安請の部屋

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安請の部屋

 土曜日の朝、魚田屋の前に俺達は集合した。拓之は先日の安請の親父の剣幕にまだビビッている。小林家に向かう途中も、大丈夫か、大丈夫かと何度も俺に尋ねてくる。慎介は黙っているが、時々振り返っては家に帰りたそうな顔をしている。分かりやすい奴だ。夏希も普段より口数が少ない。やはり安請の親父のことが心配なのだろう。遥加だけはいつもと変わらず、細い目が笑っている。  家に着いた。声には出さず「よし」と言ってインターホンを押した。返事はなくすぐに玄関の戸が開いて母親が顔を出した。 「おはようございます。おばさん。また来ました」横にいた遥加が声をかけてくれた。 「魚田屋さんとこのお嬢さんやね。この前はごめんね、驚かして。家の人、いつもはおとなしい人なんやけど、安請のこととなると悔しいもんで」 何度も頭を下げてから 「今日はおとなしくしといてよ、とゆうといたから。さあ、中に入ってちょうだい」  振り返ると拓之と慎介はほっとした顔をしている。  失礼しますと俺達は母親について中に入った。 「安請の部屋の方がいいやろね」と言って、二階の彼の部屋に案内してくれた。一階は和式の造りだったが、二階の彼の部屋の入口はドアになっていた。中に入ると六畳ぐらいの広さの洋間になっている。春日山の見える窓際に少し大きめの机が置かれていて、その後ろの壁には天井まで届く、これも大きな本箱が並んでいる。そこには天文に関する本がぎっしりと並べられており、数学に関する本や動植物に関する本も見える。何らかのルールに従って分類されているようだがくわしくは分からない。天井には星の写真がプラネタリウムのように貼られている。 「ちょっと座って待っとってね。ジュースを入れてくるから」そう言って母親は下りて行った。 「おじさんの姿は見えないね」拓之はやはり気になるようだ。 「さすが、天文オタクだ。俺の欲しい本がいっぱい並んでいる」慎介は趣味が同じなので本当に欲しそうである。 「安請さんの写真はないかな。顔を見たいなぁ」夏希は机の辺りを眺め回し、引き出しも開けようとしている。 「近所だったけど、六年前は三年生だったから全然覚えてないわ」 夏希の横で遥加も机の上に置かれた本を一つ一つ持ち上げてはページを繰っている。 「勝手にいろんなもの触るなよ。まだ、何も許可をもらってないんだから」 俺の忠告は耳に入っていないようだ。  母親がお盆にジュースの入ったコップを載せて戻ってきた。 「この部屋はあの子がいなくなった時のままでねぇ。掃除はするんだけど、本などはそのままにしとるの。あの子が帰って来た時、困らんようにと思ってね」そう言って腰を下ろし、お盆を部屋の真ん中に置いた。  俺達も盆の周りに座った。そして、ジュースを飲みながら 「おばさん、安請さんの写真はありますか。僕らは安請さんの顔を知らないんです」 「ちょつと待ってよ。確か大学の卒業写真があったはずやから」 立ち上がって机の所までいくと、引き出しの中を探し始めた。一番下の少し大きめの引き出しを開けた時、ファイルや封筒が詰まっているのが見えた。その中から母親は紺色の表紙のアルバムを取り出した。それが卒業写真のようだ。  これこれと言って戻ってくると、お盆をどけてそこにアルバムを置いた。 「天文研究部に入っていたので、あぁここ、ここ。これが安請だよ」 そう言って指さした。  細長い顔に太い眉、目尻は真横にスーとのびているところは、俺達を怒鳴りつけた父親とそっくりだ。違いは髪の毛が黒々としているところぐらいかな。 「安請さんはどうして福利君と仲良くなったのですか。だいぶ年が離れていると思うんですが」 「あの子はね、小さい頃から『安請(やすう)けの安』とからかわれていじめられることが多かったの」 母親は目の前に浮かぶ過去の様子を目で追うように続けた。 「いつも一人ぼっちでね。それで、じっと星を眺めるのが好きになっていったの。天文関係の仕事に就きたかったんやけど、人づきあいが下手だとそういう仕事にも就けなくてね。本が好きでよく図書館に行っていたんやけど、そんなある日、閲覧室で紙を広げて何か調べものをしている福利君と出会ったようよ。その紙を見ると星の名前が書いてあるので、声をかけたみたい。それから何度か出会っているうちに福利君が弟みたいに思えたんやね。福利君がいろいろ質問してくるのが嬉しくて。他の人から頼られるのは初めてだから」 きっとその時の安請さんの顔も、今の母親の顔のようだったんだろうな。 「家の中で引きこもっているよりはいいと思って、安請の好きにさせていたんです」
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