蓄音機とレコードの話

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蓄音機とレコードの話

bf74b912-08db-47a8-adaa-e7d2a276a31a     いつかの冬、古びた骨董品店にて。確か先に気付いたのは私で、彼は此方をちらとも見ていなかったと思う。彼が薄っぺらい身体で寒そうにしていたから「着るものも無いのか?」と声を掛けてみたらじろりと睨み返された、という苦い思い出が甦り思わず笑みが零れる。  その頃の私はもう診てくれる人もいなくてあとは死を待つばかりの身だった。  華やか成りし頃の私は社交場の花形で、私がひとたび音を奏でると自然と周りに人が集ってくる、そんな暮らしを送っていた。  当時私はどんな相手でも上手く鳴かせる事が出来たから、是非にという者が引きも切らずで、そんな自分が誇らしく、それがまたより一層力強い輝きを放ち聴く者を魅了していたのだ。  時代が変わって、私に音を奏でてもらいたいという者は一人減り二人減り、私自身も後進に道を譲ることを余儀なくされた。仕方のないことだ。私の様な旧型の蓄音機は、小型のレコードプレーヤーには到底敵わない。  アンティークを好む蒐集家の間では辛うじて名を残していた。だが私の真骨頂はレコードありき。私に相応しいレコードとの出逢いが無ければ、私は只のガラクタに過ぎない。  そうだ思い出した。そんな風に臍を曲げたまま生涯を終えようとしていたある日、彼がこの骨董品店へ入荷されてきたのだったか。彼は可哀想な事にジャケットを失い剥き出しのままで、〝愛の挨拶〟という音を携えていた。そう彼は一枚のSP盤レコードだった。  「何故貴方は俺に構う」  彼にジャケットという付加価値が無かったとしても、なおクラシックレコードとしての矜持を失ってはいなかった。私は何故彼が気になるのか、その時は自分でもよく分からなかったが恐らくそういう事だったのだろうと思う。  彼の孤高の姿に惹かれた私は、彼の音を奏でたい、彼を艶やかに鳴かせたいと久々に胸を高鳴らせた。彼を優しく抱き、そっと先端を埋めたら彼はどんな表情を浮かべるだろう。私から少し離れた陳列棚で無表情を貫く彼に、そんな劣情を覚えていたのだ。  しかし私はもう年老いていた。彼もまた衰えを隠せていなかった。二人がまぐわう事など万に一つも無いだろう、私は諦めていた。  好機はある日突然やって来た。とある蒐集家の気紛れで骨董店がいっときの華やかさを取り戻した。 「ああやはり本物の音を聴くのならば蓄音機に限る」 「気に入って頂けた様で何よりでございます。今日は貸切にしておりますから、お好きなだけお楽しみ下さい」    蒐集家と店の主人の会話で、私の出番がやってくるのだと分かった。何年振りかに私のハンドルが回され、ぜんまいに力が漲っていくのを感じた。余命僅かとはいえかつての栄光は身体が覚えていた。私は蒐集家の選ぶ相手を待ち侘びた。  選ばれたのは彼だった。彼は相変わらず無表情で、でもその中にほんの微かだが恥じらいがあるのを私は見逃さなかった。彼も私と同じ気持ちで、無表情はその裏返しだったのだ、と。  私の上に彼はその身を横たえる。その軽い彼の身体を、私は大切に大切に回し始めた。馴染んだ頃合いで彼の溝にそっと先端を落とす。じりじり…とじれったいようなノイズに脳みそが溶けそうになり理性が抑えられない。私の胎内は震えた。少しくぐもったように咽び鳴いていた彼の声が、次第に愛の歌を紡ぎ始める。  なんという甘美な響きだろう。私の先端にびりびりと雷の様な刺激が押し寄せ、波の様に引いていく。彼の音は優しくて強く官能的で、それまで鳴かせてきた誰よりも愛おしかった。  私も彼も脆く壊れやすいからもう大胆なストロークは出来ない。だが彼の好いところを何度も愛撫してやると、彼は恥じらいながらも喜びの眼差しで私を見つめた。私も彼から目を離すことが出来なかった。このままふたりで、高みを極めよう。    私は彼を抱いたまま、もう動かない。彼もすでに最期の音を鳴き終えてその生を閉じた。私たちは出逢うべくして出逢った唯一無二。もう他の誰をも抱くことはない。  彼とのまぐわいに甘く堕ちた想い出を噛みしめながら、私も役割を終えることにしよう。                             おわり
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