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安請の父
「ただいま。お父ちゃんいる」
遥加の家は魚屋である。魚は新鮮さが勝負なので朝から午後三時頃までが忙しい。夕方のこの時間は客もまばらで品も少ない。そのためか店先には誰もいない。
「おぉぃ。何だ」奥で声がする。
「友達を連れてきた。聞きたいことがあるの」
Tシャツにゴムの前掛けをした遥加の親父が出てきた。短めの髪に手拭いを巻いている。小柄だが太い腕がたくましい。遥加と同じ細い目が笑っている。
「お父ちゃん、小林安請って知ってる」
笑っていた目が急に消えた。
「小林安請がどうしたんだ」
「家を知りたいの」
「知ってどうする」
「聞きたいことがあるの」
「安請はおらん」
「おらんて、どうゆうこと」
「安請はもうおらん」
「家はどこ」
「行くな」
そう言うと急に奥に引っ込んでしまった。
何か事情がありそうだが、このままでは先に進まない。俺は遥加を見た。
「あんなお父ちゃん初めて見た。ちょっと待ってて、お母ちゃんに聞いてみる」
そう言って遥加も奥に消えた。店は俺達四人だけになった。
まだ商品が並んでいるのに店の人が誰もいない。結構のんびりした商売だなと思いながら、俺は売れ残っている魚を見回した。でかい目をした奴がいる。メバルと書いてある。
「目が張るという意味か。それなら見たままの名だ」
隣の魚にはカツオと書いてある。俺はすぐにサザエさんのカツオが浮かんだがあのいがぐり頭と似ても似つかない。「見た目ばかりの名でもないな」そんな風に時間を潰していると、遥加が戻ってきた。
「小林聡志さんの家だって。百メートルほど西にある家よ。実は小林安請さんも行方不明らしいよ。だからお父ちゃんは行くのを止めろと言ったんだって。どうする」
「でも手がかりは今のところ小林安請さんだけだから、行きましょう」夏希が答えた。そろそろ夏希の性格が表れだした。しかたがない。
「もう六時をまわっている。急ごう」
五分ほど歩くと、椿の生垣に囲まれた二階建ての大きな家の前に来た。インターホンを押すと、どなたですかと返事があった。
「榛原中学校三年の大野と言います。遅くからすみません。小林安請さんについてお聞きしたいことがあって来ました」
インターホンからの返事はなかったが、しばらくすると玄関の戸が開き、白髪頭の男性が飛び出してきた。
「安請に何の用だ。あの子は関係ない。いつまでゴチャゴチャぬかすんや」
すごい剣幕で俺達に近づいてきた。俺は思わず後ろに下がった。後ろにいた慎介はそんな俺を両手で支える格好になった。拓之は逃げ出している。
こんな時、女子は強い。夏希と遥加は体を少し後ろに反らしてはいたが、その場に踏ん張っている。
男性の後ろから、やはり白髪の女性が追いかけて出てきた。
「あんた、生徒さんにそんなこと言っても仕方ないやろ」
「……」
「ごめんね。びっくりさせてしもうたね」
男性は帰れと言って家の中に入っていった。
俺はほっとして女性に事情を説明した。
「同級生の新鞍福利君が六年前から行方不明ということを知り、ご両親に会ってその当時の様子を聞きました。彼は星に詳しい人を探していたようです。小林安請さんは天文にくわしいとお聞きしたので、新鞍福利君のことをご存知ないか聞きに来たのです。魚屋の廣田さんから、安請さんも行方不明になられたと聞きました。何か手がかりになるようなことがあれば教えていただきたいのですが」
女性は目を細め、少し微笑みながら話してくれた。
「安請が行方不明になる数か月前、福利君と図書館で知り合ったと言ってました。その後も何度も家にも遊びに来てくれたり、いっしょに出かけてました。しょっちゅう出かけるので気になって聞いたことがあります。夜に出かけることもあったので心配でね。しかし、安請は何も悪いことはしてないので心配せんでええゆうてました」
二人の事を思い出したのか、少し顔を曇らせて
「ただ、行方不明になった時は、安請が福利君を連れまわし、誘拐したのではないかと犯人扱いにされてしまったのです。家の人が腹を立ててるのは警察が何度も行き先を聞きにきたからです。こちらも被害者なのに」
女性の眼には涙がにじんでいた。
「わかりました。もう少し聞きたいことがあるのですが、今日はもう遅いので、来週の土曜日にもう一度来てもいいですか」
女性は手で目をこすりながら「はい。いいよ」と言ってくれた。
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