命短し恋する青年の話 花の涙

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命短し恋する青年の話 花の涙

 cf833691-d7c8-4f0c-a1f0-fdf236bb75ca  涙花病。  その病に罹ると、片想いが実らぬ限り治るすべはないのです。  先生。私は愛する先生を遺して先に逝かねばならなくなりました。  何から何まで先生には本当に善くしていただきました。私はこの片想いがこの上なく仕合わせな出来事なのだと、心から先生に感謝の気持ちで一杯です。  最期に少しだけ、独り言にお付き合いいただけますでしょうか。いえ、声には出しません。先生にご迷惑の掛かるような真似はいたしませぬゆえ、何卒私の我儘をお許しください。  先生。私はいつしか先生に恋をしておりました。  とある出版社で細々と下働きをしていた身寄りのない私に声を掛けてくだすったのは先生でしたね。  いつか私も先生方のようなご本を書けたら…などと使い古しの原稿の裏紙をそっとくすねては、なけなしの給金で買ったペンで小説の真似事のようなことを書いておりました。ある日裏紙を持ち帰っていたことが知るところとなり、出版社を追い出されたところを救ってくだすったのが、ちょうど打ち合わせに来られていた先生でした。そればかりか私の書いたものに目を通してくださり、のみならず添削までしていただいたのでした。  結局私には物書きの才などないと思い知るに至りましたが、代わりに先生のお宅で書生として置いていただけることとなったのです。  先生のお宅の台所事情は決して楽なものではありませんでした。先生のお名前は知る人ぞ知ると言った感じでしたから、書いた御本が飛ぶように売れるなんてことはまずありません。  ああ、こんな失礼なことを申し上げるなどと先生はお怒りになられるでしょうか。いえ、笑ってその通りだなと仰るでしょうね。  先生は生活の苦楽など気になさらぬお方です。日々生きていければそれでいいと。私はそんな先生との暮らしに居心地の良さと、そして安寧を見出しておりました。  いつまでも先生と二人で生きていきたい。先生のお傍で先生を支えていきたい。私はそのような想いを胸に抱きはじめたのです。  ですが男の私の想いを先生に告げるなど到底出来る筈もございませんでした。  おさんどんに洗濯掃除、古本を売りに行ったその足で夕飯の買い物、風呂の支度、そして先生の寝床の準備。  ─先生の髪の匂いがする枕に、何度密かに顔を埋めたことか。  この焦がれる心は口にしてはならない。決して実らぬ片想いは、少しずつ私の身体を蝕んでいきました。  大根を煮ている時でした。視界が滲む。そんな違和感を覚えた直後、私の目から薄桃色の花びらがはらりはらりと零れ落ちたのです。  先生は本当に吃驚(びっくり)なすって、大根など捨て置けお前は床に入れと大慌てでお医者様を呼んでくださいましたね。  ああとうとう私もこの病に罹ってしまったのだと、私は自分の心の弱さに打ちひしがれました。私が先生をお慕いさえしなければ、先生に要らぬ心労を掛けることもありませんでしたのに。  本当に。本当にそればかりが悔やまれます。私なんぞが先生に恋をしたばかりに。  涙花病の症例はすでに幾つか世間をざわつかせておりました。身体中の血を吸い(つく)した真っ赤な薔薇の花びらが涙の様に零れ落ち、やがて死でその身を覆うのだと。  不思議なことに私の流す花の涙は、なぜか桜の花びらの様な薄桃色でした。零す私も気に病む先生も、少しばかり心が穏やかになる様な優しい色。  先生はそれを綺麗だなと仰いました。不謹慎な事を言って済まない、いえ先生に綺麗だと仰っていただけて光栄です、そんな会話を交わしながら、暫くは小康を保っておりました。私は時折零れ落ちる花びらの所為で体力が落ちかけてはおりましたが、何かがそう大きく変わる事も無く、このまま先生と暮らしていけるのではと、そう思っておりました。  そんな中、先生がふらりと何処かに出掛けては、夕飯は要らぬと夜遅くに帰宅される日が増えていきました。どうしたのだろう、何かお困り事でもあるのだろうか。私はそっと先生の後を尾けてみました。先生は行きつけの飲み屋で浴びるほど酒を飲み、勢いカフェーへなだれ込んでは女給の肩を抱き、二階への木階段を上っていかれました。二階で行われている事と言えば決まっております。  私は泣きながら一人、家へと戻りました。  先生は結婚に興味など無い、一人で気楽に生きるのがいいのだと常日頃から仰っておられました。私を拾ってくだすった所為で無理をさせていたのではないか。私が不治の病に罹り家の中の陰鬱とした空気に耐えられなくなったのではないか。  その晩、とうとう先生は朝まで帰ってらっしゃいませんでした。  私は冷たい布団を前に決めたのです。身体が動かなくなる前にやらねばと。先生が仕方無しに私を使って下さるように仕向けるのだと。  夜、寝床に入ろうとした先生の背中に、私は身体を押し付けました。熱いものが先生の太腿に当たったでしょう。先生。私、もうひと月もしていないのです。疼いて疼いて。手伝ってはいただけないでしょうか。先生の少したるんだ脇腹に指を這わせ耳元で熱い息を吐けば、先生の身体がぴくりとするのが見て取れました。  家の書生に手を出すつもりはない、硬く震えた声は私の唇で塞ぎました。私はまだ若いのです後生ですからお救い下さい。私は先生の良心に訴えかけました。  想いが叶わぬのならせめて身体だけでも繋げたい、私は浅ましい画策を実行したのです。  先生が遠慮がちに布団に横たわるのが愛おしくて、躾のできていない犬の様に先生の身体に覆い被さりました。殊更好き者のようにいやらしく先生の着物をはだけ、黒黒とした下生えに鼻を擦り付けました。先生の態度とは裏腹な熱い岐立に舌を這わせれば先生の滾りを口いっぱいに感じ、この上ない幸福感に満たされたのを今でも覚えております。  私は男と交わる事など、いえ自分の尻の穴を慰める事すら一度としてありませんでした。強い痛みに堪えながら先生の岐立に腰を落とし、ああこれが欲しかったのです、ああ気持ち良い、などと声に出して胎内に埋め込みました。唇をぐっと噛んで腰を振り続ける私は、先生の目にどう映ったでしょうか。信頼していた書生が男色だったと蔑まれたでしょうか。それでも私は構わなかったのです。生理的な繋がりでもいい、先生が私の胎内に溢してくだすった営みの果ては、私の大切な宝物となりました。  情をいただいてからというもの、気の咎めも緩んだのか、先生は時折私の身体を慰めてくださいました。私が欲しがる素振りを見せれば、先生も私の身体で果ててはそのまま満足げにお休みになっておられました。  共に寝床で朝を迎える喜びがどれほどのものか、先生にはお分かりにならないでしょうね。先生にとっては互いの情欲を宥めるだけの間柄でしかなかったのですから。  そうして先生と私はいつ終わるとも知れない危うげな日々から目を逸らす様に熱を交わしつづけました。  私にとっての幸せな日々は瞬く間に過ぎていきました。  今朝出版社へとお出掛けになられた先生には内緒にしておりましたが、昨夜ついに花の涙は髄へと届きました。沢山の桜の花びらに埋もれて、私はお別れの足音を聞いております。  洗濯は済ませましたし洗い替えも多めに出しておきました。日持ちのする惣菜も作り置きしてあります。使わずに取っておいたお給金は、次に雇う書生の駄賃にお使いください。  ええ。もう思い遺すことは何もありません。こんな贅沢をさせて貰って、私はなんと果報者なのでしょう。  先生のこれからが穏やかなものであります様に。私はただそればかりを願うのです。  さようなら、先生。私は幸せです。  終
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