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私が十八才の頃、当時別居中だった父親が拾ってきて、実家で飼い始めたのが黒猫Bだ。
実家は山の上にあり、モグラやタヌキが出るようなところだったから、若い頃の黒猫Bは自由に家を出入りして、そこら中を跳ね回って暮らしていた。
私にも弟にもよくなついて、順に部屋をまわって一緒の布団で寝ていた。私が自室で泣いていると、ドアを押して入ってきて、しばらくそばにいることもあった。でも、私たち家族がそうだったように、黒猫Bも母親がいちばん好きだった。
母親の作ったほうれん草の胡麻和えと小魚のマリネが大好物で、夕食は母親の隣の椅子の上に置いた小皿から食べていた。また、母親が浸かった湯船の縁に座って、みかんを食べるのがお気に入りだった(だから、猫は一般的に柑橘類を嫌うということを私はずっと知らなかった)。
私も弟も家を出て、母親は時々泣いて電話をかけてきた。家族のいろいろなことがあって、黒猫Bが来てから、母親は1回家出して、4回入院した。
Bはいつも母親がいなくなると同時に家に戻らなくなる。どこにいるのかわからなかった。そして、家出から、あるいは病院から帰ってきた母親が、家までの石段の途中で、「B!」と呼ぶと、どこからともなく現れて、彼女の後について玄関を入るのが常だった。母親はそれが自慢で、何度となく私にその話をした。
母親が最後に長い入院をした時には、黒猫Bも年をとっていたので、しょっちゅう遊びに行っていた向かいのお宅に入り浸っていたようだ。手術の後、意識がもうろうとした母親に、「Bはお向かいの屋根にいたよ」と弟が伝えると、母親は嬉しそうな、悲しそうな顔をした。
退院した時、母親は弟におぶわれて家まで続く石段を登った。手術で声を失って名前を呼べなくなっていたが、黒猫Bはいつものように石段の途中で出迎えて、一緒に家に帰った。
母親は、その後二年近く自宅で普通に生活した。筆談しか出来ず、流動食しか食べられなかったけれど、元気だった。
黒猫Bは家に来て二十年になろうとしていたから、全ての歯を失い、うまく歩けず、目もほとんど見えていなかった。夜中にひどく鳴いて、母親を困らせたりもしていた。
手術の二年後、母親が弱り、外出出来なくなり、自宅で寝たり起きたりして過ごしていた最後の二ヶ月、Bも母親のそばで寝てばかりいた。
ある週末、いつものように母親の看病のために実家に行くと、黒猫Bはここ三日ほど食べずに寝ていて、今朝死んだ、と知らされた。父親が作った段ボールのベッドに横たわっているBを見た途端、私は声をあげて泣いた。余命数週間と宣告された母親に聞かれたくなかったが、嗚咽は自動的にあふれてきた。
母親が入れてやった敷布やいつも遊んでいた古いねずみのおもちゃと一緒に、Bは眠っているようだった。
「Bは私たちが辛い時、本当によく助けてくれましたね」とその夜、母親はメールに書いてきた。
黒猫Bが死んだちょうど二週間後に、母親も他界した。「Bは先に行ってお母さんを待ってようと思ったんだよ」と弟が言った。「今頃二人でハッピーだよね」
葬儀の後、見慣れない麦わら帽子をかぶった母親が、ハーブ畑で草むしりをしている夢をみた。すっかり元気になっていた。
黒猫Bもそのへんの草むらにいて、若い頃のように跳ね回っていたのかもな、と目が覚めて想像した。
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