第6話 steal

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第6話 steal

事件は突然、起きた。 朝、会社に行くと事務所に社員のほとんどが集まって青い顔をして、一か所に集まり、その異様な空気に何か起きたことだけは聞かなくてもわかった。 ま、まさか。 ミツバ電機が倒産とかじゃないでしょうね!? 私の大切な炊飯器がまだ完成していないのに? 「なにがあったんですか?」 「これ……」 住吉(すみよし)さんが震える手でカラーの広告を握っていた。 『かりっと、しっとり。あなたの食べたいトーストはどっち?』 可愛い女の子が微笑みながら、二枚のパンを持っている。 「これって住吉さんがやっていた……!」 「そうなの。しかも、トースターのデザインまで同じで」 「どういうことだ!住吉さん、君が他社に情報を洩らしたんじゃないかね!」 「そんなことしません!」 「後少しで商品化だったのに」 社長は頭を抱えた。 「おはようございます。社長。住吉さんのせいじゃありませんよ」 「佐藤君!」 住吉さんは泣きだしそうな顔で佐藤君を見た。 「言ったじゃないですか。ここのセキュリティが古くて危ないって。外部からデータを抜かれたんだと思います」 「つ、つまり、ここの事務所のパソコンの中身が盗まれたってことか」 「そうです」 佐藤君は真剣な顔で頷いた。 「だから、早めに対策をと言っていたんです……。間に合わず、こんなことになってしまい非常に残念ですが」 「どうしたらいいんだ」 社長は汗を拭きながら、佐藤君に(すが)るように言った。 「『諏訪部(すわべ)ネットセキュリティサービス』と契約して頂ければ―――」 「今さら遅いよ」 あくびをしながら、入ってきた部外者がいた。 それも、仕事に行ったはずの人間が。 自分の会社はどうしたのよ。 空気を読めよと全員のツッコミが入りそうなくらいの暢気(のんき)さで現れたのは夏向(かなた)だった。 「うん?君は誰だね!?」 「すっ、すみません!社長。従兄がっ!」 「ああ…あの、よく忘れ物をする」 失礼な、という顔で夏向は顔をしかめたけど、その通りだからね!? なに『不本意です』みたいな顔してるのよ! 夏向はジャケットの中から財布を取り出して、その中にあった名刺を一枚引き抜くと社長に渡した。 社長はまじまじとその名刺を眺めて、うわずった声をあげた。 「時任(ときとう)グループの副社長!?君が!?」 「名刺、ちゃんと持っていたのね……」 私はそれに驚きよ。 「説明に困った時、渡しておけばいいって言ってた」 専務の真辺(まなべ)さんかな…それ言ったの。 確かに多くを語らずに済むだろうけど。 「何しに来たのよ!夏向っ!!!」 「見に来た」 「なに?トースターの件?」 「違う」 ちらりと佐藤君に鋭い視線を向けた。 まさか、営業の佐藤君!? 「ばっ…バカなの!?そんな余計なこと考えてないで、早く戻って仕事しなさいよ!みんな、今頃、怒ってるわよ」 「どれくらいの腕前なのかなって」 「は?何が?」 「佐藤」 思わず、言葉を失った。 えっ!?待って? なに勝手にライバル心持っているの? 「PC見せてもらいます」 「あ…ああ」 社長は名刺を持ったまま、固まっていた。 住吉さんのパソコンの前に座ると、夏向は目を細めた。 凶悪に――― 「ファイアウォールを抜けてサーバに侵入されている」 多弁(たべん)になる夏向は危険だ。 スイッチが入り、まるで私の知らない夏向になる。 全ての能力があちら側に振り切れて、こちら側の世界なんてもう見えてない。 「たくさんいる。いけない子達だな」 楽しそうに笑っていた。 同じ業界の佐藤君はその場から動けずに夏向を凝視(ぎょうし)したままだった。 「(おとり)ファイルをプレゼントしてあげよう。ほら、食いついてきた」 すごいスピードでキーを叩きながら、頭の中はフル回転なのか、額に汗が浮かぶ。 薄ら笑みを浮かべていて、その姿はまるでゲームを楽しむ子供のようだった。 「ばいばい」 子供みたいな口調で最後のキーを叩いた。 「これで、大丈夫」 「なにしたの?」 「ファイルにウィルスを忍ばせて、クラッカー達のPCを破壊した。とりあえず、攻撃は止む。その間にセキュリティを強化すれば、もう誰も入ってこれない。侵入されたところをまず、塞がないとね。どうする?君がやる?」 不敵な笑みを浮かべ、挑発するように夏向は佐藤君に言った。 「い、いえ。僕一人では……すぐには……」 佐藤君は首を横に振る。 「は、はあ……」 ぽかん、と社長は口を開けていた。 「そ、その、セキュリティ強化とやらは高いんでしょう?天下の時任グループの副社長さんですし……その。そういうのは……」 夏向は首をかしげた。 金額なんて、夏向にわかるわけがない。 「それにお恥ずかしい話なんですが、ミツバ電機は小さい会社で古いパソコンしか置けないんですよ」 「古くてもいいけど、セキュリティ対策はしたほうがいい」 「お金がかかっても、やってもらうしかないか……」 「お金?」 夏向は私を見た。 まだスイッチが入ったままなのか、こっちを見る目が鋭い。 「え、えーと。夏向。さすがにタダではできないでしょ?」 「それじゃあ、ハンバーグ」 ハンバーグ!?全員が夏向を見た。 「ハンバーグ食べたい。ピーマンが入ってないやつ」 くっ……!ばれていたか……。 あんまりにもピーマンを食べないから、ハンバーグに混ぜていたことを。 「わかったわよ。ピーマン抜きハンバーグね」 やれやれとため息をついた。 「会社の方に電話しておいて。今日、休むって」 私が怒られるじゃないと思いながら、わかったと返事をした。 仕方ない。 ミツバ電機の危機だもん。 時任の重役の皆さんには平謝りするしかない。 そうだ、電話の前に――― 「夏向、待って」 飴の袋をあけて、口にいれてあげた。 「ありがと」 お礼を言いながら、ちらりと夏向は佐藤君を見て笑った。 だから、ライバル心を勝手に持たないでって……。 何を張り合っているのよ……。 「桜帆(さほ)。これ、終わったら一緒に帰ろう」 「何言ってんの。私は私の仕事をするわよ」 「えー……」 がっかりしながら、夏向は再びパソコンの前に座った。 「いやっ!島田さん、今日は彼氏と帰ってもいいよ!本当にありがとうっ!!ハンバーグを作るという大役があるだろう!」 社長が余計なことを言ったせいで夏向のスイッチが入った。 もう聞こえてない。 「彼じゃないです、従兄です!」 集中している夏向を見ている場合ではなかった。 時任に電話しないと。 電話をかけようと佐藤君の横を通り過ぎたその時、ぽつりとつぶやく声が聞こえた。 「ケルベロス……」 なにそれ? 佐藤君があまりにも真剣な顔で夏向を見ていたので聞き返せなかった。 まさか、夏向のこと? ケルベロスっていうより猫でしょ? はー……そんなことよりも今日の夕飯は野菜炒めだったのに。 ハンバーグの材料を買わないとなーと思いながら、電話を手にしたのだった。
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