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「誰にでも優しくしてるつもりがないな」
「無自覚が一番タチ悪いですよ」
「ああ、そうだな」
突き放されているかと思えば、ふとした瞬間に寄ってくる。あれは、朝佳の無意識なのだろう。
爪に出来ていた血は、どす黒いうっ血に変わっている。それが綺麗さっぱり無くなったところで、朝佳は何度でもこの傷を確認するような気がする。
酷く律儀で、思わせぶりだ。
自分が指摘されていることを朝佳に当てはめて考えると、恐ろしいくらいにしっくりくる。おそらく、俺より朝佳の方がよっぽど“狡い”のかもしれない。
なおも何かを言いたそうにしているキホの後ろで、時計が5時を指しているのが見えた。
「そろそろ帰れ」
一言呟くと、キホは一つため息を吐いて、「わかりました」と言った。
やっと解放されると思った俺は、やはり優しい類の男ではない。
数日前と同じように改札に流れて行くキホを見つめながら、後ろ姿が人ごみにかき消された瞬間に踵を返していた。
ずいぶんと時間がかかってしまった。
買い物は完璧に遂行したが、朝佳が消えてしまっていては本末転倒だ。すぐに戻るはずがここまで時間がかかったことに、ため息は抑えられそうにない。
とりあえず今から帰ることを告げようとスマホを触って、メッセージアプリの連絡先を知らないことをまた思い出した。寝ている朝佳を起こすでもないし、電話をかけるのはやめた。
朝佳からも連絡は来ていない。
まだ眠っていることを願いながら、俺の歩調は徐々に速度を上げて行った。
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