世間一般ではこの男、倉永(くらなが)夏向(かなた)はイケメン副社長と呼ばれているらしい。 まあ、私もね。 もしかしたら、イケメンかも?なんて思っているわよ? でもね、こんなに手がかかる男はごめんだわ! また寝るし。 仕方ない。 奥の手の『太陽と北風作戦』を実行するしかない。 「そう。残念ね。朝食のデザートは夏向の好きな苺なのに……」 甘い練乳を馬鹿みたいにかけて食べるのが夏向は好きだった。 かなりの甘党なのにその細身な体はなんなの? こっちは気を抜くと太ってしまうのに不公平すぎる。 「起きる」 さっとベッドから身を起こした。 起きれるなら、一度で起きなさいよと思いながら、パンツ(トランクス派)しかはいてない夏向を見て、ため息を吐いた。 「あのね、夏向。パジャマを用意しておいたんだから、ちゃんと着て寝なさい。寒いでしょ」 「男の裸みて、その反応はどうかと思う……」 「誰のせいよ。夏向の裸なんて見慣れたわ。ほら、服を用意してあるから着替えて」 言われて、もそもそと服を着る。 白いパーカーにネイビーのジャケットとパンツ、こないだ買ったネイビーのセットアップは正解だったわね。 うんうん、いいじゃないの。 ちゃんとした社会人に見える。(見た目だけは) 最初、このマンションに来た時はTシャツとデニム、スウェットしかなくて服も最低限しかなかった。 持っていたスーツは一着だけで、品物がいいことはわかったけど、いつ着たのかクリーニングの袋がかぶったままだった。 会社に行くのにまともな服がないってどうなのよ。 やっと起きた夏向はトーストと甘いカフェオレ、目玉焼きとサラダを食べた。 デザートの苺を出すと、案の定、練乳を大量にかけて苺が隠れてしまった。 幸せそうに苺(もはや練乳)を食べた。 その間に夏向のお弁当とお茶のポットを用意しておく。 食べ終わった夏向のジャケットのポケットにハンカチを入れて、お弁当とポットの入ったバッグを持たせた。 「ちゃんとお弁当バッグは持って帰るのよ?」 わかった、と夏向は首を縦に振った。 「はい!いってらっしゃい!」 「いってきます」 ようやく、朝の支度が終わった。 夏向を送り出し、時計を見るといい時間だった。 「あれで大企業時任(ときとう)グループの副社長って大丈夫なのかしら?ちゃんと仕事できてるの?」 謎だ。 私にしたら、大きい子供もいいところ。 「私も出勤しないと!」 夏向と違って私が働いているのは小さい電機会社だ。 お給料も少ないけど、夏向の面倒をみるかわりに家賃を払わないで済んでいる。 おかげでずいぶん助かっている。 ちなみに私と夏向は恋人同士ではない。 もちろん、母親と子供でもない。 ただの幼馴染でルームシェアをしている関係。 それだけの仲だ。 私達が同居することになったきっかけは私が高校を卒業する年のことだった――― ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 「夏向(かなた)のマンションってここ!?」 住所のメモを二度見どころか、五回くらいみた。 どこからどうみても高級マンションだった。 効果音があるとするなら『ドドーンッ』と鳴っていたに違いない。 それくらい立派な建物で、間違いじゃ?と何度も思ったけど、マンション名まで書いてあるから間違いではなさそうだった。 ちょっと高校生にこれはキツイ洗礼じゃないですか? 入れるわけがない。 とりあえず、玄関で番号を入力すればいいらしい。 番号を入力すると『どちらさまでしょうか』と上品な声が聞こえてくる。 「あ。あの。島田(しまだ)桜帆(さほ)です。倉永(くらなが)夏向(かなた)の知り合いで……」 『島田様ですね。お聞きしています。少々お待ちください』 このマンションで正解だったみたい。 よかった……。 第一関門は突破できたみたいだけど、すごく緊張する…。 目の前の自動ドアが開き、中に入るとまた中にもドアがあり、そのドアをホテルマンのような人が開けて待っていた。 「どうぞ。こちらが倉永様のお部屋のカードキーになっております。本日のみ有効ですので、お気を付けください」 「は、はい」 「お部屋までご案内しましょうか」 「お願いします……」 送られてきた手紙には住所と『遊びにきて』って一言だけ書いてあるのみで説明は一切なかった。 気になってきてみたけど、こんな所にセーラー服で入ってよかったのかな。 しかも、私ときたら、どこからどうみても田舎の高校生だし。 今日の大学の見学会で会った女の子達はみんな可愛くておしゃれだった。 これが都会なのねって思った。 そして、この高級マンションという洗礼。 こんなマンションに住んでいるんだから、都会風に洗練されて、おしゃれな男の人になってもよさそうなものだけど―――最後に会ったのは今年のお正月だったっけ? いつも通りの夏向だった気がする。 「こちらが倉永様のお部屋でございます」 「ありがとうございます」 ぺこりと頭を下げて、インターホンを鳴らす。 出ない。 ホテルマンみたいな男の人からもらったカードキーでドアを開けて、中に入るとそこには――― 「かっ…夏向!?」 倒れて動かない夏向がいた。 サスペンスドラマで部屋の中に入ったら、死体があった時の心境ってこんなかんじなんだろうか。 死!?いやいや!? 「夏向っ!!!しっかりしてー!」 「う……」 ゆさぶると、夏向は反応し、ぼっーと私を見ていた。 意識はある。 髪はボサボサで服はTシャツにデニム、はきつぶしたスニーカー。 洗練した都会の男の人?垢ぬけた?マンションを見たせいで、幻想を抱いていただけだった。 目を覚まして、私。 目の前にいるのは間違いなく、いつもの夏向だ。 どこに住んでいても変わらない。 そして、いつも通りの夏向を見ると、全てどうでもよくなり、自分がダサいとか思ってヘコんでいたのが、一気に吹き飛んだ。 広い部屋の掃除はしてあるらしいけど、がらんとしていて何もない。 テレビもソファーも棚もテーブルも何もない。 ただ冷たい床が寒々しいだけだった。 服が脱ぎ散らかしてあり、ペットボトルが転がっているのを見て、人が住んでいるんだなとかろうじてわかるレベルだった。 痩せた夏向の体に胸が痛んだ。 「夏向?」 「桜帆……おなかすいた」 久しぶりにあった幼馴染の第一声はそれだった。 感動もなにもあったもんじゃない。 帰りの電車の中で食べようと思って、持っていたパンを夏向の口に押し込んだ。 まるで、行き倒れの旅人を拾った村娘状態よ。 「これでも食べて待ってなさい」 これじゃ、どっちが年上なのかわからない。 部屋を片付けて、近くのコンビニで適当な材料を買って、ご飯を作り、散らかった服を洗濯して夏向にお風呂に入るように言った。 「ありがとう……」 私が作ったナポリタンスパゲッティ(大盛)とお茶を飲み、少し落ち着いたのか、夏向は息をついた。 炊飯器はなくて、あったのは鍋とフライパンだけ。 鍋でご飯を炊いているけど、炊き上がったらおにぎりにするつもりだった。 デザートに買ってきたプリンを嬉しそうに夏向は口に入れている。 甘党なのは変わってないらしい。 「私が来たからよかったものの、いつもどうしてるのよ!?」 「会社の同僚が助けてくれる。死にかけたところを」 どうやら、日常茶飯事らしい。 夏向は高校生の時に同じ高校の友達に誘われて、ネットサービス会社を立ち上げた。 その会社は急成長を遂げている。 今では副社長と呼ばれているみたいだけど、そんな偉い人には見えない。 「大学、どうだった?」 「あ、うん。すごく素敵だった。奨学金制度があるから、それで通うつもり」 やりたい仕事があって、そのために工学部に行きたいけど、お金がないからね。 「俺、もう二十歳になったよ」 「私より二個上だから、そうなるわね」 大人だと言いたいわけ?どこがよ。 「これ」 通帳を差し出した。 なに?見ろってこと? 開いて即、ぱんっと閉じた。 「こんなの見せるんじゃないわよ!!」 「お金ある」 「そ、そうね?」 あるってレベルじゃなかった。見なきゃよかった。 私が学費で悩んでいるのが馬鹿馬鹿しいレベルだった。 「桜帆が一緒に住んでくれるなら、家賃タダでいいし、学費も俺の口座から引き落として」 「そんなわけにはいかないわよ」 「いい。もう決めてた」 「私の返事を待たずに!?」 首を縦に振った。 私は決めてないわよ!? 生活能力ゼロのくせにこういう所だけは頭が回る。 「おねがい」 お願いって普通は逆よね? 夏向は捨て犬のような目で私を見てくる。 痩せた体がTシャツからのぞいていた。 夏向は高校までは全寮制で面倒見てもらえたけれど、卒業したらそうもいかない。 「学費は働いたら、分割で返すわ。それでいいなら」 「一緒にいてくれるなら、なんでもいい」 にっこりと夏向は微笑んだ。 こんな立派なマンションに暮らせるようになり、仕事も順調でお金にも不自由していないのに生活能力だけは成長しなかったようだ。 このまま、放って置くことも出来ずに私はうなずいた。 「わかったわよ……」 夏向は嬉しそうにしていたけど、私は受験勉強のかたわら、ここに通うことになったのだった。 また床に倒れているかと思うと、心配だったから。 春には大学を無事合格した私はそれ以来、夏向と一緒に暮らしている。 社会人になった今も―――大家と下宿人もしくは雇用主と家政婦として。
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